第二章 七
空色の髪の少年は何かを思い出したような感嘆の呟きの後に、こんなことを言い出した。
「実は、色々あって晩ご飯を作り過ぎちゃったんです。ボクと姉さんだけじゃ、とても食べきれないんだ。悪いと思っているのなら、手伝ってくれませんか?」
無邪気な笑顔から繰り出された突拍子もない申し出に、一行はお互いに顔を見合わせた。何やら都合が良い話だが、偶然なのだろうか。この子が自分達を引き留めたいが為の作り話のようにも聞こえる。だが、自分達が彼らに罪悪感を抱いていることは確かだ。揺れる一行に、赤茶色の髪の女性がにこやかにもう一押ししてきた。
「ご近所さんとお夕飯をご一緒する予定だったんですけど、急用ができたんですって。あなた達に食べてもらえるなら嬉しいわ」
こうなってくると、話の真偽も分からない。それに、だんだんと謝意を無下にしているようで申し訳ない心地になってきた。逡巡する深緑と真夜中の空の色と焦げ茶色の目が明るい茶色の目に判断を委ねると、セージは一呼吸の間の後に困ったように笑いながら頷いた。
「それじゃあ、お言葉に甘えて」
「よかった! そういえば、まだ自己紹介していなかったね。ボクはリコリス」
「私はカトレア=セラフィーです。あなた達は?」
「私、いや、オレはセージです。髪の長い女の子がナスタで、この子はリリィ、こっちがシュードです」
セージに紹介された三人は会釈する。少年――リコリスは、十二歳ぐらいに見える幼い笑顔でドアの鎖を外した。
「いい名前だね、よろしく。――さあ、早く上がって。体が冷えちゃうよ」
「お隣さんのところの山羊の調子がちょっと変なんですって。一緒に面倒を見てるのだから私もお力になりたかったんですけど、大したことないから気にしないで、って。お隣さんのお隣さんは、お隣さんに悪いからまたの機会にしようか、って」
温め直したパンを盛った籠を丸太のテーブルに並べたカトレアが、二人分どころか七人分はありそうな食事の量の訳をこう語った。子どもに読み聞かせをしているような、まったりとした調子だった。
ベテルギウスでは山羊などを飼う家が多く、群れを好む生き物を近所同士で協力して世話する場合がほとんどだ。カトレア達も町外れの二軒の住民達と共同で家畜を飼育しているのだという。隣の家と柵が繋がっていたのはその為だったのだ。また近隣住民の仲が良く、食事を共にすることも頻繁にあるらしい。突然の四人組の客にも即座に用意できる部屋と食器があるのはこれが理由のようだ。
「リコリスが張り切って作ってくれたんですけど、これを聞いてしょんぼりしちゃって。ストラップのことでも落ち込んでたから、本当によかった」
カトレア達の家に上がってから十分程でできあがりつつある食卓に、一行は話の真実味を感じる。
「さっきは少しだけお裾分けしに行ってたんですよ。その間にリコリスが晩ご飯の支度をしてくれてたんです」
お隣さんかお隣さんのお隣さんは大家族なのか、それとも食べ盛りの子や健啖家でもいるのだろうか、とシュードはぼんやりと思った。北の大国のとある民家の隣家の家族構成を知る由もないが、お裾分けしても尚この量だと思うと何人で食べる予定だったのか気になってくる。一般家庭を知らぬナスタはともかく、庶民のリリィと王子なのに何故だか一般人の暮らしを多少は知っているらしいセージもそう考えていそうだ。リリィはどちらかと言えば量よりも食事そのものに気を取られているようだが。
パンとサラダ、目玉焼きにウインナーと、美味しそうな料理の数々が一行の胃を刺激する。プレアデス王国出身の三人は道中立ち寄ったベテルギウス領の憩いの小屋で初めて見た品が多い。四人が通された居間と繋がる台所からも漂ういい匂いに、リリィは思わず鳴りそうになった腹を両手で押さえた。
「はい、これで全部だよ」
幾何学模様が刺繍された紺色のエプロン姿のリコリスが現れ、クリームシチューの入った木の器を配る。湯気と共に立ち上るまろやかな香りに今度こそ腹の虫が鳴きそうで、リリィは腹を押さえている両手に力を入れて唾を飲み込んだ。
「ありがとうございます」
会釈するナスタの左に座るシュードが礼を言うと、エプロンを脱いだリコリスが「どういたしまして」とにっこり笑って席に着いた。
「リコリス君ってお料理が好きなんですね、お料理男子って感じ」
リリィが満面の笑顔でそう言うと、どういう訳かリコリスとカトレアがきょとんとして目を瞬かせた。その直後、サファイアブルーの目の少年は大きな声で笑い出し、若葉色の垂れ目の女性は眉を下げて声を立てずに苦笑いを浮かべる。
「……えっ?」
一体何が可笑しかったのか、一行には分からない。真意を測りかねる四人に、ひとしきり笑ったリコリスは悪戯が成功したようなしたり顔で種明かしした。
「ボク、一応女なんだ」
「……へっ?」
「ええっ!?」
セージがぽかんと口を開け、リリィが驚嘆にがたりと丸太の椅子を揺らした。彼女の右に座るシュードとその右のナスタは声こそ出さなかったが、呆気に取られるより他ない。
「皆が間違えるんだよね。あ、気にしてないよ? 反応が面白いからさ」
あっけからんと笑う彼――彼女は、ドアを隔てずに近くで見ても少女に見えなくもない、といった容姿であった。首はハイネックのインナーとニットで隠れているし、この服の厚さでは線の細さしか察せない。背が低くて顔立ちもあどけなくて子どもにしか見えないが、中性的だ。よくよく見れば指は少年らしからぬ細さだが、それ以外の外見上の要素に少女らしさを認識できなかった。声からも幼いことがはっきりしているが、性を判別しづらいものだったのだ。リコリスをてっきり少年だと思っていた四人はどう反応すればいいのか分からず、曖昧な苦笑いをするしかなかった。
「それより、早く食べよう。冷めちゃうよ」
「そうね、いただきましょう」
そう言うなり、カトレアは祈るように両手を組んだ。リコリスとセージも同じようにしている。シュード達三人は両手を合わせた。
「いただきます」
ALICE+