第二章 二十
「……リコリス、今度は何を手に入れたの?」
眉を下げて苦笑いを浮かべるカトレアの口ぶりから察するに、リコリスが敵から何かを奪ったのはこれが初めてではなさそうだ。リコリスに呼びかける直前の不自然に開いた間には「もう、リコリスったら」といった調子の窘める台詞でも入るのではないだろうか。咎めはしないが強盗を快く思っていないらしいカトレアの困ったような様子を意に介さず、リコリスは手を開いた。
「エレメントストーンだよ。あんまりいい物じゃなさそうだけど」
現れたのは、ほのかに水色がかった乳白色のエレメントストーンだ。細長く丸っこく、滑らかな表面はつやつやとしている。言霊使いの少女の手の中に納まる小さな魔石でも、その名が示す通りに魔力を有していた。
(……氷属性のものだな)
「〔ハンティングブロウ〕は相手の持ち物を盗める体術だからね。ついつい使っちゃうんだ」
命のやり取りをする最中で持ち物までも、それも恐らく相手が体内に宿していたエレメントストーンを「ついつい盗んでしまう」と悪びれもせずに言ってのけるリコリスは、随分とシビアな価値観を持っているようだ。実年齢よりも成熟していそうな言動は、その幼い外見には何とも似つかわしくないものであった。ついでに言えば、彼女より一つ年上のリリィよりも余程しっかりしているらしい。非戦闘員として現場に出た経験がほとんどない王家直属のヒーラーと、隣町へ行くだけで魔物と遭遇する庶民とでは、こうも変わってくるものなのだろうか。
「へえ、そんな体術があるのかー。何かコツとかあんの?」
セージが強奪行為に興味を示すので、シュードは制止しようとした。いくら魔物相手とはいえ、所持品が欲しいが為に傷付け、時には生命ごと奪うなんて、とても一国の王子のすることではないと思ったのだ。しかし、こちらの事情を伏せている二人と一体の前で失言する恐れが深緑の目の青年の口を封じた。シュードの葛藤は表に出ることはなく、リコリスはにっこりと十二歳ぐらいにしか見えない顔で笑った。
「教えてあげるよ。でも、歩きながらね。早くしないと日が暮れちゃうよ」
――この後、セージは相手の持ち物を盗む効果を持つ無属性の体術〔ハンティングスピア〕を完成させたのであった。
六人と一体がアルバレアを発って四時間後、一行はアルバウィスの森最南端の憩いの小屋に到着した。シュード達四人が深い雪道に悪戦苦闘し、また先程の戦闘の後に再び魔物と遭遇したので、当初の予定より一時間程遅れてしまっている。ベテルギウス共和国では昼食の頃合いをとうに過ぎており、この北の大国に住む二人も慣れない雪道に疲れた四人もすっかり空腹である。ルージュもそうかもしれない。発声器官を持たないドーリィローズは顔や体全体で体の状態や感情を表すが、心なしか頭の葉がくたりと萎れているような気がする。
(ここは中央部じゃない、あの女がいるとは思えないが……用心するに越したことはないな)
ロビーに入ったシュードは目だけを動かして素早く辺りを見回したが、受付に係員がいる他は誰もいない。幾何学模様のタペストリーが飾られた食堂のドアの向こうからも人の声はしなかった。宿泊客ならばいざ知らず、自分達のように食事の為に立ち寄る者はこの時間では稀なようだ。プレアデス王国ならば十一時過ぎは少々早い昼食の時刻なのに、とシュードは懐中時計の蓋を閉じながら思った。
「シュウ、お腹空いたよ〜……」
情けない声を上げるリリィの腹は、実は道中何度か鳴っていた。初回はリコリスに指摘されて真っ赤になったのをカトレアがフォローしてくれたが、その後は全員が聞こえてもなかったことにしたのである。からかう余裕がなかった、あるいはそっとしておいたと表現した方が適切かもしれない。空っぽの胃が食物を望んで聴覚に訴えかねなかったのはリリィ以外の五人も同じだったのだ。彼女の前後にいるナスタとセージの白い頬と鼻先はすっかり赤くなっていて、見る者に二人を暖かな部屋で温かな物を食べさせたいと思わせる有様だ。
「先にご飯にしないかい? リリィもこんな調子だしさ」
手を腰に当ててそう言ったのは疲労の色のないリコリスだ。彼女も厳しい寒さで顔のあちこちが赤らんでいるが、先頭で一行を導き、その真後ろを歩くカトレアと共に転びそうになった者を助けていたのであった。この滑りやすい悪路と体を動かしていても尚震える寒さだというのに、さすがは現地の民と言うべきか。一行の中で一番の敏捷性を誇るらしいことがたった二回の戦闘で判明した言霊使いは雪のない場所ではどれ程の動きをするのだろうか、とシュードは密かに考えながら、かじかんだ手でコートの襟を正した。
「そうだな。皆さん、食事休憩にしましょう」
北の大国では遅い昼食を取った一行は、憩いの小屋を後にした。固形物を経口摂取できない植物型の魔物のルージュは、人間達の食事中に宿の外で足から伸ばした根で大地からの養分と水分補給を済ませていて、この厳しい寒さでも元気そうである。ドーリィローズの幼体を抱き上げてカトレアの背のリュックサックの上に乗せてやったリリィは、先程とは打って変わって笑顔であった。ここでもクリームシチューを注文し、お腹いっぱいに食べることができたのである。ルージュの首のツイードのリボンを直すと、ルージュがにぱっと笑うように口を開けて片腕を上げるので、リリィはさらに相好を崩して片手を挙げて返した。
「結局、ここにはいなかったっぽいな」
頬と鼻先の赤みが消えたセージが軽いため息のように呟いた通り、アルバウィスの森最南端の憩いの小屋には薄紫の髪の女の姿はなかった。受付係と食堂の料理人にも訊いてみたが、目撃情報もない。宿側が客のプライバシーに配慮している可能性も捨てきれないが、あるいはこの宿には立ち寄っていないのかもしれない。
「中央部に行くって言っていらしたのなら、ここで会えなくても変ではないものね」
だから落ち込まないでね、と言いたげに微笑んだカトレアの言葉に礼を言って軽く会釈したシュードは、ふと閃いた。
(そういえば、あの女、小屋のどこでどう待っているというんだ?)
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