第二章 六
 少年はこちらが誰なのか気が付いたようだが、それでもドアは鎖をかけたままだった。対峙するのは初対面の人間達であり、それもわざわざ家を探し当ててきたのだから、警戒するのは当然であろう。シュードはそれには気にも留めず、だがこのアズールにおける義務教育を修了する十五歳にも満たないような子ども相手にどういった口調がいいのか思案しつつ、無難に硬い挨拶をした。
「夜分にすみません。先程、港で会った者です」
「……どうしたんですか?」
「このストラップを拾ったのですが、貴方のではありませんか?」
 シュードがナスタから受け取っていた件のストラップを差し出すと、くりくりとした少年の目がさらに大きく丸くなった。訝し気に強張っていた顔が驚愕に、それから瞬く間に歓喜に変わる。
「これ、ボクのだよ!」
「それならよかった。はい、どうぞ」
 胸を撫で下ろした深緑の目の青年が微笑んで落とし物を手渡す。サファイアブルーの目の少年は宝物を授かるように受け取り、自らの手の中で改めて確認すると、安堵と喜びでたまらない様子で満面の笑みを見せた。
「わざわざありがとう、これ、大事な物なんだ! どこで失くしたのか分からなくて困っていたんだよ、本当にありがとう!」
 紐が千切れてしまったストラップを大切そうに両手で包む少年のはしゃぎようは、ドアのわずかな隙間からでも分かった。そんなに大事な物だったのかと、四人、特にリリィはかえって申し訳ない気分になる。
「何かお礼したいんだけど……そうだ、晩ご飯を食べていきませんか?」
 今にも飛び跳ねそうな子どもが言い出したことと鎖を外そうとする様子に、四人は慌てた。いくら何でも、それは不用心が過ぎるであろう。自分達は宿を予約していないが、他国の一般人にこのような形で厄介になるつもりなど毛頭ない。プレアデス王国第一王女と近衛騎士とヒーラー、アルデバラン王国第三王子の忍びの旅なのだ。事件に巻き込みたくはないし、妙な噂になっても困る。こちらの抱えるややこしい事情に触れられた時の為に自分達の設定も作ったが、誰彼構わずに容易く明かす訳にもいかず、シュードはもっともらしい理由をつけてどうにか断ろうとした。
「えっ? いや、お家の人に訊かないと……」
 シュードのその一言で、少年の空色の短い眉が一気に吊り上がった。
「子ども扱いしないでくれる? ボク、もう十六なんだけど」
 いくつに見えたのさ、と眉間に皺を刻んだ少年の険に、シュードは「す、すみません」と反射的に詫びたのだが、間の悪いことに背後からひょっこり顔を出していたリリィの驚きの声がそれをかき消してしまった。
「えっ、君、十六歳なの!?」
「リリィ!」
 即座に名を呼んで注意したシュードだったが、空色の髪の子どもの鋭い眼差しが明るい茶髪の少女を射抜いた。ぎろりと睨まれたリリィは口を両手でばっと押さえ、「ご、ごめんなさい」と謝った。二人に挟まれたシュードが謝罪を重ねる。
「し、失礼しました」
「……ふん」
 鼻を鳴らした目の前の少年は、ドアの隙間から改めて見ても随分と小さな痩身と幼い顔立ちである。成長期がまだ来ないのか、体格に恵まれない血筋なのか、それとも別の要因があるのかは定かではないし、厚いベテルギウスの衣服では体型が分かりにくいが、ここまで華奢だと少女のようにも見える。ついでに言えば声も変声期を迎えていない子どものそれだ。あと二年で成人するようにはとても見えず、むしろ十二歳だと言われた方が信じられるのだが、彼がここまで怒るのなら十六歳なのであろう。
 しかし、未成年であることに変わりはない、やはりセージが聞いたところによる「同居している歳の離れた女性」の許可を得ねば、とシュードが口を開こうとした時だった。
「――あの、失礼ですがどなたでしょうか?」
 落ち着いていて透明感のある女性の声が、四人を誰何した。一行が振り返ると、丸太の階段の下で茶色っぽい髪の女性がこちらを困惑の目で見ている。
「夜分にすみません、私達は――」
 シュードが事の次第を説明しようとしたが、幼く明るい声が遮った。
「姉さん、お帰り! この人達はボクのストラップを届けに来てくれたんだよ」
「まあ、ストラップを?」
 少年の口から経緯を聞いた女性は驚いた様子で手を口元に当てた。そのまま階段を上がってくる。暗くてよく見えなかったが、玄関の明かりの下で見ると佇まいが分かった。額の中央で分けたセミロングで赤茶色の癖のある髪が綺麗な曲線を描いている。若葉を思わせる明るい緑色の目は緩やかに垂れていた。白く丸みを帯びた温和そうな顔の中でぽってりとした唇が目を引く。背は百五十七センチメートルのナスタよりも五センチメートル程高く、丈の長いコートを纏った体はふくよかなように見えた。慈悲深き女神とは彼女のような姿形をしているのかもしれない、と見る者に思わせるような女性だ。「姉さん」と呼ばれたその人は、一行にぺこりとお辞儀してからふわりと微笑んだ。
「わざわざありがとうございます。あの、もしよろしければ、何かお礼を」
 重ねられた申し出に、一行は戸惑いを隠せなかった。恐らくこの女性が少年の同居人であり表札の名の持ち主であるカトレア・セラフィーなる人物なのであろう。彼女までもが得体の知れぬ四人組に謝礼をしたがるとは思ってもみなかった。あのストラップがそこまで大事な物だったのかと、一行、特にリリィはむしろ謝りたくなった。
「そんな、私達はただ、落とし物を届けただけですよ」
「ごめんなさい。そんなに大切な物だったのに、あたしがぶつかっちゃったから」
「当然のことをしたまでです、気にしないで下さい」
「……すみませんでした……」
 シュードが謙遜しつつ言外に断ろうとし、リリィは素直に頭を下げる。セージは朗らか且つ爽やかに辞退しようとし、ナスタは言葉が見つからなかったのか、簡潔な謝罪と共に一礼するのが精一杯のようだった。
「その落とし物がボクのとても大事な物なんですよ、どうしてもお礼したいんです。……あ、そうだ」

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