第二章 二十三
「っと、ナスタ。じゃあ、明日は一回目だけでも参戦してみるかい?」
 セージまでもがそう言うので、シュードは短い呻き声を漏らしそうになるがぐっと耐えた。不可抗力ながらミッドナイトブルーの目の姫君を怖がらせてしまったことに負い目はあるが、だからといって断じて姫君が戦うことを承諾した訳ではないのだ。
 だが、深緑の目の騎士の頭の中で駆け巡る文句の数々を、明るい茶色の目の王子の一言が呑み込ませる。
「ナスタは確かに王女殿下だけど、それを言ったらオレだって一応王子だしな」
 シュードはぐうの音も出なかった。他国のであろうとも、セージもれっきとした王位継承権を有する人物である。本人が発した一応などという言葉は全くもって不要な、もしもその御身に何かあったら国際問題に発展しかねない御仁なのだ。それ故に、シュードは幾度も、直近では昨夜にも「殿下は戦闘に参加なさらずともよいのですよ」と進言した。だが、空船で彼を戦闘要員として数えてしまったことが仇となったようで、セージは「気にすんなよ」と笑いながらも言外に拒んでいたのだった。加えて「リコリス達に怪しまれちまうだろ」と片目を瞑られ、おまけに今日は自らセージを戦場に駆り出してしまったシュードには打つ手がない。プレアデスの近衛騎士は弁の立つ方ではないと自覚していたが、今この時程己の口の回らなさを呪ったことはなかった。
 そこに、焦げ茶色の目のヒーラーの無慈悲な追い討ちがかけられる。
「ねえ、シュウ、一回だけでも駄目?」
 リリィはじっとこちらを見上げてくる。何かあればたちまち潤んで揺れそうな大きな瞳はか弱い小動物を連想させた。形勢は圧倒的に不利だと悟ったシュードは敗北の予感がちらつくのを覚えながらも、最後の砦たる自分が退く訳にはいかない、と足を踏ん張ろうとした。
「……実戦経験に乏しい私では、……お役に……立てないかもしれませんが……」
 北の大国の内装の部屋の中を過ったのは、ナスタの小さくて静かな、今にも震えそうな声だった。暖炉の火が勢いよく燃え上がったらかき消されてしまいそうなその声でナスタ自身を否定するようなことを言われて、シュードの中で抗う術が霧散した。数秒前の決意は一体どこに行ってしまったのか。魔力が出ていきそうなため息を吐きたいのを堪えて、シュードは一度目を閉じた。
「……では、明日の戦闘にはナスタ様に参加していただきましょう。ただし、くれぐれもご無理はなさらぬよう、重ね重ねお願い申し上げます」
 シュードが瞼をゆっくり開くのと同時に出した言葉に、ナスタの視線が彼の顎の辺りにまで上がった。美しい造りの顔には相変わらず感情が浮かばないが、ナスタは頭を垂れる。扇のような睫毛が震えたように見えたのは、気のせいであろうか。
「……ありがとうございます……シュード」
 臣下の一人に丁寧に頭を下げるプレアデスの姫君に、近衛騎士は「どうかお顔をお上げ下さい」と慌てる。彼女が元の姿勢に戻ると、アルデバランの王子とヒーラーが声をかけた。
「よかったな、ナスタ。けど、絶対に無茶しないでくれよな」
「そうですよ、危ないことはなさらないで下さいね」
「……はい」
 ナスタが返事をすると、リリィは立ち上がった。それを見たナスタもソファーから腰を上げる。二人の用は済んだらしい。
「じゃあ、あたし達はこれで」
「ああ。リリィ、助かった。ありがとう」
「ありがとな、リリィちゃん」
 シュードとセージも立ち上がり、二人を見送る。ただ、真顔のシュードの声は少し掠れてどことなく重かった。疲労や足の痛みもあるのだろうが、先程のやり取りが応えているのをどうにか隠そうと足掻いたのが透けている、そんな声音だ。ナスタとセージの御前でなければ、きっと額に手を当ててそれはもう深い息を吐きながら言っていただろう。誰の目もなかったら両手で頭を抱えていそうだ。だが、切れ長の目に宿した光は何かを決意したような強さだった。一方のセージは声も表情も朗らかであった。端正な白い顔にうっすらとくたびれた色が見受けられるが、それは皆がそうだ。ナスタだけは相も変わらず疲れているのかどうかも分からない様子だが、城から一歩も出たことのない姫君が何時間も雪道を歩き続けて消耗していないとは考えにくい。よくよく見れば、歩き方に足を庇うような不自然さがある。その動作も全員同じである。
「どういたしまして。……あ」
 ブーツを履いてドアノブに手をかけたリリィが、ふと振り返る。
「明日の朝、もう一回あたしに足を見せて下さいね。具合で決めますけど、歩くのに問題ありそうだったら治癒術を使いますから。本当は、自然に治ったらそっちの方がずっといいんですけど、今はそんなこと言ってられないですもんね。じゃあ、おやすみなさーい」
「……おやすみなさいまし」
 二人の少女の挨拶が重なると、ドアは閉まった。


 翌朝、一行は七時過ぎに憩いの小屋を出発した。足を酷使した四人の疲労は一晩では回復しきれなかったが、どうにか起床して昨晩に決めた予定時刻は守れたのであった。六人と一体が行く雪道の上に広がる空は今日も曇っているが、昨日同様に一昨日程の厚みと暗さはない。今の時期は曇りがちで雪も降りやすいが、今日も天気が崩れるのは心配しなくてもよさそうだとカトレアが教えてくれた。
 ここにもチェルシーの姿はなかった。居合わせた他の客や憩いの小屋の従業員にも尋ねたが、薄紫色の髪の女の目撃情報は得られなかった。本当に立ち寄っていないのか、客の個人情報保護の為に宿の人達が口を割らないのか、どちらなのかは定かではない。
(徒歩でこの森を移動しているのならば、この辺りで泊まりそうな気もするのだが。カトレアさんの家の辺りではない所から森に入ったのか、そもそも歩いているのか――)
 解けたり凍ったりを繰り返して硬くなってきた雪を踏みしめるシュードの思考を、セージの声が遮った。
「そういえば、カトレアさん。ルージュはどうしてたんですか?」
 鼻が赤らんできたセージがした質問に、最後尾のシュードは内心でカトレアから出される答えを推測する。
(ルージュの食事もあるだろうから、宿の外か?)
 ああ、とカトレアが感嘆の声を出す間に纏めたシュードの予測は、彼女のおっとりした口調で正解だと告げられる。

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