第一章 二十六
「……セージ、の属性をお聞きするのを……失念しておりますね」
 シュードは話題が変わったことに胸を撫で下ろしたが、思わず吐きそうになった安堵の息を胸の辺りで押し留めた。過度の緊張で一文字を通り越してへの字になっていた唇を、王族に拝謁するに相応しい緊張を以て引き結び直す。
「左様でございますね。明日にでも、私達の属性を確認しておきましょう。把握しておけば、少しでもこちらに有利な戦い方ができましょう」
 ミッドナイトブルーの髪の姫君が頷こうとしたが、頭を上下に振りきらない内にぴたりと動きを止めた。一体何事かと深緑の髪の騎士が主の名を呼ぶ前に、ナスタはくるりと頭を回らす。彼女の視線の先には、戸の閉まった宿の玄関があった――が、何枚もの細いガラス越しに二つの人影が見えたかと思えば、戸がからからと開いて明るい茶髪のヒーラーと金髪の王子が現れた。
「あ、ここにいたんですね」
「お、やっぱここだった」
 リリィがぱたぱたとシュード達の元へ駆け寄っていく。
「シュウにお話はできました?」
「……はい」
 遅れて合流したセージが、朗らかに笑った。
「部屋戻ったら鍵かかってんだもん。リリィちゃんとこ行ったらナスタがシュードんとこ行ったって言うからさ、空船かなって思って」
「大変失礼致しました」
「反省するならその言葉遣いを直してくれよな。頭も下げなくていいんだぞ」
 セージが唇を尖らせると、リリィが「あ、あ、あのっ」と声を上ずらせて割り込んできた。
「今日のお月様、とっても綺麗だと思いませんか?」
 その一言で、四人は月を見上げた。
「めっちゃ綺麗だなー! やけに明るいって思ってたけど、何か、今日のはいつもよりでっかく見えるなー」
「あたしもそう思います! 真ん丸ですねー」
 感嘆の声を上げるセージとリリィとは対照的に、シュードとナスタは言葉なく望月に見入っていた。
 再び戸が開く音がした。そちらを見れば、騎士達が立っている。食事と入浴を終えたようだ。束の間の休息をとった三人の騎士達は四人の――いや、ナスタとセージの姿を認めると、飛び上がらんばかりに驚愕し、大急ぎでこちらにやってくる。
「……皆様、夜風でお体が冷えては大変です。宿に戻りましょう」
 四人はシュードに促されて建物に入った。
「あ、そうだ。ここのギルドは確か宿の主人が商人もやってんだぜ。見に行かねえ?」


 プレアデス王国第一王女の成人の儀が行われる筈だった一日が、終わる。
 見る者を惑わす美しい満月は、やがてナスタの髪と目の色を引き連れて西の空へ隠れていった。


 翌朝、一行の姿はシュードの言葉通りに六時に食堂にあった。
 今朝の献立は川魚の塩焼きのほぐし身が乗ったお茶漬けに卵焼き、お浸しと漬物、それに味噌汁である。瞼が半分下りたリリィが眠たそうにもそもそと食べているのを、セージがからかった。
「リリィちゃんってば、めっちゃ眠そうだね」
「うー……眠い、です……」
「お前、確か朝は弱かったな」
 掘り炬燵に湯飲み茶碗を置いたシュードがぼそりと呟いた。
「……リリィは、私よりも早く……お休みになった筈ですが……」
 ナスタはヒーラーの少女を案じているのか、隣に座るリリィに視線を投げかけるが、明るい茶髪の少女は今にもお碗を持ったままで舟を漕ぎ出しそうだ。
「しゃあねえな。空船乗ったら、また寝ていいよ。そうだ、君なら特別にオレが膝枕してもいいぜ?」
 眩しいまでの笑顔のセージの思わぬ一言に、リリィはしばらくもそもそと咀嚼した後にようやく理解したのか、ぱっと目を見開いてぼっと火が付いたように顔を赤くし、がばりとセージを見たのだった。


「お世話になりました」
 身支度を整えた一行は、受付でランに部屋の鍵と杖を返した。時刻はもうすぐ七時になるところだ。
「はい、確かに。じゃあこれ、スタンプカードです」
「スタンプカード?」
 おうむ返ししてきたリリィに、ランは客への笑顔を身内へ向けるものに変えて説明した。
「憩いの小屋ではスタンプカードを採用しているの。一晩泊まるとスタンプ一つ。全部埋まったら、いいものと交換しているのよ。ここのギルドの宿ならどこでも押しているから、活用してね」
「へえ、そうなんだ。いいものって何かな? ここのお宿にいっぱいお泊まりしたくなっちゃうね」
「ふふ、是非泊まってちょうだい。リリィ、気を付けてね」
「うん、ラン叔母さんも元気でね。……あっ」
 叔母ににっこり笑いかけたリリィは、ふと何かを思い出してシュードの袖を引っ張った。
(シュウ、叔母さんにあのブローチ見せなきゃ)
 昨夜、四人は謎の女チェルシーが落としていったあのブローチに見覚えがないか、あわよくば何か知ってはいないかと、ランに尋ねることを決めていたのだ。宿ギルドの受付係ならば、多くの人を見てきている筈である。件のブローチを見たことがあるのではないか、と考えたのだ。
 頷いたシュードは、ナスタに視線を送る。首を縦に小さく振ったナスタは、腰の焦げ茶色の革の鞄から桜色の巾着を取り出した。
「ねえ、ラン叔母さん。このブローチ、見たことない?」
 姪と同じ色彩を持つ女性は、ミッドナイトブルーの髪の少女の手のひらの青い石に金細工が施された円いブローチを見て、顎に手をやった。しばらく考え込んだ後に、小さく唸る。
「見たことあるかもしれないわ」
「ほんと!? いつ見たの? 誰が着けてた?」
「うーん、いつだったかしら。割と最近だった気はするけど。そんな感じのブローチの持ち主は覚えているのよ、見たことのない色の髪だったから。薄い紫の髪の綺麗な女の人だったわ」
 その証言に、プレアデスで薄紫の髪の女と対峙した三人――ナスタの反応が非常に分かりにくいので、ランの目には二人に映った――が息を呑んだ。
「他に覚えてることはない? 何でもいいの」
 ランはやけに必死な様子の姪に気圧され、内心では首を捻りつつも、記憶を辿ってみる。
「五、六人で泊まりにいらしたような……それぐらいかしら」
「そう……ありがと、ラン叔母さん」
「ありがとうございます」
 あからさまに落胆しつつも礼を言ったリリィの隣で、シュードが頭を下げた。後ろの二人も合わせて会釈する。
「それじゃ、またね、ラン叔母さん」
「ええ、行ってらっしゃい。皆さん、どうぞお気を付けて」

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