第二章 二十四
「昨日の夜はお宿の敷地内で寝てたんですよ。この子にも補給させなきゃですし、お宿の方や他のお客さんにご迷惑をおかけする訳にはいきませんから」
「そうだったんですか。確かにそうかもしれないですけど、ルージュも寂しかったんじゃないですかね。めっちゃ寒いですし」
 すぐ傍にカトレア達が泊まる宿があるとはいえ、野生ならば群れで行動する筈のドーリィローズの幼体が極寒の夜の森の中で孤独に眠る様子を想像したセージは気の毒がる。そんな彼を振り返ったカトレアが、眉を緩やかに下げて微笑みながら返した。ルージュもカトレアの背のリュックサックにしがみつきながら、くるりと顔だけをセージに向ける。
「私がなるべくルージュの所に行っていましたし、お宿の方にもこの子のことはお伝えしておきましたから。今朝だって、私だけ食堂に遅れて合流したでしょう?」
「ああ、ルージュの所に行ってたって言ってましたね」
「この辺りもドーリィローズの生息地だよ。寒さには強いし、そもそもルージュは野生で迷子だったのを姉さんが保護したんだ。ドーリィローズは可愛がる人も多いし、大人しいけど、何かあっても困るからさ。ボク達が宿に泊まる時は、ルージュには建物の外にいてもらうんだ。昨日の昼も宿の中には入れなかっただろ?」
 セージが頷くと、先頭を行くリコリスが彼らを見ずにそう付け加えた。ルージュが屋内に入らなかったのは、水分と養分の補給の為だけではなかったのだ。
「ルージュにも魔物避けの無効化の魔陣は効いているだろうけどさ、念の為にね」
 ――このアズールでは、人間の集落には魔物避けの魔陣が施されている。それは町の外に点在する施設も同様で、憩いの小屋も例に漏れない。にもかかわらず魔物の仔ルージュが町外れの民家で暮らせるのは、この魔物避けの魔力を無効化する魔陣を刻んだエレメントストーンを身に着けているからだ。ただし、この魔陣には魔物避けの魔力の有効範囲内では本来の力を抑え込む魔陣を一緒に刻むことが義務付けられている。ルージュの首のツイードのリボンでも、白く平らな菱形のエレメントストーンが揺れていた。
(……確かに、あれに魔陣が刻まれているようだな)
「そっか、ルージュ、寒くなかった? ごめんね」
 リリィがルージュの頬をそっと撫でてやると、魔物の仔は丸い目はそのままでにぱっと口を開けた。人間が笑っているようなこの表情は、ドーリィローズの好意的な気持ちの証である。ルージュの感じることは正確には分からないが、少なくともリリィに触れられるのを嫌がってはいないようだ。
 そのリリィの後ろを歩くセージが、こんなことを言い出した。
「魔陣かー、あれってどうやったらできるんだろうな」
「魔陣師の技術だろ? 常識じゃんか」
 前を向いたまま怪訝そうな声で即答してきたリコリスに、セージがたじろいだ。
「いや、そうだけど、そうじゃなくってさ。オレ、魔術はあんま得意じゃねえから、すげーな、って意味で」
 照れているとも気まずそうとも取れる微妙な表情のセージの前のリリィが、目を輝かせながら同意する。リリィの前のカトレアも感慨深げに頷いた。
「あー、確かに! 魔陣ってすごいですよね」
「本当ですね。魔陣がなかったら、私達の暮らしはどうなっていたのかしら」
 ――魔陣師とは、魔陣を作る知識と技術を持った者のことだ。ヒーラーやセラピストとは異なり国家資格ではないが、魔陣師養成の為の専門学校を卒業して魔陣師ギルドに入る必要がある。魔陣師は後述の魔陣の特性上色々な所で重宝されるので、需要も収入も安定した職業として人気が高い。
 また、魔力で描かれ、魔物避けやその無効化、人や魔物の出入りを感知するに止まらず多岐にわたる効果をもたらす円陣のことを魔陣と呼ぶ。古の文明から脈々と受け継がれてきたこれはアズールに生きる人々の生活を支える代物だが、大抵の魔陣は魔陣師にしか作成・使用・管理ができない。ただし、一般人でも容易に扱える魔陣がいくつかある。空を飛べる絨毯を操る為の魔陣と、武具のカスタマイズをする為の魔陣がそうだ。このアズールでは武器や防具、装飾品に使うエレメントストーンに特別な魔陣を刻み、専用のエレメントストーンを吸収させるように嵌め込んで使用者の身体能力や技を強化する。パズルのピース状の魔石は魔陣が作り出すフレーム内に全て納まりさえすれば任意の物を複数選べ、後から付け替えることも可能だ。ピースに秘められた力は様々で、中には麻痺や睡眠などの状態異常を防いだり、魔術を発動させる為の待機時間を短縮できたりする物もあるが、効果が強くなる程ピースが大きくなるので同時に付けられるピースの選択肢は狭まる。このエレメントストーンのピースは魔陣師ギルドや武具ギルドなどの店で買える他、専門の工房に原石を持ち込んで加工料を支払うとそのエレメントストーンが持つ魔力に応じた効果を持つピースにしてもらえる。リコリスが〔ハンティングブロウ〕で敵の持つ魔石を狙うのも、もしかしたらこのピースの為かもしれない。
(魔陣……そういえば、昨日の初戦でリコリスが奪ったのは氷属性の物だったな。あの魔力なら、魔力防御力が少し上がるピースが作れるだろうか)
 シュードは考え事が派生して昨日のリコリスが盗んだ魔石を思い浮かべる。ナスタも何事か思案しているようで、右の袖口を口元に当てていた。
「ふーん、セージは魔術が苦手なのか。そういえば、体術しか使っていなかったね」
「もう、リコリスったら。ごめんなさいね、セージ君、気にしないでね。魔術は私達に任せて下さいね」
 遠慮のない物言いの空色の髪の少女を赤茶色の髪の女性が窘めて詫びると、金髪の青年は乾いた苦笑いを添えて「よろしくお願いします、カトレアさん」と返した。
 そのやり取りを聞いて、深緑の髪の青年は切れ長の目を細めた。
(……言われてみれば、セージ殿下が魔術を使われるところを拝見したことがないな。ご一緒してから今日で九日目では、そう機会もなかったからだとも思えるが……まさか)
 あることが気になったシュードは、華やかな金の巻き毛が揺れる後ろ姿を見る。
(……これは……)

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