第二章 五十
(……そうだ、俺も陛下とアルバレアに待たせている騎士達に文を書かなくては。セージ殿下にもご進言差し上げねば、陛下への報告書に一筆願いたいし)


 二人と一体を奪われた一行は昼食後に六つ目の憩いの小屋を出発した。連絡は早い方がいいからと、シュードとセージ、リコリスがそれぞれ手紙を書く時間を話し合いの後に設けたのだ。速達代を出して言付ければ、宿の主人はにこやかに預かってくれた。憩いの小屋が郵便ギルドと業務提携しているありがたみをここまで強く感じたのはこれが初めてであろう。
 道中では時折襲い掛かって来る魔物達を退けつつ、リコリスに提案されて、というよりも半ば強制されて一行は休憩していた。三人の逸る心を、彼女は笑顔と苛立たし気な視線、気遣う言葉と毒入りの皮肉と歯に衣着せぬ物言いを織り交ぜて巧妙に、時には容赦なく抑える。出会って六日目だが、シュード達は既にこの言霊使いに勝てる気がしなかった。浮き上がらせた絨毯の上で休む際にはシュードとリコリスが見張りをするのがすっかり定番になっている。ようやく余裕が出てきたリリィとセージも番を代わると申し出るのだが、その度に「いいから休みなよ」とリコリスに笑って流されてしまうのであった。
 そうして四人は日が暮れる前に七つ目の憩いの小屋に到着した。言葉少なに夕食と入浴を済ませ、それぞれ早めにベッドに入る。
 リリィはリコリスと初めて同室に泊まる高揚も緊張も気まずさも忘れて、ただ今日の出来事を思い返していた。
(……なんか……今日だけで、色んなことがあったなぁ……)
 照明を一つ残して落とした暗い部屋のベッドの中で、ヒーラーの少女は膝を抱えて丸くなった。夜の帳が降りて一層静けさが増し、日中より余程大きく聞こえる筈の暖炉の火が爆ぜる音も耳に入らない。疲れて重たい体がマットレスに沈み込むようだったが、それ以上に胸の内が鉛のようだった。
(こんな目に遭うなんて、考えもしなかったな……。ナスタ様は本当に攫われちゃうし、ルージュも……カトレアさんだって……)
 拐かされた二人と一体を想い、焦げ茶色の大きな目をきゅっと瞑った拍子に大粒の涙が零れた。
(ルージュはまだ子どもで、あんなに小っちゃな体で頑張ってるのに。カトレアさんは本当に優しくて親切な人なのに。ナスタ様は昨日も慣れないお外で頑張ってた。戦うのも、よく知らない人と旅するのも、というかお出かけが初めてなのに)
 リリィは向かいのベッドで眠るリコリスに気付かれないように、そっと鼻を啜る。我が身と周りを襲った理不尽、それとその元凶に文句を言いたくてたまらないのに、悔しさをぶつけることも叶わない。今朝、敵に抗いたいのに体の自由を奪われて何もできなかったように。
(みんなが何したって言うのよ)
 橙色を帯びた明るい茶色の髪の少女は葛藤を込めて濃いオレンジ色のインナーの胸元を握りしめる。この時間と疲労度ならばとうに眠れる筈なのに、目が冴えて仕方がない。
(ナスタ様……どうして?)
 カーテンの隙間から覗く空にミッドナイトブルーの髪と目の姫君の面影を求めたが、真夜中の空は鈍色の厚い雲に覆い隠されていた。


 男性陣が泊まる部屋もまた、暗がりの中で照明が一つだけ点いていた。時刻は日付が変わる頃合いで、二人が灯りを落として就寝の挨拶を交わしたのは数時間前である。
 セージは仰向けでベッドに横たわるが、今朝の出来事をはじめとした一連の事件を考えるととてもじゃないが眠れない。静寂の中で暖炉の火が爆ぜる音など、子守歌にもならない。
(何なんだよ、アズール・ブルーの奴ら……!)
 アルデバランの王子は今日一日に限っても幾度となく心の中で吐き捨てた台詞をまた口の中で繰り返した。眉間に皺を刻むだけではとても収まらず、ぎりっと歯を食い縛る。太腿の脇に置いた手はズボンを握りしめて震えていた。
(アルデバランの古代兵器だけじゃなく、何でナスタも奪ってくんだ!? カトレアさんも、ルージュまで!)
 白く端正な顔が怒りに焼かれて歪む。その激情の正体は、憤りだけではなかった。心の奥深くに根差すような、それでいて怒りよりも昏く激しいそれは、真皮までも焼いて重い火傷に至らしめる炎のような――
(……そういや、シュード達にアルデバランの事件、まだ話してなかったな)
 はたと思い立って瞬き、向かいのベッドのシュードの背中を見つめる明るい茶色の目は、もうくらくらと燃える炎を宿してはいなかった。筋の通った高い鼻が印象的な顔が、火傷の痕が疼くのを堪えるような切なさと痛みを抱いている。
(話すって言ったけど……もうちょい待ってくれねえかな)
 一方的に取り付けた約束でも、守りたいと思っていた。だが、果たすにはまだ、こちらの傷が癒えていないのだ。瘡蓋もできずに膿んだそれは何年も前に付けられたものだが、一連の事件に深く関わっていた。シュード達に見せるには醜い有様だけれども、そう遠くない内に曝さねばならない予感がする。
(悪い、ナスタ、カトレアさん、ルージュ。絶対助けるからな)
 鮮やかな金の巻き毛を枕に散らした青年は、決意を秘めた目を明日以降の為に無理矢理閉じた。


 セージに背を向けてベッドに横たわるシュードもまた、眠れずにいた。背後の王子が起きているのは気配で察していたが、そちらを向く気は、ましてや「明日も早いのですからお眠り下さい」などと声をかける気には到底なれなかった。暖炉の火が爆ぜる音を背景に顔及び体を壁と天井に交互に向け続けて早数時間、頭の中を占めるのは攫われた姫君達と誘拐犯達のことである。
(アルデバランの古代兵器を強奪した組織、その幹部が翌日にプレアデス城に乗り込んで秘匿の王女誘拐を目論み、異国に呼び出して捕らえる……その理由が分からない)
 無意識の内に眉間に特大の皺が穿たれ、薄い唇に血が滲む程歯が立てられる。それは事の不可解さのみから来るのではない。腹の底に秘めた怒りの業火は決して消えた訳ではないのだ。鎮火などするものか。人前で取り乱さないように捻じ伏せているだけだ。燻り続けている火種はいつまた燃え盛ってもおかしくない。今だって、あの無礼者共を一人残らず捕らえて非人道的な手段を用いてでも肉体的にも精神的にも追い詰め、この狼藉の次第を洗いざらい吐かせてから剣の錆にしてやりたいのに。

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