第一章 二十四
 食事は数種類から選び、厨房の料理人に伝えるようだ。品書きには「仕入れ状況により提供できない場合もございます」と律義に書いてあった。
 注文してからややあって料理が運ばれてくると、四人は舌鼓を打った。魚の味噌焼き定食を頼んだナスタは、生まれて初めての外食、今まで口にしたことのない庶民の味をゆっくり味わっていた。相変わらず無表情は変わらないが、品数の多さが城での食事に似通っているからなのか、定食という物を気に入ったようだ。リリィは鳥の親子丼に至福の笑みを浮かべていたが、シュードの焼き鳥丼の味が気になって、ついついじっと見つめていた。三度目の視線を投げかけたところで、見兼ねたシュードに「仕方がないな、ほら」とどんぶりを差し出される。彼に甘えて焼き鳥を一切れ頂戴して口に放り込むと、またもや幸せでたまらないといった笑顔になっていた。セージは箸の文化のないアルデバランの王子の筈なのに、牛丼を食べる姿が様になっていた。四人の献立に共通の漬物や酢の物、お浸しに味噌汁までもプレアデスの民の以上に美しい所作で堪能している。
 四人の夕食は終始和やかなものであった。


 カウンターで食事代を支払い、「ごちそうさまでした」と食堂を後にした四人は、三階に戻った。南側の六畳間にナスタとリリィを送り、別れる前にシュードが密やかな声で三人に告げた。
「明日は七時に出立致します。六時に朝食の予定ですので、こちらにお迎えに上がります。部屋にいる時は、必ず鍵と戸の鎖をおかけ下さいますよう。何かありましたら、わた……俺をお呼び下さい。リリィ、ナスタ様をしっかりお守りするように。それでは、また」


 リリィはシュードとセージを見送ると、言われた通りに鍵とチェーンロックをかけた。
「お宿では戸に鎖なんてかけるんですね〜、こういうのがあるなんて知らなかったです。ね、ナスタ様、お部屋に何があるのか見てみませんか?」
「……はい」
 ナスタに提案を受け入れられると、リリィは彼女の手を引っ張ってうきうきと部屋の中を見回す。
 六畳間といっても、実際の広さは一畳分の押し入れと靴を脱ぐスペースを差し引いた分であった。それでも、畳が四畳半もあれば二人で寝るには十分な広さであろう。白っぽい土の壁には行灯が三つと金魚柄が何とも涼しげな団扇が二つ、竹炭が入った籠と時計が一つずつ掛けられている。南側には雨戸に網戸とガラス戸、障子の四重構造の大きな窓があった。朝になったら景色が楽しみですね、とリリィがにっこり笑えば、ナスタはこくりと頷いた。
 戸の隣の押し入れの襖には紫と白と黄の菫の花が描かれ、可憐な姿形と複数の色が目に楽しい。開けてみれば、ランがそうした時と同じように下には湯飲み茶碗などが入った棚と小さな金庫が、上には二組の布団があった。今は部屋の中央に陣取っている小さな卓や座布団を、就寝時には押し入れの下に入れることもできそうだ。金庫の隣に小さな木の箱があるのに気付いて開けてみれば、蓋の裏には鏡がついている。化粧台だ。
 一通り探検したリリィは、くるりとナスタに向き直った。
「そうだ、お風呂、入りませんか? あたし達、一緒にいた方がいいと思うんです」
「……はい」
「決まりですね! じゃあ、行きましょ、ナスタ様」
 焦げ茶色の目の少女は着替えの入った二つのやや大きな鞄を取りに行こうと、卓の傍らに軽い足取りで向かう。その華奢な背中に、ミッドナイトブルーの目の少女が呼びかけた。
「……リリィ」
「はい、何ですか? ナスタ様」
「……様、と、つけては……なりませんよ」
「あっ」
 リリィは口を両手でぱっと押さえた。
「ご、ごめんなさい。結構大変ですね、こういうのって。あはは……」
 乾いた苦笑いの響きが、六畳間に空しかった。


 北側の六畳間では、部屋の照明を点けたシュードにセージが話しかけていた。
「その杖、便利だよな。自分の魔力を使わないから、誰だって点けたり消したりできるんだもんな」
「さよ……仰る通りでございま」
「おいこら、なんつー口の利き方しやがる」
「……その通り、です、ね」
「んー、合格」
 つい「左様でございますね」と言いかけたのを自力で直し、騎士が王族への応対をする際の見本のような答えを返そうとしたのに、「なんつー口の利き方」などと言われ、王族へ返す言葉としてはとても誉められたものではない口調で言い直すと「合格」と認められる理不尽に、シュードは初日で既に疲弊し始めてきた。
「……船番の者達に食事と風呂を知らせて参ります。お先にどうぞ」
「え、オレが伝えに行ってもいいのに」
「いえ、そのようなことをお任せなどできません。騎士達も恐縮するでしょう」
「そんな気にしなくていいのになー……分かったよ、よろしくな」
 じゃあお先、とセージは右手の親指と人差し指と中指を立てて片目を瞑ると、灰色の革のリュックサックを背負って部屋を出て行った。
 一人になった深緑の目の青年は、深いため息を吐いた。実際に吐いたのはこれが初めてだが、今日だけで何度ため息を吐こうとしただろうか。「ため息吐くと幸せが逃げる、って言うでしょ」とリリィによく言われた言葉が脳内で再生され、またもや深い吐息が出そうだ。
(悪意など、お持ちではないのだろうが)
 隣国の王子とは、どうも合わない気がする。昨日の数時間と今日一日を共に過ごしただけで決めつけたくはないのだが、あの妙な軽さが引っかかるのだ。少なくとも、シュードがこれまで出会ったことのないタイプの人間であった。
(少なくとも、あと一週間か……)
 しばらくの間、彼と寝食を共にしなければならない。そう考えただけで、空船でのこれからの七日間が、まだ一日も経っていないのにとてつもなく長いように感じた。
(……一人に、なりたい)
 セージが風呂に入っている間だけでも、一人きりになりたかった。本来ならば、自分は護衛として彼やナスタの傍に常に控えているべきなのだとは分かっていたし、そうすべきだと何の疑いも持たずに断言できる。それでも、少しだけでいいから、一人で外の空気を吸いたかった。
(そうだ、船番に知らせるついでに、絨毯の具合を確認しなければ)

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