第二章 九
「大丈夫、ボクはボクの知りたいことを訊く為に必要なことを言っているだけだから」
その言葉の意味を解せず、シュードは二の句が継げなかった。その隙に、リコリスはリリィに説明を始める。
「言霊使いは特殊民族の一つさ。言葉に魔力を乗せた言霊を操れるんだ」
――言霊使いは、現代アズールにおいて一つの血統しか残っていない貴重な特殊民族だ。魔力の補助に独自の札を用い、複数の意味を持つ固有名詞を言霊とする特殊術を使う。また、札を持ち歩く為の革のポーチを常に身に着け、縁取りと菱形の模様をあしらった円筒形のエレメントストーンを民の証とする。港で会った時にはコートで隠れていたが、リコリスは黄土色の長方形の革のポーチを黒いベルトで両方の太腿に一つずつ身に着けていた。
「へえ、そんな力があるのね」
素直に感心しているリリィだが、彼女が本当に理解しているのかは怪しかった。見たことも聞いたこともない能力をこの簡潔な説明だけで呑み込め、というのは無理難題であろう。リコリスはそれを承知しているのか、言及することはなかった。だが、言霊使いの少女がにこやかに発した次の一言が一行を凍りつかせる。
「ボクはリコリス・フルールス=アレスメール。フルールスとかアレスメールって、どこかで訊いたことないかい?」
「ちょ、ちょっと! 駄目だよ、リコリス!」
「さすがに真名は駄目だって!」
リリィとセージはテーブルから身を乗り出さんばかりの勢いだ。シュードは信じられない、と言いたげに顔を強張らせる。ナスタは一見すると相変わらず無表情でこれといった反応がないように見えたが、よくよく見ると目がいつもより大きく開かれていた。それもその筈、リコリスはアズール人の命とも言える真名を通りすがりの旅人に明かしたからである。禁忌を容易く犯した言霊使いに、リリィは自身を含めた世界中の人々が恐れる言い伝えを言い聞かせる。
「真名を知られたら呪われちゃうのよ!?」
必死の形相の明るい茶髪の少女に、向かいに座るリコリスは目を細めて肩を竦めてみせた。
「真名な訳ないじゃん、家名と族名は言ったけどさ」
それを聞いて、四人は胸を撫で下ろした。椅子から立ち上がらんとしていたリリィとセージは浮かせた腰をふかふかのクッションに落ち着ける。
「それに、ボクは大丈夫だから」
「……え?」
自信に満ち溢れた顔のリコリスの付け足しに、一行は耳を疑った。その真意を問おうとシュード達が口を開く前に、リコリスが四人にもう一度尋ねる。
「ねえ、本当に知らないかい? ボクに似た人を見た、とかもない?」
質問攻めするリコリスを見かね、困ったように笑っていたカトレアがやんわりと止めに入った。
「リコリス、みんなが困ってるわ」
「あ……ご、ごめんよ」
しゅんとする空色の髪の少女の左のカトレアが、「ごめんなさいね」と眉尻を下げた。
「えっと……あなた方は、他の言霊使いの方をご存じないかしら? リコリスに似てる人を見たこともないかしら」
重ねられる妙な問いに、四人は違和感を抱きつつも正直に否と答えた。
「そう……そうよね、とても珍しいのだもの、仕方ないわ。気にしないで下さいね。さあ、好きなだけ召し上がれ。おかわりも遠慮しないで下さいね」
カトレアはそう笑顔で言ったものの、十二個の椅子の半分を埋めた食卓はどことなく気まずくなった。この状況をどうにかしようと、ついでに自分達のこの町での目的を果たそうと、セージがウインナーを胃袋に納めてフォークを置くと「オレ達も訊きたいことがあるんですけど」と切り出す。
「薄い紫色の髪の女性を見たことはありませんか?」
「薄い紫?」
聞き返すカトレアの隣のリコリスが、籠からパンを取ろうと手を伸ばしながら首を傾げた。
「他に特徴はないの? まあ、薄い紫の髪なんて見たら忘れられそうにないけどさ」
そう返され、四人は答えに詰まる。何せ、プレアデス王国出身の三人はフードを被った姿しか見ておらず、セージに至っては会ったこともないのだ。返答に窮した一行の中で、シュードが自分達の設定と事実を織り交ぜながら口を開く。
「その女性はフードを被っていたので、俺達も顔を見ていないんです」
「口紅をしてたのは分かったんですけど。あとは……結構背が高かったですよ。カトレアさんよりも高かったかも。若そうに見えたけど、あたし達よりは年上な気がするなぁ」
リリィは断片的なチェルシーの特徴を呟いてシチューの最後のじゃが芋をスプーンに掬った。すると、その頼りない情報を耳にしたカトレアが声を上げる。
「ああ、もしかして」
思わぬ反応に、一行の視線が赤茶色の髪の女性に注がれる。セージとリリィは食い気味に続きを促した。
「カトレアさん、どこかで見たんですか?」
「教えて下さい! どんなことでもいいんです」
カトレアは、奇妙な反応に戸惑っているようだった。二人の勢いに気圧されつつ、心当たりを四人に教える。
「えっと……昨日だったか一昨日だったか、よく覚えていないんですけど。家の前を通って森の方に歩いていった人が、確かそんな感じだったような」
「そうですか、ありがとうございます」
「ほんとですか? ありがとうございます、カトレアさん」
曖昧な証言ではあるが、セージとリリィは喜んでいた。シュードは考え込むように手を顎にやり、ナスタは目を伏せる。
「昨日か一昨日に、森に……そう、ですか」
「……」
リコリスとカトレアは異国からの旅人四人組からあからさまに訳ありの匂いを嗅ぎ取ったであろうが、何も詮索してこなかった。複雑な事情を隠しているのはお互い様ということだろうか。こちらも異国で夕食をご馳走になっただけの姉妹の個人的なことをわざわざ聞き出すつもりは毛頭ない。
(何とも妙な縁だったが、もう会うことはないだろうし)
リリィが空気を読まずに質問しなければいいが、と懸念するシュードがシチューを完食したのと同じタイミングで、セージが陽気な声を出した。
「カトレアさん、せっかくだからシチューのおかわり貰ってもいいですか?」
「ええ、どうぞ。シュード君はどうしますか?」
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