第二章 四
 不意討ちの嵐が過ぎ去り、残された三人は立ち尽くすより他なかった。ナスタは未知との遭遇の衝撃のあまりに、壁にしたシュードのコートを掴んだままでいる。リリィは目を見開き、口の端をぴくぴくと引きつらせていた。シュードはセージを引き留めようとして上げたものの彼の肩も手も掴むことは叶わなかった手を、わなわなと震えるリリィの肩に慰めの意を込めてぽんぽんと置く。暖かな衣服に身を包んだ筈の彼の顔は、青ざめて冷や汗を垂らしていた。
「……殿下の御身に何かあっては、両国の国王陛下に申し訳が……」
「……シュード」
「はっ、いかがなさいましたか」
 こちらが慰められたい心持ちでも、シュードは自分の背後にいる主の呼びかけにすぐさま応じて頭を回らせた。
「……敬語は、いけませんよ」
「申し訳ご……失礼致し……ました」
 この状況でもアルデバランの王子との約束を守ろうとするプレアデスの姫君に、近衛騎士は反射的に頭を垂れて謝罪しようとしたが、主君への礼儀と隣国の王子の言いつけとの狭間で揺れ、ぎこちない言葉と動作になった。
「……私達も、アルバウィスの森と……チェルシーと……先程の少年の情報を、集めましょう」
 シュードのコートからようやく手を離したナスタの白い吐息が、異国の港町の暗さを増してきた鈍色の空にふわりと混ざった。


 三人が尖った屋根のログハウスの町並みの大きな通りを歩いて町を一周すると、一時間半経って約束の十七時を回った。
 北国の夜の訪れは早く、光源にエレメントストーンを使った金属とガラスの街灯が杖を持った役人の手で次々に点されていく。白く柔らかな光が照らす中で、一行は合流した。
「悪いな、レディ達を傷付けない為にはああするしかなかったんだよ」
「貴殿の御身に何かあっては大変です、殿下。単独行動はくれぐれもお慎み下さいますようお願い申し上げます」
「……もう……おやめ下さいまし、……セージ」
 一人で現れた金髪の王子を、深緑の髪の騎士の王族への物言いの見本のような諫言とミッドナイトブルーの髪の姫君の言葉少なな窘めが出迎えた。硬い表情のシュードと何の感情も浮かんでいない顔のナスタに、肩眉を下げてへらりと笑ったセージはひらひらと両手を振ってみせる。
「ナスタが言うんじゃ、しゃあねえなあ。ん? リリィちゃん?」
 セージが覗き込んだ明るい茶髪の少女の俯いた顔は、何とも言えないものであった。眉間は強張り、頬はわずかに膨らんでいる。やや突き出た唇の両端は力が入ってへの字になっている。視線を全く合わせようとしない。ついでに言えば小さな拳をきゅっと握っている。どうやら、言いたいことがあるのに我慢しているようだ。不機嫌さを隠そうとしているようだが、その努力は実っていない。焦げ茶色の大きな瞳がじんわりと潤んだのを目の当たりにしたセージが、それまでの態度を一変させた。
「わ、悪かったって! これあげるから、勘弁してくれよ」
 そう言ってセージがわたわたと背負っていた灰色の革のリュックサックから取り出した物は、三つの白い紙の塊のようだった。中央が丸っこく、青く染められた両端は捻ってある。何か丸い物を包んであるらしい。
「し、しかし殿下、私達にこのように」
「え? あー、細かいことは気にすんなって、シュード。ほら、みんな、手出してくれよ」
 セージの手から一つずつ貰った三人は礼を言うなり、顔を見合わせた。セージに促され、リリィが妙に滑らかな手触りの包み紙を開けてみる。出てきたのはころんと丸い物体であった。黄みの強く白っぽいそれは、リリィの小指の先程の大きさである。この寒空で湿った鼻には匂いは分からなかったが、紙に蝋が染み込ませてあるのに気付いたリリィがこの球体の正体を言い当てた。
「これって……飴?」
「ミルクキャンディーって言うらしいんだ。山羊乳を使った飴なんだと。ベテルギウスは酪農が盛んだし、美味かったからさ」
 リリィちゃん達にも食べて欲しかったんだ、と小さな声で付け加えてこちらを窺い見るセージは、まるで叱られた犬のようだった。しょんぼりと伏せられた耳と項垂れた尻尾がついているかのような錯覚に、リリィは思わず飴を口の中に放り込む。
「……!」
 優しい甘みが舌の上で溶けた。このまろやかな甘さは砂糖だけで出せるものではない気がする。リリィは食べたことがない味に、何故だか懐かしさを覚えた。
「ど、どう?」
「……美味しい、です」
 ようやく視線を合わせたリリィとはにかんだ彼女の答えに、ある筈のないセージの犬の耳と尻尾がぴんと立ったように見えた。ぱっと輝いたセージの顔に、リリィの頬が思わず熱くなる。これぐらいで奔放な振る舞いを許すつもりはなかったのに――アルデバランの王子の行いを、プレアデスの一介の王家直属ヒーラーが咎め許容することは烏滸がましいかもしれないが――、先程までの怒りやら悲しみやらはミルクキャンディーと共に溶けてしまった。
「よかったー、気に入ってくれた?」
「……もう、あんなことしないで下さいね」
 その様子を見ていたシュードは、異国の飴玉一つで機嫌を直した幼馴染が心底気がかりになった。「あっ、いただきますって言い忘れちゃいました」なんて慌てている彼女が甘いものを好んでいるのは知っていたが、ここまで簡単に買収されるとは思ってもみなかったのだ。同時に、隣国の王子の妙に慣れた手腕に引いた。手のひらでころんと佇むこの飴が、この御仁が浴びせられるであろう自分達の文句を封じる為の計算された甘い餌なのか、それとも本気で味を分かち合いたくて買ってきた甘味なのか、全く分からない。ベテルギウス特産品という目の付け所もまた教養と心遣いを感じるのが何とも複雑だ。何より、セージがこういった場面を何度も作り出しているであろうことは想像に難くないのに、この手で幾度も乗り切っているように見えない彼の喜びようがシュードには不気味に思えた。考えすぎであろうか。やけに女性を喜ばせるのが上手なのは、女の兄弟でもいるからだろうか――。
(そういえば、この方は第三王子であらせられる。兄弟姉妹がいらし――)
 考え事が脱線したその時、セージがナスタに笑顔を向けた。

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