第二章 二十九
 いつの間にか向き直っていたリリィが尋ねると、リコリスは千歳緑のニットチュニックの生地を針で掬う手元を見ながら返す。
「得意だとは思わないけど、一通りのことはできると思うよ。姉さんはちょっと遠視でさ、こういうのはボクが担当しているんだ」
「えっ、カトレアさんじゃなくてリコリスが?」
 リリィの驚いた声が気に入らなかったのか、リコリスは縫い合わせる手をぴたりと止めてぎろりと睨んだ。童顔で威力が殺がれるかと思いきや、今にも右手の針を容赦なく突き刺してきそうな迫力のある目つきで射竦められたリリィはびくりと震える。
「それ、どういう意味?」
「えっ、ええっと、カトレアさんの方が似合いそうっていうか」
「ボクには似合わないって言いたいの?」
「えっと……ごめんなさい……」
 取り繕った返事をあっさり打ち砕かれ、為す術なくしゅんとして謝るリリィのそれは、紛うことなき肯定だった。
「裁縫も料理も、生活に必要だから覚えたんだよ。こういうのを女らしいとか男がやることじゃないとか思っている訳?」
「そ、そんなことない、けど……女の子らしいかな、とは……」
「そういう考え方はセンス悪いよ。得意不得意と諸般の事情はともかく、誰だってできるに越したことはないだろ」
 リコリスは鼻を鳴らしてばっさり切り捨てると、再び針を動かし始めた。
(……耳が痛いな)
 近衛騎士として生きてきて家事を疎かにしていたシュードには、何とも刺さる物言いだった。自ら炊事も洗濯もする必要のない暮らしをしてきたアルデバラン王国第三王子のセージも、きまり悪そうな作り笑いである。同じく王族のナスタは相変わらず何の感情も浮かばないままだが、何を思っただろうか。今朝の戦闘の件も合わせて後程声をかけようと内心で決めたシュードは、他にも理由があってそういったことをあまりせずに現在に至るのだが――
「まあ、似合うって言われてもどう反応したらいいのか分からないけどさ。別に裁縫が上手そうに見られたい訳じゃないし」
 ならばリコリスは一体何がお気に召さなかったのか、とシュードは尋ねたくなったが、さらに機嫌を損ねそうだと直感して黙った。多分、リリィに否定されたことに腹を立てたのであろう。当の焦げ茶色の目の少女がこの疑問をぶつけないようにと祈っていると、願いが叶ってサファイアブルーの目の少女が「ああ」と付け加えるような感嘆詞を繋げてきた。
「でも、糸紡ぎは姉さんの方が上手いよ」
「糸を紡ぐ?」
 何とも気まずくなった空気を打開できそうだと読んだシュードが気になった言葉を捉えると、彼の意図を知ってか知らずか、リコリスは誘導に乗ってくれた。
「ベテルギウスは大抵の家で家畜を飼うからね。年に何回か、毛を整えてやるんだ。その時に刈ったので紡ぐんだよ」
「へえ、自家製の毛糸ってことか? 何か愛着湧きそうだな」
 セージが心底感心したような調子で驚くと、肯定の相槌を打ったリコリスが糸切狭を鳴らした。
「はい、チュニックは終わり。着てもいいよ」
 ――リコリスが繕い終わった後、五人はロビーで出会った四人組から買った物が細工師と呼ばれる特殊民族特製の代物で、身に着けた者の身体能力を上げるばかりか耳と尻尾が感情に合わせて動くことを発見するのだった。


 翌朝、一行は四つ目の宿を七時過ぎに発った。靴擦れはリリィの治癒術で治したが、疲労ばかりはどうしようもなく、日に日に溜まっていくばかりだ。それでも四人は、特にリリィは心地よい眠りから半身を引き剥がすようにして休息を望む体に鞭打っていた。
 カトレアにしきりに心配されつつ、リコリスがさりげなく落としてくれたペースで雪に閉ざされた森を歩き続け、一行は五つ目の宿に辿り着いた。道中に四回の戦闘をこなしたこともあって十二時をとうに過ぎており、皆はすっかり空腹であった。
 だが、一行が憩いの小屋の敷地に入ろうとした時だった。リコリスとナスタが足を止めたのだ。
「どうしたの?」
 カトレアに尋ねられたナスタは、平時と何ら変わらない無表情で予期せぬことを呟いた。
「……血の、臭いが……します」
 シュード達が驚く間もなく、短い眉を寄せるリコリスも続く。
「あそこに血痕が続いているね。それに、何だか騒がしい」
 リコリスが指し示す先には、連なる血痕があった。一行がやって来たのと反対側から建物の入り口に向かって、かなりの量と数の赤い華が咲き乱れている。まだ新しいようで、鮮やかな赤は白い雪に映えて目を引いた。
(怪我人が運び込まれたか? 刃傷沙汰があったのでないといいのだが。この様子では、負傷者は複数いるようだな)
 眉をひそめたシュードの推測は、宿のドアを開けると正解だと分かった。血を流している人々が介抱されていたのだ。ロビーに置かれたソファーにある者はぐったりと横たわり、ある者は支え合って肩で息をしながらどうにか座っている。五人の怪我人は今しがた到着したようで、宿の従業員がばたばたと忙しなく動いていた。
「リリィ」
「シュウ」
 痛ましい光景を目の当たりにしたシュードとリリィがお互いを呼んだのはほぼ同時であった。ナスタが遅れてリリィの名を静かに呼ぶと、ヒーラーの少女はこくりと頷く。一行が宿の主人を探す間もなく、それらしき男性が声をかけてきた。
「お客様ですか? すみません、今はこのように急を要しておりまして」
 申し訳なさそうに眉を下げる壮年の男性に、リリィは一歩前に進み出た。カトレアも続いて胸に手を当てる。
「あの、怪我してる人がいますよね。あたし、ヒーラーなんです」
「私はセラピストです。私達でよかったら、お役に立てることはありませんか?」
 アズール全域で認められる医療系の国家資格保有者二人の登場に、宿の主人は目を瞬いてから安堵したような顔つきになった。
「それは本当ですか、助かります。傷を診てはいただけませんか」
 承諾の返事をしたヒーラーとセラピストの背中に、シュードが声をかける。
「俺達に何かできることはありませんか」
「多分、大丈夫よ。何かあったら呼ぶね」
「この状況ですから、みんなはルージュの所にいて下さい。リコリス、よろしくね」


 建物の外で待機する四人と一体は、目にした光景と漂う血の臭いに疲労がどこかに吹き飛んだような面持ちであった。難しい顔で腕を組むリコリスがおもむろに口を開く。

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