第二章 十二
 あんなに親切な人達だもん、と続けたヒーラーの少女に、アルデバランの王子とプレアデスの姫君が無言で同意する。それを見届けたプレアデスの近衛騎士が深く首肯した。
「では、私達は日が昇ったらすぐに出立しましょう。……二人には不義理を働くことになりますが、危険な目に遭わせる訳にはいきません」


 北の大国の日の出はプレアデス王国やアルデバラン王国よりも随分と早いと宿の主人に聞かされた四人は、今夜は早く休むことにした。
 このログハウスの宿の壁や床は木の節目がそのまま活かされた板張りで、家具の下に緻密な幾何学模様の毛織物の絨毯が敷かれていた。暖炉はレンガ造りである。そういえば、カトレアの家も似たような造りであった。小さな化粧台や机、それらと対になる椅子とスツールの他には木製のクロゼット、棚と二組のソファーとローテーブルがある。壁には蝋燭の代わりにエレメントストーンを使ったガラスのランプと幾何学模様のタペストリーが掛けてあった。この赤や緑、黒などを使った幾何学模様はカトレアの家でもクッションや絨毯にあしらわれていた。茶色や白の丸太によく合うこの模様は、どうやらベテルギウス特有のものらしい。家具は丸太をそのまま、もしくは大きく切り出したのを使った物が多いようだ。待合スペースで騎士達が座っていたのも、焦げ茶色の樹皮の丸太を組み合わせた四人掛けのソファーだった。同じ木製でも細やかな造形、漆塗りの調度品が多いプレアデス城を思い出すと、自分達は異国にいるのだと改めて実感する。
 風呂上がりのリリィ達はベテルギウスの服で寛いでいた。着慣れたプレアデスの衣では、暖炉に火のある部屋でも心許なかったのだ。リリィは暖炉の前のソファーに座り、照明用の杖をくるくると弄びながらナスタに話しかける。
「リコリスもカトレアさんも、いい人でしたね。あたし達に晩ご飯をご馳走してくれるなんて」
「……そう、ですね」
「あのストラップ、形見って言ってませんでしたか? それはほんとに大事な物ですよね。あたしがぶつからなければ落とさなくて済んだのに、酷いことしちゃったかも……」
 リリィは港での出来事を思い出してしゅんと項垂れる。化粧台の前で長い髪にヘアオイルを塗って梳りながら話を聞いていたナスタが、ふと髪を結い上げ始めた。真夜中の空の色彩の毛先が花の甘い香りをふわりと広げる。
「あれ? ナスタ様、お出かけですか?」
 ナスタが髪を下ろしたまま人に会うことはないと知っているリリィが、首を傾げる。
「……シュードの元へ……行って参ります。留守を……頼みます、リリィ」
「はい、お留守番してますね」
「……それと……」
「? 何ですか?」
「……様、と、付けては……なりませんよ」
 リリィがばっと口元を両手で押さえると、ナスタの高々と結い上げられたポニーテールがさらりと揺れた。


 ナスタが男性陣の泊まる部屋のドアをノックしようとしたところで、扉が開いた。
「うわっ! だ、大丈夫? ぶつかってない?」
 開けたのはセージだった。不意を突かれ、慌てた様子でミッドナイトブルーの髪の少女を気遣う。彼女がこくりと頷けば、端正な白い顔はほっとした表情になった。
「どうしたんだい? オレはリリィちゃんに用があるんだ、ちょっとお邪魔するね」
 寒っ、と大袈裟に震えながら入れ違いに出ていく金髪の青年をナスタが会釈して見送ると、深緑の髪の青年が「こちらにどうぞ」とソファーを勧めてくる。導かれるままに腰かけると、ドアに鍵とチェーンロックをかけたシュードが下座のソファーに腰を下ろして訪問の訳を尋ねてきた。
「いかがなさいましたか、ナスタ様」
「……その言葉遣いは、いけませんよ」
「っ……失礼いた、……すみません」
 この七日間で恒例になったやり取りを終えると、ナスタは用件を述べだした。
「……リコリス、の、こと……ですが」
 空色の髪の言霊使いの名を耳にするなり、シュードの真顔がどことなく気まずそうなものに変わる。
「……あの方の、家名は……古代アズール語で、花という言葉の一つに……似ていますね」
 その話か、と安堵の軽く息を吐いたシュードは一つ首肯した。今でも十二歳ぐらいにしか見えない彼女の言動を一つ一つ思い出しながら返事をする。
「フルールス、と名乗っていましたね。ということは、リコリスの言霊は……」
「……花言葉、でしょうか」
 ナスタが導き出した推測に、シュードは首を縦に振った。
 ――言霊使いが特殊術に用いる言葉は、花言葉や石言葉などの異なる意味を併せ持つ固有名詞とされる。一個人は一つの系統の能力しか受け継げないらしいが、リコリスの家名は古代アズール語で花の意味を持つ単語の一つに酷似していた。察するに、彼女は花言葉を用いる家系の生まれなのであろう。稀有な能力の持ち主にこのような所で出会えると思ってもみなかったシュードは、密かに好奇心をくすぐられていたのであった。
「もしも叶うならば一度はこの目で言霊使いの特殊術を見てみたいものですが、私達には任務があります故」
「……そう、ですね」
 このアズールで一つの血統しか残っていない特殊民族に、一生涯で再び巡り合うことはないかもしれない。貴重な機会を逃さざるを得ない現実にシュードが落胆の声色で嘆くと、ナスタの平坦な筈の相槌もどことなく残念そうなものに聞こえた。自分の気持ちを表すことのない主が特殊民族に興味を持っていることなど知る由もなかった深緑の髪の騎士は、真夜中の空のような色の髪の姫君の内面を垣間見た気がして、少しだけこそばゆい心地になる。
(ナスタ様も、特殊民族に関心がおありなのだろうか)
 シュードの心の動きを知ってか知らずか、ナスタが何やらいつもより言いにくそうに話を切り出した。
「……あの、……もう一つ……ございます。……あの方達は……血が繋がっているようには……見えないのですが……」
 躊躇いがちなその声は、シュードの凛々しい顔に薄い影を落とした。ナスタの美しい無表情にも、戸惑いの色が仄かに混ざっているように見えるのは気のせいだろうか。シュードは他に誰が聞いている訳でもないが、内容が内容だからか、自然と声を潜めて自分の推理を主に打ち明ける。

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