第二章 四十七
「空船と絨毯じゃ、速さが違いすぎる。今から取りに行くなら尚更だ、追いつけないよ」
「やってみなければ分からない」
「物理的に不可能だって言っているの」
「このまま指を銜えているつもりはない」
 頑なに宿への強行の意志を体で示すプレアデスの近衛騎士に、ヒーラーとアルデバランの王子が悲鳴のような懇願をした。
「やめて、シュウ! 落ち着いて!」
「ならば、誰がナスタ様達を助けるんだ」
「シュード、無茶だ。戻ってくれ」
「私が奪い返します。この命に代えても」
 それでも止まる気配のないシュードの背中に、セージがついに怒鳴った。
「お前までいなくならないでくれよ!!」
 シュードは思わず足を止めた。荒げた声の大きさに驚いたのではない。涙声のような哀願の響きに、ここにはまだ守るべき人達がいるのを思い出したのだ。プレアデス王国の近衛騎士たる自分が仕えるのは国王と第一王女、それは揺るがぬ事実である。主君に命じられた同盟国の王子を守る任務を放棄する訳にはいかない。たとえ、主の片方を捕らえるべき狼藉者に誘拐されたばかりでも。
「……申し訳、ありません」
 シュードは三人の元に直ちに戻る気は起きなくて、背を向けて立ち尽くしたままで詫びた。アルデバラン王国第三王子という国賓への態度としてはあるまじき非礼だと頭の隅と礼儀作法が染みついた体では理解しているのに、回転しようとする胴体を押し止めてでも無様に歪みそうな顔を曝したくなかったのだ。謝罪が微かに震えたのを認めた言霊使いが、軽く息を吐いて片手を腰に当てる。
「取り敢えず、宿に戻るのは賛成するよ」


 四人はそのままにしておいたカトレアの衣服の破片を頼りに六つ目の憩いの小屋へ戻った。道中の支配者は気まずい無言であった。食堂で遅くなってしまった朝食を摂るが、とても喉を通らない。味だって不確かに感じるそれを、胃に流し込むようにしてどうにか食べた。それでも、温かな食事で腹を満たすと多少は落ち着いたような気がしたのだった。
 一行は男性陣が泊まった部屋に集まった。シュードはリコリスとセージにソファーを譲ろうとしたが、セージは勧める前に机と対の椅子に腰を下ろして、少女二人かシュードをクッション付きの椅子に座らせる流れを作ってしまう。シュードは化粧台のスツールに腰かけて、ゆっくりと口を開いた。リコリスに異国からの旅人達の正体を明かす時が来たのだ。ただ、ナスタが存在自体を国内外に隠されているプレアデス王国第一王女たる事実だけは北の大国の一般人に馬鹿正直に教えるのを憚られ、城内での偽りの身分をここでも突き通すことにした。
「……そうか、シュードはプレアデスの近衛騎士で、ナスタは貴族のお姫様。リリィは王家直属ヒーラー、セージはアルデバランの王子様なんだね」
「黙っていてすまなかった。忍びの旅なんだ」
 三人は頭を下げたが、空色の髪の少女はさして驚いていない様子であった。リコリスが幼い外見とは裏腹に随分と大人びて落ち着き払っているとはいえ、さすがに数日を共に過ごした目の前の人物が実は異国の王子だと知らされたら「えっ」と言った類の言葉にならない動揺ぐらいは漏らしそうなものである。
「……あの、びっくりしないの?」
 明るい茶髪の少女が恐る恐る尋ねてみれば、幼い声があっけからんと答えた。
「四人共、育ちが良さそうなのは見てとれたからね。ナスタは言うまでもない浮世離れっぷりだったけれど、セージも砕けた口調の割にはテーブルマナーもドアの開け閉めも、色々と綺麗すぎるし。シュードとリリィも何かと丁寧だったけど、二人に敬語を遣いそうなのを誤魔化していただろ? どこかのお坊ちゃまとお嬢様と付き人達辺りだと思っていたんだよ」
 苦笑するリコリスに、シュード達は頭を抱えたいやら顔から火が出そうやら、複雑な思いであった。自分達の偽装工作が拙いのか、リコリスが敏いのか、果たしてどちらなのか。「驚いたは驚いたよ、まさか王子様だとはね」と渋みの強くなった笑いを携えたリコリスの台詞が、いかにも取ってつけたように聞こえるのは気のせいであろうか。
「そうなると、ボクも敬語の方がいいよね?」
「あ、いや、いいよ。普通に話してくれるとありがたいっつーか、寧ろそうじゃねえと困る」
「そう? じゃあ、遠慮なく。……で、何があったの? 話せるところだけでいいけどさ」
 笑みを引っ込めた大きなサファイアブルーの瞳を見れば、三人は隠し事をする気など失せてしまった。罪悪感に負けて全てを打ち明けたくなったのをすんでのところで思い止まり、シュードとセージが古代兵器の件などを省いて大まかに事情を説明する。プレアデス城に白昼堂々チェルシーが侵入し、ナスタを誘拐しようとしたこと。あの女に北の大国の白い森の真ん中に来るように言われたこと。プレアデス国王の命を受け、シュード達が犯人逮捕の為にこの地へやって来たこと。
 それらを聞き終えて、言霊使いが難しい顔になった。険と影が同居するその面持ちの裏で、一体何を思っているのだろうか。
「……あの、本当にごめんなさい。あたし達の所為で――」
「リリィ」
 ヒーラーの謝罪を、幼くも硬い声が遮った。びくりと肩を震わせるリリィに、リコリスは苛立っているようにも聞こえる声色で続ける。
「別にキミ達の所為だとは思わない。悪いのはあいつらだろ」
 そこまで言ったところで、リコリスの眉間に深い皺が刻まれた。エリカと名乗ったもう一人の女の言動を思い出したのであろうか。憎たらしい文言の数々を回想すれば、三人の眉間にも皺が寄っていく。
「……何なの、あいつ」
 リリィが思わず零れた抽象的な罵りと共に両の拳を握りしめると、ふと何かに思い至ったように目を瞬いた。
「その、リコリス……どうしてそんなに落ち着いてられるの?」
 カトレアさんとルージュが攫われたのに――言外にそう続く何気ない疑問はシュードとセージも密かに抱いていた。家族同然に暮らしていた一人と一体を、突然現れたどこの馬の骨とも知れぬ輩に為す術なく奪われたのだ。それなのに、彼女は恐らく誰よりも冷静に振る舞っている。
 しかし、それを聞いた途端に短い眉は吊り上がって大きなサファイアブルーの目が据わった。
「……何、ボクが怒っていないとでも思っている訳?」

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