第二章 四十四
「ナスタ様!!」
「ひっ、卑怯者!」
「何しやがんだ!」
「ナスタ!」
 当然のごとくシュード達を縛める魔術も魔陣も解除しない三人の中で、エリカが「馬鹿かよ、お前ら」と鼻で嗤った。
「乗ったら解放って話で、魔陣を発動しないとは言ってないからねぇ。ナスタ様とのお約束も、非常に残念だけどこっちがお守りする義務もないし」
 だが、プレアデス王国第一王女殿下は淑やかな見た目に反して大人しく捕まる御仁ではなかったらしい。真夜中の空の色をした目を――シュード達の心情という色眼鏡をかけて見れば、煩わし気に――細めて右手を掲げると、攻魔術を詠唱したのだ。
「――〔ルミナスバレット〕」
 たちまち現れた青白い月の輝きの光弾が、三発放たれた。光属性の弾丸は魔力の壁を貫けはしなかったが、一面に蜘蛛の巣状の小さなひび割れを作る。力づくで破壊する試みに出るとは思わなかったのか、攻魔術の威力に驚いたのか、エリカの吊り目が瞠られた。
「何て破壊力だ……! アンタ達、来な!」
 驚愕の理由は後者だったか、と納得する暇もなく、チェルシー達の後ろの何もない筈の空間からローブと仮面を身に着けた五人組が忽然と現れた。
(一体どこから……!? 今、あの者達の辺りが揺らいだのは見間違いか?)
「は!? 嘘だろ!?」
「えっ! あんた達、どこから出てきたの!?」
「何が起きているの……?」
 五人はシュード達が動揺するのを後目に、それぞれ剣や杖を翳して魔力を高め始める。シュードは魔力の動きだけでなく意図も見抜いてしまった。檻の補強をするつもりなのだ。この五人は新たに魔術を使うのではなく、魔陣の主の助力として呼ばれたらしい。
「大人しくなさって下さらないなら、力比べといきましょうか。ナスタ様」
 勝気に笑ってみせるエリカの額にはこの極寒の中でほとんど動いていないにも関わらず、どういう訳か汗が滲んでいた。そして、シュードとリリィは祈るような目の奥に微かな希望を抱いている。どちらも、ナスタの秘める魔力の量と強さに起因していた。
(敵がどれ程いるのか知らんが、ナスタ様ならばあるいは……)
「ナスタ様、負けないで!」
 ヒーラーの少女が泣きそうな顔で応援する中、姫君を閉じ込める檻の強度が増した。ひびが修復されていくのを認めたナスタは、この状況においても何の感情も読み取れない無表情で次の攻魔術を準備する。
「――〔フェザーバレット〕」
 人の手よりも大きな三枚の羽根が、ガラスか鉱物のような壁を穿つように命中する。硬質な音が極寒の森に響くが、壁を砕くには至らない。それでも、ナスタは深い呼吸を二つした後に次の攻魔術を繰り出す。〔ストーンバレット〕の石の礫が羽根の突き立った箇所を正確に狙撃すると、魔力の壁にまたもや亀裂が走った。それと同時に、フードと仮面の五人組の中の二人が呻いてよろめく。もう一、二発当てればもしかしたら――希望が見えたところで、エリカの焦った声が増援を急かした。
「嘘だろ!? 何してんだい、次!」
 またしても、何もない場所からローブと仮面の人々が現れた。合計で十人になった檻の補強要員に、「これならどうだ」と言いたげに橙色のサイドテールの女が唇の端を吊り上げる。その隣のチェルシーは左手を掲げたままで余裕たっぷりの笑みを絶やさず、魔術の維持による疲労もナスタの抵抗への不安も感じていないようだった。
 そこで、シュードが舌打ちしたい気分でせめてもの抵抗を図った。
「ナスタ様! その魔陣とこちらの魔陣の術者はチェルシーの後ろの者です!」
 ナスタが脱出できたらの話ではあるが、一行の自由を奪う魔術を妨害、もしくは魔陣を破壊できればこちらも反撃か退却の可能性が見えてくる。その為にはチェルシーか魔陣の主を攻撃すればいいのだと思い至ったシュードが、魔力の可視化能力で看破した魔陣の作り手を糾弾めいた声色で暴露した。
「なっ!? お前は黙ってな!」
「こちらの魔陣はチェルシーの魔術の対象を複数人に拡大する効果があります!」
「……!」
 苛立たし気なエリカの怒鳴り声が飛んだが、シュードは構わずに続ける。目の前の障壁の破壊に集中していた姫君は、近衛騎士の声に背中を押されたようだった。魔陣の解説も聞き終えたナスタは、シュードに向けていた視線を改めて結晶に似た魔力の檻の一点に定める。すべきことを見つけた、普段の彼女からは到底想像つかない程の強い光を宿した瞳であった。
「ナスタ様……」
「頑張ってくれ!」
 シュードが見守り、リリィが祈り、セージが励まし、リコリスが成功を願う中で、平たく静かな声が次々に攻魔術を紡いでいく。白い繊手がひらりと振られる度に長い髪と袖と裾が優雅に舞い、各属性の魔力の弾が高速で放たれる。〔フレイムバレット〕、〔ハイドロバレット〕、〔アイシクルバレット〕――火、水、氷属性の弾丸が壁を直撃したところで、フードと仮面の十人の内の一人が踏鞴を踏んだ。さらに〔エレクトリカルバレット〕、〔ブラッディバレット〕の雷、闇属性の弾丸が一点を狙い撃つと、もう二人ががくりと片膝をついて杖を取り落としそうになる。魔力を差し出して直接魔陣に流し込む者達は、術者と同程度かそれ以上に魔力の反発の影響を受けるのだ。補強要員達は明らかに苦しそうで、当の魔陣の作り手もチェルシーに縋ってやっと立っている有様である。対するナスタは平時と何も変わらない無表情で平然と〔ルミナスバレット〕を追加した。正確な射撃で魔力の障壁にごく浅いひび割れが入り、また一人が頽れる。
「威力もとんでもないけど何て速さなんだ、一体どうなってんだい……!」
 焦ったような台詞を吐くエリカの目は、優勢とは言い切れないこの状況において何故だか輝いているように見えた。例えるならば、初めて見るものに興奮する子どものようだ。それがどこから来る何の喜びなのかなど到底思い至らぬシュード達には、形勢逆転の切り札でも隠し持っているのかと不気味なだけだった。
 それにしても、ナスタの底知れぬ魔力にはシュード達も目を疑う。初級のみだが八つの属性の攻魔術を九回も連続で放って尚、姫君の呼吸は全く乱れず、人形のような顔には疲労の色も汗も滲んですらいないのだ。いくら彼女が感情を表に出さない性質だからといって、この短時間にこれだけの魔術を休みなく繰り出せば、並みの人間は中距離を全力疾走した程度には息が上がりそうなものである。

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