第二章 八
 じゃが芋と人参、玉葱に鶏肉、茸が入ったクリームシチューを一口飲んだリリィが、この上なく幸せそうな顔で頬に手を当てた。
「美味しいです〜」
 プレアデス王国の三人がクリームシチューとの出会いを果たしたのは三日前だったが、リリィはこの味の虜になっていた。実は四日連続で毎食のように食べているのだ。密かにナスタもこの料理を気に入っているらしく、宿で一日に一度の頻度で注文していた彼女も真っ先に木のスプーンを手に取っている。
「そう? よかった」
 向かいのリリィを見て満足そうに笑うリコリスの左で、カトレアが我が子を慈しむ母のような眼差しを向けた。
「どうぞたくさん召し上がれ。……あなた達が、昼間リコリスが会った異国の方達なんですね」
「?」
 何の前触れもない言葉に深緑の髪の青年が木のスプーンを持った手を止めると、その向かいの赤茶色の髪の女性は微笑みながら続ける。
「リコリスに聞いたんです。港で外国の恰好の方達と会った、って」
「ああ、あれはリリィちゃんが転びそうになった時にリコリスちゃんが助けてくれて」
「ご、ごめんなさい……」
 セージが爽やかに事の経緯を話せば、異国の夕食の美味しさに溶けそうな顔だったリリィがたちまちしゅんとする。「責めてる訳じゃないんだぜ」と慌てるセージの斜め右で、リコリスが苦笑いした。
「あれはいいよ、気にしていないってば。それより、『ちゃん』付けしないでもらっていい? 普通に呼んでよ」
「え、そうですか? じゃあ、リコリス」
「敬語もいいよ、ボクもそうするから」
「そうか? じゃあ、遠慮なく」
「そうそう」
 八日前の一行のような会話をするセージとリコリスの間で、カトレアが陽だまりのような笑みを浮かべた。
「不思議な巡り合わせだわ。きっと、女神様のお導きね」
 ――女神様とは、この天空に島々が浮かぶ世界を創ったとされる女神アズールのことだ。この世界にはおおまかに三つの宗教が存在する。最も信者の多い聖アズール教、プレアデス王国とミラ帝国の国教であるアズール神道、そしてアンタレス王国の国教である真アズール教だ。教義や作法などの違いはあれど、いずれも世界創造の女神アズールを最高位の神として信仰している。
(そういえば、アルバレアで教会のような建物を見かけたな。ベテルギウスは聖アズール教の国だし、食事前の手の合わせ方も……カトレアさんは聖アズール教の方か)
 アズール神道一色で育ったシュードは異文化に直に触れ、真面目くさった顔の内では興味をそそられていた。アルデバラン王国第三王子たるセージも聖アズール教信者の筈だが、彼から教わるにはどうにも気が引けていたところである。ベテルギウスの文化について知りたいことは他にもあるし、これが任務中でなければ話を聞きたいものだ、とシュードは知識欲をシチューと共に飲み込む。セージが「運命ですね」とカトレアに爽やかに笑いかけるのを「ほんとにそうですね」と頷いたリリィがちらりと見やったのと、カトレアが困ったように笑うだけで何も言わないのを自身の深緑の目で認識しつつ、ライ麦パンを千切った。
 ナスタはサラダの豆を咀嚼しつつ、リコリスの両耳を隠すように着けられた髪飾りをそっと窺い見ていた。
(……あの模様と形は……やはり、この方は……)
 ミッドナイトブルーの髪の少女は決してまじまじと見ていなかったのだが、彼女が嚥下したのと同時に視線に気付いた空色の髪の少女が不思議そうな顔を向けた。
「どうしたの? ナスタ」
 よもや悟られるとは思わず、ナスタはリコリスと合った目をすぐに伏せて上手い返しを探し始めた。人との会話に慣れていない主の危機に馳せ参じようとしたシュードだったが、庇おうと開きかけた口で逸る気持ちをどうにか呑み込む。
「……いえ、その……珍しい、髪飾りだと思いまして……」
 髪飾りを見ていたことを素直に話すと、リコリスは納得したようだった。
「ああ、これ? あ、そうだ」
 シュードが安堵する間もなく、リコリスは四人に質問してきた。
「キミ達、この髪飾りとか、ボクのストラップみたいな飾りを見たことないかい?」
 リコリスの髪飾りもストラップも、円筒形の両端を金細工で縁取り、菱形の金細工を中央に四つ並べた青紫のエレメントストーンであった。リリィは少し首を捻ってから「ううん、見たことないわ」と横に振る。セージは「本で見たことある気がするけど、実物は初めて見たなー」と記憶を辿りながら答えた。シュードはここでようやく密かに抱いていたリコリスの装飾品への既視感の理由を悟った。この飾りについて習ったことがあるのだ。だが、彼は「本で読んだことはある」と事実の一部を切り取って伝えた。ナスタはこのアクセサリーが意味することまで王族の教養として知っているのだが、どこまで正直に言っていいものか迷った挙句に「……本で、でしたら……見たことがあります」とだけ返した。
「そっか……」
 四人の返答にリコリスはあからさまに気落ちした素振りを見せたが、軽く首を振って気持ちを切り替えたようだ。
「本で見たってことは、シュード達はそういうのに興味があるのかい?」
 努めて出したような明るい声色に、三人は気まずさを覚えつつ首肯した。興味があるのはまるっきり嘘ではなかったからだ。学んだきっかけ、理由はとても明かせそうにないが。
「ちょっとだけどなー」
「ああ、そうだ」
「……はい」
「そっか、ボク達、気が合うのかもしれないね」
 とても十六歳には見えない幼い笑顔を見せたリコリスは、飾りの意味をあっけからんと四人に教えた。
「これは言霊使いの証なんだ」
「言霊使い?」
 おうむ返ししてきたリリィの傍らで、セージが「あっ、そうか、思い出した」とぽんと手を打った。シュードとナスタは内心で答え合わせをしつつ、いとも簡単に自身の秘密を言ってのけた空色の髪の少女に驚いた様子だった。目を見開いたシュードはともかく、ナスタは瞬きをしただけで、傍目からは全くそうは見えないが。
「君が言霊使い? いや、そういう大事なことを俺達に教えるなんて……」
 希少な血のことは他言しない方がいい、と言いかけた深緑の切れ長の目の青年に、サファイアブルーの大きな目が笑った。

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