第二章 三十四
だが、リリィとリコリスを噛み砕こうとした魔物の大きな牙は駆けつけたシュードの長剣に阻まれる。相手は鼻先と牙にぶつかった刀身とその持ち主を忌々しげに睨むと、素早く跳び退った。
その隙に槍を構えたセージが無防備な二人を背に庇う。黒いロングコートに灰色のリュックサックを背負ったその後ろ姿を、リリィは思わずぼうっと見上げた。
「セ、セージで――」
「リコリス、リリィを頼む!」
「分かった!」
シュードの鋭い一声はタイミングよくリリィの失言を掻き消した。仮に聞き取られていたとしても、この状況ではリコリスも指摘などしてこないだろう。シュードには彼女を誤魔化せる自信はないが、正直に答えるつもりもない。
リコリスがリリィに手を貸す間に、それぞれ得物を手にしたシュードとナスタとセージとカトレア、そしてルージュが魔物の前に出る。
「皆さん、くれぐれも無茶はしないで下さい。――参ります!」
狼型の魔物のボスの咆哮が戦闘開始の合図だった。最前衛にセージ、その少し後ろにシュード、後衛にナスタとカトレアとルージュが並ぶ。開幕直後に真っ先に動いたのは、ナスタであった。
「――統ばる七星(ななほし)のご加護、其は何物をも阻む盾……」
ナスタは抜いた短刀を右手に握ったままで詠唱し、祈るように胸の前で両手を組む。すると七つの藍色の光が現れ、不規則に並んだ。星のような光の粒はナスタが両腕を広げると白い大地に吸い込まれるように降りて、彼女の足元に魔陣を描く。光と共に生じた風が、白いニットワンピースと淡い灰色のコートの裾、長いミッドナイトブルーの髪を吹き上げるように攫った。藍色に光る魔陣が消えると、ナスタの左胸に七つの光が宿っている。対峙する敵は不審で強大な魔力を前に慎重になっているようで、低く唸りながらこちらの出方を窺っていた。
(あの並びは――これはプレアデス王家の特殊術か?)
一見すると適当に散らばったように見える配置は、プレアデス王国の民には自国の島の並び方だと一目で分かった。プレアデス王国の島々、プレアデス王国を象徴する藍色に盾、第一王女の使う防魔術とくれば、プレアデス王家に伝わる特殊術かもしれない、とシュードは横目で驚く。彼の推測は的中しており、これは〔七星の盾〕と呼ばれる特殊術で、使用者の物理防御力と魔力防御力、全属性耐性に状態異常耐性を一定時間の間だけ向上させる効果を持つものだ。
「オレもやっとくかな――我が瞳に宿る猛き焔(ほむら)よ、何物をも貫く矛となれ!」
意味深な視線をナスタに向けていたセージが、黒いロングコートの裾を翻す。詠唱を終えると、彼の明るい茶色の右目に橙色の炎のような光が灯った。長槍を右手に軽やかな足取りで舞いながら大きく一回転し、槍を両手で鮮やかに持ち替えて穂先を地面に突き刺す。刃の先から炎が燃え広がるように橙色の魔陣が展開して瞬く間に消えると、セージの右目に煌々と揺らめく光だけが残った。一方で、魔力を持つ獣達は火を恐れる本能で怯んだ様子であった。
(まさか、アルデバラン王家の特殊術?)
右目と炎、矛にアルデバラン王国第三王子が使う防魔術という条件が示すのは、アルデバラン王家に伝わる特殊術の可能性であった。これもシュードの予想通りで、〔炎眼の剣舞〕と呼ばれる、使用者の物理攻撃力と素早さ、火属性耐性に火属性攻撃の威力上昇、それに加えて相手に火傷を負わせる確率を高める特殊術である。ただ、どういう訳か、今のセージにもたらされたのは物理攻撃力と火属性耐性、火属性攻撃の威力を高める効果だけであった。しかし、本来の効果を知る由もないシュードは王家の特殊術を一度に二つも目の当たりにし、内心で感動を覚えるだけだ。
そうこうしている内に、魔物の一体はカトレアとルージュに狙いを定めたようであった。彼女達を睨んで後ろ脚に力を入れている。カトレア達は気付いたようだが、どちらも何らかの魔術の準備をしていて動けない。
そこにシュードが駆けつけて、その個体の進路に立ちはだかる。敵が標的をシュードに絞り直す前に、ルージュの無属性攻魔術〔パラライズポーレン〕が完成した。ルージュ達を狙った個体は大量の麻痺の花粉を浴びて、たまらずくしゃみをする。魔物が四肢の痺れを覚える間もなく、ナスタの攻魔術〔ルミナスバレット〕が襲いかかった。蒼く輝く月のような三発の光弾が、魔物の横腹を抉るように命中する。苦悶の叫びを上げる魔物の元に、セージが駆け寄った。炎を纏った槍の一撃に、一体目が倒れる。
それを見ていた言霊使いが、ヒーラーに肩を貸しながら呟いた。
「セージは随分と魔力を消耗したみたいだね。早く回復しないと、攻撃の手も緩みそうだ」
リコリスの指摘通り、金髪の青年は先程の特殊術で彼の持つ魔力の半分を一度に使っていた。元々の極端に少ない魔力を身体能力向上に使う程、狼型の魔物を強敵と見なしているらしい。
リコリスが未だに腰の抜けているリリィを「ほら、しっかりしなよ」と励ましたその時、赤茶色の髪の女性がセージに呼びかけた。
「セージ君、これで大丈夫――〔サプリメントアロマ〕」
戦場にありながらも温かみのある声と共にかけられたのは、対象の魔力を少し回復させる無属性の治癒術だった。花の甘い香りに包まれたセージが「おっ、助かりました!」とほっとしたようにカトレアに礼を言う。
一方で、シュードは別の個体と応戦していた。鋭く大きな爪を時には躱し、時には剣で受け、守りに徹している。劣勢のように見えるが、深緑の髪の青年は誰の手も借りることを選ばなかった。彼の背後にはカトレアとルージュ、そしてプレアデス王国第一王女がいるのだ。それに、アルデバラン王国第三王子をこれ以上危険な目に遭わせたくもない。戦えそうにないリリィとリコリスの元へ敵を行かせるなど言語道断だ。ならば、近衛騎士たる自分が目の前の敵を仕留めるより他ない――そう腹を決めていたシュードが、攻撃を捌きながら狼型の魔物のボスの動向を窺おうとすると、ボスと目が合った。灰色と白の巨躯を下から何かが照らしている。
(攻魔術を準備している、早く妨害しに行かなければ――)
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