第二章 二
 気遣う声の主は、リリィが前のめりになった先にいた人であった。飛び込まれた側なのに、とっさに彼女の両肩を支えてくれたのだ。
「ご、ごめんなさい!」
 転ばずに済んだリリィは悲鳴のような謝罪を慌てて叫ぶと、助けてくれたその人物をまじまじと見てしまった。
 小柄な少年のようだった。百五十四センチメートルのリリィよりも背が低い。プレアデス王国の晴れ渡った秋の空のような色の髪は短く、頭頂部で二筋ぴんと跳ねている。リリィが見たことのない、青紫色に金色の模様の円筒形の髪飾りが一対、幼い顔の横に下がっていた。大きな青い目はサファイアか瑠璃色のガラス細工のようだ。リリィの肩に添えられた小さな手には、黒いグローブが嵌めてある。これまた見たことのない衣服――厚手のコートに毛織物よりもふわふわに見える首の詰まった青い服は、とても暖かそうで羨ましい限りであった。これがベテルギウスの服なのだろうか。
「どうしたの? ぼーっとしちゃって」
「あ、ううん、ごめんなさい」
 リリィと少年の元に、三人が遅ればせながら駆け寄った。シュードが申し訳なさそうに声をかけるのに、ナスタも続いて頭を下げる。
「シュウ」
「リリィ、無事か? すみません、お怪我はありませんか」
「……すみませんでした……」
「どういたしまして。ボクは大丈夫」
 にこりと笑う空色の髪の子どもに、セージがこれ幸いとばかりに話しかけた。
「ついでにちょっといいかな、君はこの辺りの子? この町に服屋ってあるかな?」
「そうですけど……あ、そういうこと?」
 少年は突飛な問いに首を傾げたが、四人の寒そうな、というよりも凍りそうな恰好を見て合点が行ったようだ。
「服屋なら、ここから一番近いのはこの町の入り口を右に曲がって少ししたら右手に」
「ありがとう、助かるよ」
「いえいえ。それじゃ」
 空色の髪の少年は屈託のない笑みを浮かべると、颯爽と踵を返して町へ向かう人々の中へ消えるように行ってしまった。雪道だというのに、一行には信じられない速さであった。その小さな後ろ姿があっという間に見えなくなると、シュードが声量を抑えた冷静な調子でリリィを叱る。
「雪で足元が悪いのは当たり前だろう、むやみに走るな」
「ご、ごめんなさい……」
 寒さを忘れたようにしょんぼりするヒーラーの少女を、アルデバランの王子が慰めるように気遣う。
「怪我はないかい? 気を付けてくれよ、リリィちゃん」
「はい……」
 気落ちするリリィの顔を見、少年の歩いて行った方向を見やったプレアデスの姫君が、ふとしゃがんだ。
「ナスタ様?」
「……これは……」
 振り向いたナスタが、手にした物を手のひらに乗せて三人に見せた。ストラップだ。金色の模様が彫られた円筒形の青紫色のエレメントストーンが、茶色の革紐のタッセルに通されている。何かに通して括りつける部分が切れてしまっていた。
「これ、さっきの男の子の髪飾りにそっくりだわ」
 リリィが焦げ茶色の大きな目を丸くする。
「さっきの子が落としてっちゃったってことか?」
「そうかもしれないです。あたしとぶつかって取れちゃったのかも……渡しに行きたいけど、どうしよう、シュウ」
 罪悪感があるのか、リリィは今にも泣きそうな目でシュードを見上げる。
「……この、装飾品は……もしかしたら……」
 心当たりがあるようなことを呟いたプレアデスの姫君に近衛騎士が尋ねようとしたとしたその時、一陣の風が吹き抜けた。そのあまりの冷たさに、一行は予想外の出来事から一気に現実に引き戻された。自分達が凍りかけているのを思い出したかのように、四人は大きく身震いする。
「あーもう、マジ無理!」
 ナスタの霜が降りたような顔色とリリィの高熱が出たかのような震え方、セージの切実な悲鳴に、シュードは真っ先に果たすべき目的を定める。
「先程の少年が教えてくれた服屋へ参りましょう」


 一行は少年が言っていた服屋の看板を見つけ、飛び込んだ。何か恐ろしいことから命からがら避難してきたかのような四人に店の女主人は怪訝そうな顔をしたが、彼らの恰好を一目見るなり「あらまあ、大変」と親切にも毛布を持ってきて来てくれ、ベテルギウスは初めてだという一行に服を見立ててくれたのだった。
 ベテルギウス共和国ではハイネックのインナーの上にハイネックのニットチュニックを着て革紐のベルトを締め、厚手のズボンを穿くそうだ。上着にはキルティング生地の裏と袖の折り返しとフードがついた毛織物や革のコート、足元には厚手の長い靴下とロングブーツという出で立ちである。
 シュードは黄緑色のインナーに、黄緑色の四つ菱のような幾何学模様が目を引く千歳緑(ちとせみどり)と灰色がかった淡い緑色の、脚の付け根が隠れる丈のニットチュニックに、黄土色の革紐のベルト、消炭色(けしずみいろ)のような暗い灰色のズボン姿だ。膝上丈のコートの表地はチュニックよりもやや明るい緑色で裏地はやや黄みの強く暗い緑色、胸元と脚の付け根の辺りにあるポケットには木のボタンがあしらわれていた。ブーツは履いてきた物に似た黄色を帯びた焦げ茶色で、チュニックの首元と裾と同じの灰色がかった緑色のニット生地が履き口をぐるりと包んでいる。
 ナスタは得物の簪の花びらのような薄紫色のインナーに、中央のケーブル編みと首元や裾の淡い桃色のステッチがアクセントになった、スリットの入った膝丈の白いニットワンピース姿だ。腰には黄土色の革紐のベルトを巻き、脚にはほんのり紫色がかった濃い灰色のズボンを穿いている。ワンピースと同じ丈のコートの表は明るく淡い灰色、裏地は青みの強い淡い紫色で、フードに通した菫の花のような紫色の毛糸の先と身頃のポケットに白い毛糸のポンポンがあしらわれていた。シュードの物より黄みのない焦げ茶色のブーツの履き口には、ケーブル編みが使われたニット地が使われている。高々と結い上げられたポニーテールを飾るのは簪ではなく、簪の花びらと同じ色のリボンだ。両端にはベテルギウス特産の真っ白な菱形のエレメントストーン――六つ並べると雪の結晶を簡略化したモチーフになる――が揺れている。

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