第一章 二十三
「……リリィ。そなたの叔母上も、キュアーシ家の……王家に仕える霧の民のヒーラーの家の方、ということ……ですよね」
「は、はい」
「……しかし、叔母上……ランさんは……」
「憩いの小屋で、こうして働いてるよな」
「プレアデスのヒーラーの証の服を着ていたので、ヒーラーの資格保有者ではあるのでしょう」
「うーん……ヒーラーだけど憩いの小屋に就職したってことか?」
「そうかもしれませ……そうかも。ラン叔母さん、プレアデス城で働いてたって聞いたことあるから」
 リリィのその発言に、シュードがぴしりと固まった。
「……まさか、ランさんはナスタ様のことを……」
 隠された王女であるナスタの存在を知っていた、あるいは貴族だと偽られていても姿を見たことがあるのではないか――と、冷や汗を一筋垂らしたシュードに、ナスタが頭(かぶり)を振った。
「……いえ。ランさんにお会いしたことも……お姿を見かけた記憶も……ございません」
「まあ、その恰好じゃ、ナスタがプレアデスの貴族だってことは分かっちゃっただろうけどな」
 セージはナスタの白い衣、童袍(わらわのうえのきぬ)を見て、端正な顔に苦笑いを浮かべながら肩を竦めた。これはプレアデスの未成年の貴族のみに許された上質な衣服である。城で働いていたのなら、ミッドナイトブルーの髪の少女が貴族であることを容易く察しただろう。
「まあ、宿ギルドのレディなら客の事情なんて訊いてこねえだろ」
「ラン叔母さんなら、きっと大丈夫で……大丈夫、だよ」
「……あの、セージ……のこと、は……」
「オレ? 大丈夫だとは思うけどなー。アルデバラン王家の証は、このピアスとリボンだけだ。プレアデスみたいに王族が着なきゃいけない服ってのは正装ぐらいだし。オレの今の服も、アルデバランのみんなが着てるのと変わんねえんだ」
 セージの耳朶で赤く光るエレメントストーンのピアスと髪を束ねている紫色のリボンは、彼がアルデバラン王家の者であることを示す物だったのだ。初対面の時にそれらに目を留めていたリリィは、「そうなんですね」と感嘆と共に頷いた後に、不安と期待の入り混じった面持ちで首を傾けた。
「じゃあ、ラン叔母さんは気付かなかった……か、な?」
「だといいけどなー。アルバレアに着いたら、ベテルギウスの服買わなきゃな。オレ達の今の服じゃぜってえ目立っちまうし、ってか寒いし」
 ナスタが悪い訳じゃないぜ、と片目を瞑りながら一言付け加えたセージは、シュードに向き直ると右の拳を左の手のひらにぱん、と打ちつけた。
「シュード〜……お前、今、『ナスタ様』っつったな〜」
 恨めしそうな顔と声音で責められ、シュードはぐうの音も出ない。詫びようと開いた口からは吐息すら出てこない。そんなシュードに、セージは追い討ちをかける。
「チェックインの時だってな〜、オレが上手いこと助けてやったんだぞ〜」
 部屋のことを訊かれた時、確かにセージのフォローがあった。一つ瞬きする程度のわずかな時間、それも視線を交えただけで、セージはシュードが困っているのを察したのだ。窮地に陥ったことを見抜かれたのが恥ずかしく、そしてあの爽やかな笑顔でさらりと救いの手を差し伸べてきたセージの余裕が妬ましく、しかし面と向かって言い返すこともできず、シュードは視線を逸らして黙り込んでしまった。
 そこに、眉を八の字にしたリリィが文字通り二人の間に割って入る。
「あ、あ、あのっ、ご飯食べに行こうよ、ねっ? あたし、お腹空いちゃった」
 途端に、リリィの腹が鳴った。絶妙なことこの上ないタイミングで口よりも余程雄弁に空腹を主張するそれに、セージは目を瞬かせたかと思えば、腹を抱えて笑い始めた。眉根を寄せていたシュードも、目を見開いてリリィを見た数秒後、堪えきれずに小さく噴き出す。ナスタはいつものように無表情で口元に袖を当てている。が、よくよく見れば、普段は美しいがガラス玉のように無機質な目の光が、今は小春日和のようにあたたかく柔らかい。
 腹の音の主は羞恥のあまり、茹でられた甲殻類に負けないくらい顔を真っ赤にして悲鳴のような抗議をする。
「そ、そんなに笑わなくったっていいじゃない!」
「わりいわりい、つい……リリィちゃんってば、か、可愛い……っ」
「っ、正直な奴だ……」
「……すみません」
 セージは体を折って声を出すのは堪えているが、顔は笑ったままで、目尻に涙を浮かべてさえいた。シュードは顔を背けて口を片手で覆い、肩を震わせて笑うのを何とか我慢している。ナスタは笑い声も上げなかったが、真夜中の空の色をした目はいつもより細いように見える。切り揃えられた前髪に隠されていて断定はできないが、眉尻も下がっているかもしれない。
「もう! 早く行こうってば!」
 これ以上笑ってはリリィが機嫌を損ねると判断したシュードが、仲裁しようとしてくれたことへの謝意も込め、今にも噴き出しそうなのを抑えて三人を促した。
「っ、では、食堂に参りましょう」


 リリィの叔母との再会という予期せぬ出来事で気にする余裕もなかったが、改めて見ると板張りのロビーはとても広かった。玄関の両脇には四畳の座敷があるのだが、そこと受付スペースを除いても二十畳程である。二人掛け、あるいは四人掛けの竹の長椅子が、花緑青色の座布団と共にいくつか置いてあった。白っぽい土壁にはやはり行灯と花を生けた小さな籠がいくつも掛けられている。受付を見やると、ランの姿はなかったが、花が飾られた木製のカウンターの奥には花緑青色の大きな暖簾が掛かっていた。棚か何かがあるのかもしれない。
 階段を下りたところで右を見れば、細いガラスが何枚も嵌め込まれた引き戸があった。控えめに掛けられた花緑青色の暖簾には、食堂と書かれている。
 中に入ると、目の前には十人掛けのテーブル席が二つあった。右には厨房とカウンター席、左には十四枚の座布団が置かれた掘り炬燵式の座敷がある。戸を引いた途端に漂ってきた炊いた米や味噌のいい匂いに、リリィは思わず腹を鳴らせまいと両手で押さえた。奥で鍋をかき回していた料理人が「いらっしゃい」と先に挨拶してきたので、一行は「こんばんは」「お世話になります」と返し、靴を脱いで座敷に上がった。

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