第二章 四十
 失言に気が付いた時には既に遅かった。例えば現在のカトレアの年齢を訊ねる意にも、今はリコリスとルージュの二人と一体で暮らす家に十七歳という若さで一人住んでいたのか確かめる意にも、あるいはただのおうむ返しだとも、幾通りにも取れる曖昧な質問の意味を、彼女はどう解釈したのであろうか。
「……そうね、私も……ちょっとだけ、色々あったの」
 若葉色の目の女性は二つ目の捉え方をしたらしい。困ったような笑みを浮かべて濁された回答に、深緑の目の青年はただひたすらに申し訳なさと自己嫌悪に駆られた。「すみません」と謝るのが精一杯の彼にも、カトレアは笑みを深めて腰を折られた話を続けるだけである。
「……あんなに小さい子がこんなに寒い所で独りぼっちだなんて、どうしても放っておけなくて」
 話していく内に悲痛な面持ちになったカトレアの回顧に、思考と気分を切り替えたシュードも六歳のリコリスがたった一人でアルバレアの町はずれを彷徨う姿を思い浮かべる。今よりもずっと小さな痩身がこの極寒の地に佇む様を想像したら、自分も到底見て見ぬふりなどとてもできそうになかった。
「話を聞いたら、あの子、家族とはぐれてしまったんですって。……でも、リコリスが言うには、気が付いたら森の中にいたって話ですから……」
 柔らかな顔を一層歪めたカトレアに、シュードも悪い予感がした。幼子には酷な記憶を、その身と心を守る為に忘れてしまったのだとしたら――リコリスの身に何が起きたのか定かではないが、少なくともこちらから言及していいことではなさそうだ。カトレアの言葉を待つわずか数十秒の間で、人攫いに遭っただとか、家族は魔物か人に殺されただとか、置き去りにされただとか、嫌な想像ばかりがシュードの頭を駆け巡る。
「……結局、リコリスに何があったのか、あの子の家族はどうしたのか、分からずじまいなんです。それでも、あの子は家族に会いたい一心で、港に毎日行っては空船から降りる人達を見ているんですよ。あの子が大切にしているストラップをくれたという、お母さんを捜して」
 ここで四人がリコリスと港で出会った理由が判明した。リコリスは明白な目的を持って港を訪れていたのだ。それが母を、家族を捜す為であったとは。偶然とはいえ転んだリリィを助けた拍子にストラップを落とさせてしまい、それを届けたシュード達を手助けすることに繋がっていたとは。奇妙な偶然、不思議な縁に、シュードは唸るのをどうにか堪えた。
「……それは、とても大事な物ですよね。申し訳ないことをしてしまいました」
「あ、いいえ、違うんです。そうじゃなくって」
 シュードが頭を下げれば、カトレアは謝罪させたい訳ではないのだと慌てたように、それでいてゆっくりと頭と両手を振った。
「……ごめんなさいね。何だか、あなたにならお話ししたいって思えたの」
 セラピストの女性は痛みを引きずったような、どこか寂しげで綺麗な笑みを浮かべた。
「私、信じているの。これは、女神様のお導きだって」
 ――カトレアの信仰する聖アズール教は、全ての母なる女神アズールを唯一神として崇める宗教だ。彼女の子ども達である九人の大天使と共にいずこからか降臨してこのアズールを創ったとされる女神は、アルデバラン王国とベテルギウス共和国、西の大国スピカで信仰を集めている。女神や大天使達、彼女らに仕える下級天使達は金髪と碧眼に草花か貴金属の冠を戴き、鳥類の白い翼を持つ姿で描かれることが多い。人の子である信徒は救いと死後に神の御許たる楽園、天国に行けることを求めて日々の善行と信仰に励んでいる。カトレアは特に信心深いようで、事あるごとに聖アズール教の教えを持ち出しては穏やかに微笑んでいた。
「……女神、様」
 聖アズール教をざっくりと説明されたシュードは、一音一音を確かめるようにカトレアの言葉をなぞらえた。
「そうだわ。シュード君、これをあなたにあげようと思っていたの」
 セラピストの女性が差し出したのは、ベテルギウス特産の菱形のエレメントストーン――雪晶石とも呼ばれるそれを六つ並べて雪の結晶を模ったストラップであった。魔力の可視化をした深緑の目が瞬いたのを察してか、絵本の読み聞かせでもするような調子の声が秘められた効果を明かす。
「持ち主の氷属性耐性と治癒術の効果を高めるの。魔力がもたらす凍傷も防いでくれるのよ。大事にしてくれると嬉しいわ」
「で、ですが、こんなに高そうな物を」
「いいのよ。きっと、あなた達を……ううん、守るだなんて烏滸がましいかしら。でも、役に立つと思うの」
 そう言ったカトレアの、それこそ女神アズールが目の前に居られるような微笑みが、この時ばかりはどういう訳か酷く儚く見えた。得も言われぬ嫌な予感が心に植え付けられる心地に、シュードは返す笑みを引きつらせないようにするのが精一杯であった。


 一行が泊まっている憩いの小屋を、敷地外の木の陰から窺う者がいた。ランタンなどの照明を持たずに極寒の闇に紛れる人影の唇が、窓の奥を確かめて笑みの形に裂かれる。建物の窓から漏れるほのかな光がその人物の口元だけを照らすが、口紅が映える白い肌は儚げで、それでいて妖艶だった。
「やっと、来てくれたのねぇ〜。嬉しいわぁ」
 甘ったるい声と間延びした口調の持ち主は憩いの小屋に背を向け、雪の降る森の中へと溶けるように消えていった。


 翌朝、シュードは目覚めた途端に眉をひそめた。寒いのではない。いや、雪は止んだとはいえ夜通し暖炉に火を点けていても寒いのだが、それどころではない。昨夜から抱いていた嫌な予感が消えるどころか、むくむくと育っているのだ。
 身なりを整えてからセージを起こすと、ノックの音がした。何の変哲もないそれに、シュードはびくりと震える。魔物か何かが戸を叩いている心地に冷や汗が流れたが、このやけに控えめな叩き方は誰のものであろうか。リリィとリコリスはもっと大きく軽やかで、強いて言えばカトレアのものに似ているが、それよりも小さな音で慎ましくすら感じるこれは――
「……シュード、セージ……起きておられますか……?」
「ナスタさ……」
 淑やかな声とノックの主はナスタであった。予想外の訪問者に、シュードはつい敬称付きの口慣れた呼び方で姫君に応じようとしたが、すんでのところで止まる。間髪入れずにリコリスの声が続いたからだ。

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