第二章 十七
 シュードが柔らかく笑うカトレアにも抱いた罪悪感を隠して挨拶すると、彼女の後ろから小さなものがひょっこりと顔を出した。首に赤や橙などの混じったツイードのリボンをつけ、超が付く程の大輪の赤い薔薇らしき花を頭に乗せた人間の子どものようだが、背丈はカトレアの膝までぐらいしかない。目は縦長の白目のない黄色で、肌は黄緑色と緑色である。人ではない、魔物だ。それを見たリリィが歓声を上げ、シュードがその名を呟く。
「わあ、可愛い〜!」
「ドーリィローズ?」
 ――ドーリィローズとは、このアズールに広く生息する植物型の魔物だ。体長は五十センチメートル程で、十枚前後の葉と薔薇に似た巨大な花をつけた頭部が特徴である。人のように二足歩行をし、腕からは蔓状の触手を、足からは根を生やすこともできる。花の色はオレンジや白など豊富で、中には花びらに縁取りや斑模様がある個体もいるのだが、その法則や理由は判明していない。性質はとても大人しく、植物のように水と大地の養分、日光を糧に生きる。人の子のような体型と愛くるしい外見から人気が高く、ぬいぐるみなどのモチーフになるだけでなくペットとして飼育する人もいる程だ。亜種に向日葵に似通った花を持つドーリィソレイユ、ポピーのような花を咲かせるドーリィポピー、ガーベラにそっくりな花をつけるドーリィガーベラなどが存在する。いずれも属性は無で火属性を弱点とする種族だ。
「この子はルージュって言うんですよ」
 紹介されたドーリィローズのルージュの花は目の覚めるような鮮やかな赤であった。古代語で赤を意味する単語の一つが名前の由来か、と内心で納得するシュードの前で、リリィが嬉しそうに近づく。すると、ルージュはとことこと出てきて小首を傾げ、小さな口をにぱっと開けて短い片腕を上げた。人が挨拶する時の仕草そのものだが、カトレア達と共に暮らしている内に覚えたのであろう。明るい茶髪の少女は小さな子どもに接するようにしゃがんで目線を合わせると、「おはよう〜」と同じように片手を挙げて挨拶を返す。ナスタはその場を動かないが、夜空を落とし込んだガラスのような無機質な目の光がいつもより輝いているように見えるのは気のせいであろうか。
「へえ、可愛いですね。この子、小っちゃく見えますけど、子どもですか?」
 顔を綻ばせたセージの質問に、魔物の仔を抱き上げたカトレアが母親のように頷いた。
「ええ、幼体です。去年、家の近くで迷子になっていたのを保護したんですよ」
 四十センチメートル程の体長のルージュはカトレアにしがみつくように両腕を伸ばして頬を摺り寄せ、カトレアは目を細めてもう片方の頬を慈しむような手つきで撫でている。種族の壁を越えて本当の親子のような仲睦まじさに、一行の頬も緩んだ。リリィに至っては顔が溶けそうである。
「山羊達はお隣さん達にお願いしたけど、この子は置いていけないから連れていくわ。よろしくお願いしますね」
 魔物の仔も同行すると聞かされたシュードが硬直したのを見て、リコリスが先手を打って口を開いた。
「大丈夫だよ、ルージュも戦える。ボク達は森の魔物ぐらい返り討ちにできるんだよ」
 そう言って自信ありげに腕を組んだリコリスの所持品に武器は見受けられないが、彼女は言霊使いである。少なくとも魔術は扱える筈だ。リュックサックに何か入っている可能性もある。カトレアが脇に抱えている杖は彼女の背丈程の長さで、頭には双四角錐型で赤紫色の大きなエレメントストーンが飾られ、その頂点と辺を黒い金属が覆っている。人の頭以上の大きな物は入手が困難であるから、同じ色と形のエレメントストーンを四つ程組み合わせているのかもしれない。所々に白い菱形のエレメントストーンがあしらわれ、黄土色の柄との対比が鮮やかなその杖は、振り回せば牽制にはなりそうな代物だ。ドーリィローズも庇護欲をくすぐる姿形と温和な気性を持つが、魔力を持ち人に危害を加える魔物と称される生物である。伸ばした触手や撒き散らした花粉で毒を与える術を備えているのだ。千五百年の歴史を誇るプレアデス王国の記録では、報告数は片手で事足りるが人を襲った例もある。リコリスの言葉は嘘ではないのかもしれない。
 だが、それでもやはり三人が戦闘できるとはとても思えず、シュードは硬い無表情で沈黙するしかない。その反応に、空色の髪の少女はやれやれと腰に手を当てた。
「仕方ないな、その目で見ないと信じられないの? まあいいや、キミ達はどこの宿に行きたいんだい?」


 地図と地元に住む二人の助言を元に、一行はアルバウィスの森の中央に向かいつつ道中の憩いの小屋を順に回ることにした。まずはアルバウィスの森の最南端にある宿を目指す一行は、雪を踏みしめていく。絨毯に乗って進むことを考えていた一行だったが、リコリスがこう言ったのだ。
「森の木は背がとても高いから、高度を上げなきゃ飛べないよ。うっかり落ちたら痛いと思うけど」
 アルバウィスの森には道ができていたが、絨毯での通行にはいささか狭いように思えた。向こうからいつ誰が来るか分からないのに、すれ違うことも難しそうである。さらに、この森を構成する木の樹高は大きなもので五十メートルにも及ぶ。枝に引っかからずに飛行するにはそれ以上の高さが要求されるが、それは落下した時のダメージの大きさにも繋がるのだ。どう考えても痛いだけでは済まない。そのリスクと雪道の危険性を天秤にかけたシュードは、徒歩での移動を決めたのだった。
 二人と一体を加えた一行が歩き始めて一時間が経過したであろうか。先頭を行くリコリスが突然足を止めた。
「どうしたの? リコリス」
 リリィが不思議そうに尋ねると、半分振り返ったリコリスが口元に人差し指を立てた。
「静かに。……魔物が襲い掛かってきそうだ」
「えっ」
「ええっ!?」
「……静かに、って言っただろ」
 控えめに驚いたセージの前で素っ頓狂な声を出すリリィに、リコリスが呆れたような口を利く。その台詞が終わると、彼女のサファイアのように青く大きな目が睨む先から獣の唸り声が聞こえてきた。それも複数である。

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