第二章 二十八
セージはロビーで得たチェルシーの情報を妙に正確に記憶していた。リリィ自身も覚えてはいたが、あえてざっくりと特徴を挙げたのに事細かに返されて、リリィは軽く引いたようだった。ガーゼをピンセットで摘まんだままセージを凝視して固まっている。愛らしい顔は引きつり、軽蔑と困惑の入り混じった、とても王族に向けるものとは思えない視線を投げかけている。
だが、似たような視線は真顔が心なしか強張っているシュードからも送られていた。ナスタだけは平素と変わらぬ無表情であるが、何を考えているのか分からないのと今の状況を踏まえると、どういう訳だか冷めた目つきに思えてくるから不思議だ。
「えっ? プレアデスの事件の犯人の特徴だからちゃんと覚えとかねえと、もし見かけても本人だって分かんねえだろ?」
きょとんとしているセージには、二人の表情と視線の意味が分からないようだ。しかし、それなりに理由はあった。セージの今までの行いである。たった九日間のことではあるが、やけに女性に優しく、気の利いた――いや、気障と言ってもよさそうな言動が目立つ。振る舞いは気さくで紳士的だが、硬いシュードには軽く見えることも度々あった。港町アルバレアでは、三人を置いて見知らぬ少女達の誘いを断らずに遊びに行ってしまったのだ。これらのことから、アルデバラン王国第三王子殿下は女性が好き、もっと言えば色好みではないかと疑っている。セージは捜し人が女性であるから、さらに邪推すれば情報提供者が女性だったから話の詳細まで記憶しているのではないか、と二人は思っているのである。
また、悪意が微塵も感じ取れない様子も疑惑を深める。質の悪いことにこの御仁には自覚が皆無なのではないかと思わせるのだ。あるいは本気でチェルシー捜索の為に詳細に覚えていたのかもしれないが、そうだと断定できるだけの材料がシュード達にはなかった。
だが、心底不思議そうに首を傾げるアルデバランの王子にこんなことを直接言える訳もなく、シュードは誰も二の句を継がないのをいいことに別の考え事に逃げた。
(それにしても、せっかく得られた情報なのに、あの女の恰好がいまいち想像できないのだが)
患部に軟膏を塗られたプレアデスの近衛騎士は、馴染みのない異国の服を着たチェルシーの姿を頭の中に上手く描けないでいた。
(服の丈が長いのは分かるが、スリットというのは……服の切り込みだったよな。ナスタ様のお召し物にも確か入っていたような……ああ、ああいうような……)
何気なくナスタのワンピースのスリットに目をやったところで、シュードは我に返った。主を不躾に見てしまったことに、何とも言えぬ羞恥の念が湧き起こる。北の大国の衣服を纏った自国の姫君の姿は見たことがなかったからなのか、ナスタの体調を慮って顔色などをそっと窺うつもりがつい全身を眺めてしまうのだ。視線を感じたらしいナスタの顔がこちらを向いたので、シュードはすっと視線をナスタからずらして何事もなかったような顔を拵える。
「えっと、チェルシーは昨日の朝ここを出たって言ってましたよね」
プレアデス王家直属のヒーラーが包帯を片手に呟いた一言に、シュードの顔が曇った。
「ちょっと惜しかったよな。カトレアさんは次の憩いの小屋の辺りから森の中央部って言ってたし、そろそろ覚悟決めといた方がいいよな」
リリィが頷く前で、シュードは顎に手をやって思案に沈む。凛々しい深緑の目が陰ってさらに暗く黒みを帯び、月光を浴びる夜の木々のような深い色合いになる。
(一刻も早くここを発ちたいのはやまやまだが、さすがに夜の森を睡眠なしで歩く訳にはいかないからな。あの女はわざわざ俺達を呼び出して待っていると言ったのだから、肩透かしを食らう可能性は低いとは思うのだが……いや、ナスタ様を誘き寄せている間に城を襲撃する線もあり得るか? だが、城にはたくさんの騎士がいる。奴らがどれ程かは知らないが、一国の兵力の多数を占める城をわざわざ攻めるなんて真似はするだろうか。そもそも、何故ナスタ様を狙うんだ――)
リリィが包帯を結んだ丁度その時、ノックの音がした。
「シュード、いるかい? ボクだけど」
中性的で幼いこの声は、リコリスのものだ。リリィが作業を中断してドアを開けると、そこにはやはりあの言霊使いの少年のような少女がいる。
「あれ、リリィ? ボクが部屋を間違えた訳じゃないよね。どうしたのさ?」
「あたしは靴擦れの手当てをしに来てるの。リコリスこそどうしたの?」
「シュードの袖を繕おうかと思ったんだけど」
リコリスは昼間の戦いで破かれたシュードの衣服を修繕に来たようだ。部屋に迎えると、リコリスは背負っていたポーチと揃いのデザインのリュックサックを下ろす。深緑の髪の青年は明るい茶髪の少女に頼むつもりでいたのだが、リコリスの善意を断る理由もないので任せることにした。包帯の余分を切るリリィに礼を言うと、化粧台の前のスツールから立ち上がる。
「わざわざすまないな」
「これぐらい別にいいよ。ほら、破けたのを全部出して。というか、脱いで」
リコリスは机の前の椅子に腰かけると、黒い革の指先が出る手袋に包まれた右手を出した。言われた当人だけでなく、リリィとセージも遠慮のない物言いに面食らう。シュードは一拍置いてから、言われた通りにコートとインナーを差し出した。追い剥ぎに遭ったらこんな心持ちになるのか、と場違いなことを考えながら、ニットチュニックの上のベルトに手をかける。王族の御前での脱衣を躊躇って、ちらりとナスタ、次にセージに視線を送った。二人はシュードの意図を察したようで、ミッドナイトブルーの髪の少女は背けた顔を両手で覆い隠し、金髪の青年は視界から彼を外してリコリスだけを見た。明るい茶髪の少女もくるりと背を向けて道具を片付けている。
手早く脱いだニットチュニックも空色の髪の少女に渡すと、彼女は損傷箇所の具合を確かめる。
(インナーと言ったか、着替えの為にも複数買っておいてよかった)
服屋の親切な女主人の助言はごもっともだったと考えていると、リコリスがリュックサックからポーチを取り出した。裁縫道具を机の上に置くと、慣れた手つきで針に糸を通す。
「リコリスって、お裁縫得意なの? 何だか手際がいいけど」
ALICE+