第二章 十
シュードは咄嗟に遠慮しようとしたが、空になった器とこちらを見るカトレアの柔らかな笑顔に断るのを躊躇った。アルデバラン王国第三王子たるセージが所望したことをプレアデス王国の近衛騎士の自分が受け入れないのも気にかかる。そうなれば、この異国の煮込み料理をありがたく頂戴するより他ないだろう。
「ああ……はい、下さい」
「うふふ、嬉しいわ。作ったのは私じゃないのだけど。ナスタちゃんもリリィちゃんも遠慮しないでね」
リリィの反応は早かった。まるでそう振られるのを待っていたようだった。
「さっきの半分ぐらい下さい!」
「……で、では、私も……少し、いただけますか」
「あはは、何だかボクも嬉しいや。作ったのはボクだし」
「もう、リコリスったら」
――雪の降る北の大国での思わぬ夕食の時間は、和やかに過ぎていった。
「ご馳走様でした、とても美味しかったです」
空の皿を前に、旅の一行四人とこの家の住民の二人が手を合わせたり組んだりする。
「お粗末様でした。口に合ったのならよかった」
リコリスが満足そうに笑う。丸太を三本並べて一気に切断したような大きなテーブルの上の皿は、どれも綺麗になっている。六人で八人前を完食したのだった。
「ほんとに美味しかったよ、お腹いっぱい〜」
満たされた腹に両手を当てた明るい茶髪の少女が、満ち足りた顔を空色の髪の少女に向けた。
「そういえば、キミ達はこの後どうするんだい?」
食事中は話題にも上らなかったこちらの都合にそっと手を伸ばしてきたリコリスに、シュードが事実に極少量の設定を織り交ぜて言葉少なに返した。
「宿に泊まる予定だ。待ち合わせしている人がいるから」
「そうなんだ」
どういう訳か、リコリスは短い空色の眉を下げて笑った。その残念そうな顔は、まさかとは思うが、自分達を泊めようとしていたのだろうか。こちらも二人の事情に触れもしなかったが、あのストラップがそこまで大切な物だったのかと思うと、申し訳ない気持ちが改めてむくむくと膨れていく。同時に、二人が抱えるものの深さを感じ取った。
「オレ達、アルバウィスの森の中の憩いの小屋に行きたいんだ」
優雅な所作で北の大国の家庭料理に舌鼓を打っていた金髪の青年の陽気な声に、深緑の髪の青年の心臓が大きく脈打った。こちらに不都合な展開が始まる気がしたのだ。
「まあ、森の中の憩いの小屋? いくつかあるけど、どちらかしら」
カトレアのおっとりとした調子の悪意のない問いが、シュードの嫌な予感を的中させた。不用意に喋れば、そう遠くない内にこちらのややこしい内情を説明せざるを得なくなるのは火を見るよりも明らかだと思っていたのに。「あー……」と頭を掻いておられるこのアルデバラン王国第三王子殿下は、食後で気が緩んでおいでなのだろうか。リリィはあからさまに動揺した様子でこちらを見ているし、ナスタも表情こそ変わらないがどこか不安げな視線だけは近衛騎士に寄越している。リコリスはしまった、と言いたげな顔つきだし、カトレアは笑顔だがそれが気まずさからくる苦みを多分に含んでいるのは一目瞭然だ。乾いた笑い声が空しく聞こえる金髪の彼は自分の主ではないが今度こそは危機に馳せ参じねば、とシュードが覚悟を決めて設定の一部を明かした。
「実は、薄紫の髪の女性の落とし物を預かっているんです。彼女がアルバウィスの森の憩いの小屋に行くと言っていたのを聞いただけで、どこのとは分かりませんが、届けに行きたくて」
シュードは淀みなく言い切った。だが、この四人で何とか考え出した設定を信じてもらえるだろうか、と一行の内心で冷や汗が一筋流れるような気がした、その時。
「落とし物? キミ達、何だか拾ってばっかりだね」
怪訝そうな声の調子と表情ではあるが、空色の髪の言霊使いはそう言った。「ボクも拾ってもらったし、こんな言い方したら悪いかな」と照れくさそうに笑う彼女が本当に信じたかどうかは分からないが、これ以上詮索されずに済みそうだ。
カトレアも「そうだったんですね」と苦みの消えた笑みを浮かべたが、次の言葉がシュードの心臓を再び跳ねさせることとなる。
「外国からいらしたなら、この森は初めてでしょう?」
心配でたまらない、といった若葉色の目の女性の声色と顔に、深緑の目の青年の中で嫌な予感が鎌でも振り上げる気配がした。
「じゃあ、ボク達が案内するよ」
その刃を振り下ろしたのはリコリスだった。無邪気な笑みの幼く見える少女が、今のシュードには死神のごとく大鎌を担いで黒いマントを羽織っているように見える。そんな幻を切り払いたい一心で、シュードはすぐさま断った。
「いえ、これ以上ご迷惑をおかけする訳にはいきません」
「ええっ、別に迷惑なんかじゃないよ」
「そうですよ、困った時はお互い様でしょう?」
やけに食い下がる二人に、思わぬ加勢が現れる。
「うーん、でも、森に詳しい人が一緒だと安心だよね」
リリィだった。心の声が漏れたような小さな呟きであったが、五人の視線が一斉に注がれてばっと口を押さえる。シュードが叱ろうと反射的に口を開こうとしたが、彼よりも早く声を上げたのは嬉しそうな顔のリコリスであった。
「そうだよ、キミ達だけじゃ危ないって」
「雪が深いのはこの国だけだって聞いてるわ。魔物も出るのに、危険です」
重ねられたカトレアの言葉の中に一筋の光を見出したシュードが、すかさず返した。
「魔物がいるのなら、尚更貴方達に同行を頼めません」
そう言ってのけたシュードだったが、この文言は詰めが甘かったとすぐに思い至った。カトレアは戦えるのか見当もつかないが、リコリスは言霊使いである。彼女もおよそ戦闘向きの体格でないが、声と魔力さえ封じられなければ発現すると伝えられる特殊術の使い手なのだ。そもそも、このアズールでは魔力を持ち人に危害を加える生き物――魔物と戦う術を持つ者が多い。王族たるナスタとセージも、非戦闘員とされるヒーラーのリリィもそうだ。もっとも、リリィは生き物を傷付けることに強い抵抗を覚えているらしく、補助と防御と回避しかしないのだが。
案の定、光に縋ろうとしたシュードの手はリコリスの不機嫌そうな声に容易く振り払われる。
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