第二章 十九
「〔武装の準備ができた(グラジオラス)〕」
古代語で小さな剣の意を持つ文目に似た花の名に、言霊使いの札がまた青紫色の光を放つ。リコリスが指で札を挟んだまま左手を頭上に掲げると、光は八つに分かれて菱形の頂点と一辺の中央に並んだ。札に込められた魔力が、グラジオラスをあしらった全長三十センチメートル程の光の剣に変化する。リコリスが左手を下ろして札で魔物を指し示すと、八振りの小さな光の剣は宙を走って無抵抗の魔物に突き刺さった。断末魔の叫びを上げて事切れた魔物にリコリスは鼻を鳴らすと、シュードをぱっと顧みる。
そのシュードは二人が魔物を倒すまでじっと魔物と睨み合っていた。抜いた剣の切っ先をちらつかせはするものの、敵を一筋たりとも斬りつけてはいない。メンバーの戦況を把握しつつ、対峙する個体が誰かの元へ行かぬように牽制していたのだ。
セージとリコリスがそれぞれ勝利した今、シュードの役目には五人と一体を守ることに目の前の敵を倒すことが加わる。
周りに気を配っていたシュードが眼前の狼型の魔物に集中したタイミングで、誰かの魔術が相手の頭上で発動した。
(ルージュか)
シュードが察した通り、魔物に襲い掛かっている魔力の持ち主はルージュであった。黄色の微細な粉状の物が大量に魔物に降り注ぎ、標的が煙たさのあまりにくしゃみをした途端、四肢が震え始めた。無属性の攻撃魔術、〔パラライズポーレン〕だ。対象の体力はほとんど削れないものの、直ちに体を痺れさせる花粉はドーリィローズの身を守る術の一つである。脚を奪われたのも同然の狼型の魔物に、シュードの長剣が雷属性の魔力を纏って一閃する。
「〔サンダーブレード〕!」
鋭い踏み込みと共に放たれた斬撃に、魔物の胴が深々と切り裂かれる。新雪に体を埋めて動かなくなった魔物の息が絶えたのを目視で確かめた深緑の髪の青年は、血振るいをして剣を収めた。
「……これで終わりか。皆さん、お怪我はありませんか」
「オレは平気だ」
「私達は無事です。あなたこそ大丈夫? シュード君」
身を翻して五人と一体の元へ戻る深緑の髪の青年に、鮮やかな金髪の青年と赤茶色の髪の女性が答える。問いを返すカトレアの左肩でルージュがにぱっと口を開けて片腕を上げるのを見て、シュードの口角に入れた力がふっと抜けた。
「問題ありません」
わずかながらも緩んだ頬とは対照的に硬い口調で返事をしたシュードに、空色の短髪の少女がにんまりと両手を腰に当てる。
「キミ達、ちゃんと戦えるみたいだね。でも、これでボク達もできるのは分かっただろ?」
見せつけてやったと言わんばかりのリコリスに、セージが鼻を高くしつつ素直に賛辞の言葉を贈る。
「へへーん、まあな。リコリスもやるじゃん、こんな雪道であんな速く動けるなんてさ。にしても、言霊使いの特殊術なんて初めて見たぜ。なんつーか、感動したよ」
「花の名前が言霊になるのか。相手の弱体化に長けているように見えるが」
リコリスはセージの称賛とシュードの疑問に同時に答える。
「そっちもね。そう、ボクは花言葉が専門だからさ。相手を状態異常にして弄ぶのが楽しいんだよね」
けらけらと笑うリコリスに、どことなく硬い顔のリリィが歩み寄った。何事かとサファイアブルーの目の少女が尋ねれば、焦げ茶色の目の少女は視線をリコリスの右手に送る。
「指に怪我してるわ。あたしに診させて」
「ああ、これ? よく気が付いたね。診させてって、治せるのかい?」
「うん。あたしはヒーラーだから」
へえ、と感心と驚きが混じった短い感嘆と一緒に差し出されたリコリスの握られたままの右手を取ったリリィは、その細い指を改めて見る。中指の二つ目の節に小さな切り傷があった。リコリスは一度も敵の攻撃を受けなかったから、これは相手の爪や牙で負ったものではない。魔物の毛皮に何か固い物がくっついていたのかもしれない。
「手を使うんじゃ、お薬は邪魔になっちゃうよね。治癒術でもいいかな?」
「いいよ。こんな傷に包帯なんて巻かれても困るし」
ヒーラーの少女は言霊使いの少女の了承を得ると、杖を左腕に抱えたままで目を閉じた。
「――〔ヒーリングミスト〕」
すると、どこからともなく現れた霧がリコリスの手を包んだ。癒しの効果を持つ水属性の特殊術とたちまち治っていく傷を目の当たりにして、リコリスはリリィを――いや、彼女の髪飾りを見る。すると、ああ、と納得したらしい声を出して軽く頷いた。
「やっぱりキミは霧の民か」
「えっ、やっぱりって?」
セージの虚を突かれた様子に、リコリスはあっけからんと答える。
「その薄くて透ける布は霧の民の証だって、昔、本で読んだからさ。昨日見た時からそうかなと思っていたんだけど」
「そういうことか」
腑に落ちるシュードの前でリコリスはリリィに「ありがとう」とにっこり笑うと、何故だか得意気な顔つきになった。
「リリィはヒーラーなんだね。姉さんはセラピストなんだよ」
――セラピストとは、アズール全域で共通の国家資格の一つだ。ヒーラーと似た職業ではあるが、相違点がある。治癒魔術学や薬学よりも、心理的なケアの知識や技術に重点を置いているのだ。必ずしも戦場に赴かず、病院や教会で傷付いた人々の心を癒す者も多い。リコリス曰く、カトレアもアルバレアの教会でセラピストとして時々働いているとのことだ。
「そっか、だから癒し系な雰囲気してる訳だ」
セージが真面目な顔で何度も頷くのに、当のカトレアは「そうかしら」と恥ずかしそうに微笑んでいる。リコリスはシュードとリリィがセージの思惑が読めずに戸惑っているのを知ってか知らずか――かくいう自身もどういうつもりで発言したのだろうかと思っている――、シュードの背に半ば隠れるようにして佇むナスタに声をかけた。
「ナスタ、ボクの持っている物が何か気になるかい?」
「……はい」
そう返すのが精一杯のナスタは、戦闘が終わってからリコリスの右手をずっと見ていたのだった。彼女の手は負傷していただけでなく、魔物の胴体に拳を一発撃ちこんでからは何かを握ったままである。黒い革の手袋からちらりと覗くそれが一体何なのか、興味をそそられていたのはナスタだけではなかった。
「あ、あたしも気になってたの」
「実はオレも」
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