第二章 二十二
「靴擦れ、きっと酷いでしょ? 手当てしに来たの。シュウもセージ殿下も、あたしに見せて下さい」
 プレアデス王家直属のヒーラーにそう言い出されては、こちらも断る理由などない。シュードは座っていたソファーをナスタに譲ってから化粧台のスツールに腰かけて「すまない、頼む」と、セージはソファーに座したままで「助かるよ、よろしくな」と、それぞれ厚い靴下を脱ぎだした。
 明るい茶髪の少女は金髪の青年の足元にちょこんと膝をつくと、彼の白くてほっそりとした足を取って診察を始めた。傷の具合を確かめると、腰の鞄から液体の入った小瓶やらガーゼやら、治療に必要な物を取り出して傍らに並べていく。軟膏を塗るのも包帯を巻くのも、無駄のない所作であった。あっという間に手当てが終わり、セージがリリィに促されるままに足首を回してみると、適度にきつく巻かれた包帯が動作を大きく邪魔することもない。
「今夜はもう休むだけですし、なるべく歩いたりしないで下さいね。あと、足を高くして寝て下さい」
「分かった。ありがとな、リリィちゃん」
 リリィはシュードの足元に移動し、彼の大きな足を診る。蒸留水で濡らしたガーゼで患部を拭うと、シュードが口を開いた。
「ナスタ様は手当てを受けられましたか?」
「……はい」
「そういや、ナスタ、君はどうしたの? オレ達に何か用があるんじゃないの?」
 リリィがてきぱきと手当てしているのをじっと見ているナスタにセージが声をかけると、姫君は三人が予想だにしないことを口にした。
「……シュード。……私にも……戦わせてはいただけませんか」
 シュードは衝撃のあまりに絶句してしまった。リリィは軟膏の入った容器の蓋を開けようとした体勢のままで固まり、セージがややあって突拍子もない要望の訳を尋ねる。
「えっと、ナスタ、どういうこと?」
 すると、ミッドナイトブルーの髪の少女は途切れ途切れながらも話し出した。
「……その、今日の戦闘は……四回、でした。しかし……いずれにも、参加させていただけませんでした……から……」
 言葉を慎重に選んでいるような話し方はいつもの調子のナスタの控えめな彼女らしからぬ言い分に、シュードの表情は変わらない。いや、本人は眉間に皺が現れないようにしているつもりなのだが、顔のあちこちに力を入れていることで強張り、真顔の硬度が増している。それを見たナスタの声はどんどん萎縮していき、語尾は消え入るようだった。普段から伏しがちの長い睫毛も次第に下向きになっていく。
 ナスタの言う通り、今日の四回あった戦闘では、姫君だけが不参加だった。常に四人が戦いに臨み、シュードの指示の下にメンバーを入れ替えて各個人の負担軽減に努めていたのだが、彼女は全て戦線から離れるように言われていたのだ。シュードがこっそりしていた配慮に、ナスタは気付いてしまったらしい。
「いやー、でも、ナスタは戦わなくてもいいんじゃないかな? 非戦闘員のヒーラーのリリィちゃんとセラピストのカトレアさんにだって戦ってほしくはないんだけどさ」
 セージがシュードに代わったように諭してみると、ナスタは意思を折られたかのように視線を床に落としてしまう。それを見たリリィが、シュードの靴擦れに軟膏を塗りながら咄嗟に庇うように話し始める。
「あの、あたしが参加したのは、リコリスにあたしの戦い方を見せて欲しいって言われたからですよ。きっとナスタ様のも見たいって思ってるでしょうし、一回だけならいいんじゃ……」
 リリィの言うことにも一理あった。各個人の戦い方や得意不得意を事前に共有し、また実際に共に交戦することで、一行が戦闘を有利に進める為の情報を得られるのだ。シュードが共闘の為にリコリスとカトレア、ルージュの能力を把握したいと考えたのだから、彼女達もまたシュード達の実力を知りたいと思うのも妙な話ではない。それに、頑なにナスタを戦いの場に立たせなければ、リコリス達から不審に思われるだろう。既に疑われていたとしてもおかしくはない。小さな不信感が戦闘における連携を乱し、敗北に繋がることもあり得る。
 だが、それでもシュードはナスタに戦わせたくなかった。初陣となった空船での魔物との戦闘後、姫君はしきりに自らの白い手のひらを見つめていた。滅多に心情を零すことのないナスタが何を感じたのかは分からずじまいだが、思うところがあったのは間違いない。それに、自国の王女を戦場に立たせるなど、近衛騎士たる自分が許せなかった。プレアデス王家に武術を習うしきたりがあるのも、それに倣ってナスタが八歳の誕生日の翌日から稽古をしているのも、彼女の武芸の筋の良さも、シュードは知っている。だが、主である王族を守ることが近衛騎士の役目だ。その自分が共にいながら、命の危機のある戦闘にわざわざ参加させて、万が一のことがあったら――考えただけで自刃したくなる。剣は二組のソファーの間の丸太を両断したようなローテーブルの上に置いてあるのに、右手が無意識に左の腰を探ろうとする程には。
 ヒーラーの援護を受けたプレアデスの姫君はそっと近衛騎士の顔を窺い見たが、彼の唇は真一文字どころかへの字になりつつあり、切れ長の目が湛える光はいつになく鋭い。石像のように硬質なこの真顔には眉間に皺がかろうじてないぐらいで、険しいと言っても過言ではない。ナスタはシュードの目を見ることもできずに、ぱっと目を逸らして俯いてしまった。
 シュードは威圧したつもりなど毛頭なかったのだが、いずれ一国を統べる筈の主が家来の一人でしかない自分の表情に怯えてしまったことに気付き、咄嗟に詫びる。
「申し訳ありません、ナスタ様。私はその、怒ってなど……」
 だが、ナスタは「……いえ……」とか細い声で返すだけで、視線をシュードの腹の辺りから上に向けようとしない。セージがぱちくりと瞬く前で、リリィが手早く包帯を結んで余分を切るとナスタの足元に膝をついた。
「大丈夫ですよ、ナスタ様。シュウは怒ってなんかいません。ナスタ様が心配なんです」
 リリィが眉を下げて微笑みながらそう言うと、ナスタは膝に置いた自らの両手を見ながら「……はい」と返した。
 何とも気まずい空気が漂い始めたのを察知して、セージが話を元に戻す。

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