第二章 四十一
「おはよう、シュード、セージ。起こしちゃったかい?」
「あー、悪い、ちょっとだけ待ってくれ。五分でいいからさ」
セージがほのかに寝惚けた声色で返して、そそくさと身支度を始める。ソファーに腰かけて待つシュードの胸中は、ざわつきを増していた。ナスタの声を聞いても成長が止まらないこれは、昨日の魔物との遭遇との比ではない。知らない内に右手が腰の剣の柄を握りしめている程だ。
「悪いな、ナスタ、リコリス。……あれ? リリィちゃんも?」
宣言通りに五分で身なりを整えたセージがドアを開けると、そこにはリリィまでいた。朝に弱い彼女が眠気の欠片も持たずにいること、そしてカトレアだけがこの場にいないことに、金髪の青年は目を瞬く。シュードの中で、嫌な予感が緊急事態の確信となった。リコリスの困ったような声が告げたのは、やはり赤茶色の髪の女性に纏わる不吉な報せであった。
「姉さんとルージュがいないんだ」
五人は朝食も摂らずにカトレアとルージュの捜索を始めた。宿の中は客が入れる場所は徹底的に捜し、宿の従業員にも尋ねたが、得られたのは日の出の頃合いにカトレアが宿を出たという情報だけであった。そうなれば捜索箇所は屋外だと、一行は建物を出る。凄まじい冷気が襲ってきたが、それどころではない。
五人は二手に分かれて宿の敷地内を見て回る。宿の表の停泊スペースや裏の畑と家畜小屋までもくまなく捜したが、カトレア達の気配すらなかった。魔力を見られる者、肌で感じられる者が代わる代わる彼女達の魔力を探知しようとしても、試みは空しく失敗に終わった。
そうなればカトレア達はこの憩いの小屋を離れたと考えるのが自然だが、彼女達はどこに、どうしてリコリスにすら何も告げずに行ってしまったのであろうか。実の妹のように可愛がられていた少女も、目が覚めたら既にいなかった、心当たりはないと途方に暮れて肩を落としてしまう。
「どこに行っちゃったんだ、カトレアさんとルージュは」
(建物の外に出たのは、ルージュに会いに行ったのだとしても……敷地内にすらいないのは、どういうことなんだ?)
すっかり困り果てたセージとシュードが白い息を吐くと、リリィが泣きそうな顔でこんなことを言い出した。
「まさか、ルージュに何かあったの? ルージュだけじゃなくて、カトレアさんも――」
全員が思い至ったが口にする勇気のなかった考えに、リコリスが血相を変えた。
「なっ、何てことを言うのさ!」
「ご、ごめん……でも、そうじゃなかったら、どうしてどこにもいないのよ!?」
言い争いが始まりそうになったのを収めたのは、ナスタであった。目を瞬いた彼女が一行の輪から外れたかと思えば、宿の東側の敷地の外へと迷うことなく向かったのだ。駆け出す寸前の早足でどこかに歩いていくナスタを、まずリコリスが、一拍遅れて三人が慌てて追った。
「どうしたのさ、ナスタ――」
憩いの小屋の魔物避けの魔陣から一、二メートル離れた所で、ナスタは一本の針葉樹を前にようやく立ち止まった。彼女が停止する数歩前で、一足早くついてきたリコリスの足が縫い付けられたように動かなくなる。二人の視線の先に何があるのか――慣れない雪道であまり速く歩けない三人がようやく追いつくと、その正体が判明する。
セージの目線の辺りの枝にかけられた、赤紫に黒の市松模様で四弁の花を模した幾何学模様が目を引くクリーム色のニットの切れ端――カトレアのニットワンピースの裾だった。
「……何かあったのは間違いなさそうだな」
苦々し気な顔と声のシュードが、さらに奥へと進んでいく。ある所で立ち止まってしゃがみ、四人を振り返った彼が手にしていたのは、やはりセラピストの女性のニットワンピースの破片だ。
木に登ったか、あるいは空飛ぶ絨毯に乗って落ちたか引っ掛けたかでもしない限りはまずあるまじき高さと場所に、これ見よがしにかけられていたカトレアの着衣の断片。それはご丁寧なことに、他の樹木の根元にも点々と置かれていた。辿ってきて下さいと言わんばかりの作為的な誘導に、シュードは舌打ちしたい気分になる。カトレア本人が帰り道に迷わない為の道標にしたのであればいいが、問題はそうでない場合だ。こんな悪趣味なことをする人間など、寧ろ自分達が追っているあの女の他にいないことを願いたい。
「……姉さんは、この先にいるんだよね?」
四人の目的の人物を知らないリコリスだが、強張った声を聞く限りではカトレアでない何者かの仕業だと考えているらしい。戸惑いよりも焦りの色濃い童顔に、シュードは頷いてみせた。
「これを辿っていこう」
一行がそうして九つ目のカトレアの衣服の破片を見つけた先に、広く開けた場所があった。妙に綺麗な断面の切り株から察するに、人の手で伐られてできた広場らしい。そこにいたのは三つの人影である。最も背の高い中央の人物が一行を認めるなり、黒いファーの縁取りがついた紫がかった灰色のフードを脱いだ。
「はぁ〜い、やっと来てくれたのねん。んもう、待ちくたびれちゃったわ〜」
聞き覚えのある声と口調、薄い紫色の髪の持ち主こそ、シュード達の捜し人たるチェルシーその人だ。色の白い面長の美貌に佇む気だるげな半開きの目は翡翠のような緑色で、弧を描く形のいい唇は紅で彩られている。耳には歪なハート型の赤いイヤリングが煌めいていた。腰よりも丈の短く裏地がブルーグレーのキルティングのコートはフードと裾が毛皮で飾られ、その下は紫色の足首まであるタイトなニットワンピースだ。およそ一行が得た情報の通りの恰好である。異なる点を挙げるとするならば、両手が黒い革の手袋に、深いスリットから覗く白い脚線美が膝下からは黒いブーツに包まれていることぐらいだ。若そうに見えるが成熟した色気の所為で年齢を推測できない、掴みどころのない妖艶な美女であった。彼女が白昼堂々プレアデス城に忍び込んで王女誘拐を目論んだと知らなければ――いや、知っても尚、引き換えに負うものが大火傷ですら生温く感じる覚悟で手を伸ばす者が存在しそうな危うい色香を纏う女が、甘ったるく馴れ馴れしい挨拶を投げかけてきた。
「随分と捜したぞ」
シュードが咄嗟に四人を庇って前に出た。苛立ちを含んだ敵意を存分に込めて睨みつけると、チェルシーは意に返さない様子で「こっちだって随分と待ったのよぉ〜」と笑う。
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