第二章 五十二


 翌日、シュード達はアルバウィスの森に入ってから七つ目の憩いの小屋を出発した。道中では時折魔物の急襲を退けたり休んだりしつつ、昼食休憩に次の宿を訪ね、また魔物の戦闘と休憩を織り交ぜながら歩いて辿り着いたその次の憩いの小屋に宿泊し――この流れを繰り返して三日目の夕方のことであった。暗い曇り空が告げるのは間もなくの降雪ではなく、日没までそう遠くない現在時刻である。急がねばならないと四人は重々承知していたが、足取りは疲労で空の色にも負けない程に重たかった。
「なあ、リコリス〜……町はまだか〜……?」
「それ、何度目? セージ」
 厳しい寒さですっかり赤くなった鼻をぐすりと啜って情けない声を出す金髪の青年に、先頭を歩く空色の髪の少女が呆れたように返した。当人が許しているとはいえとても他国の王子に向ける言動ではないが、実はアルバウィスの森に入ってから一行の中でよく見られるやり取りなのである。
「あと五分ぐらいで町が見えてくる筈だよ」
「うう……本当にもうちょっとなんだよね……?」
「何もなければ、ね。ほら、リリィも頑張りなよ」
 町から町へ渡るのに己の足を使わない、そもそも城に住み込みで長距離を歩く必要のない生活を送ってきたアルデバランの王子とプレアデス王家直属ヒーラーには、なかなかどうして堪える長さの道のりである。それが二人には馴染みのない雪に閉ざされ、加えて履物が買ったばかりのブーツとなれば尚更だ。日頃から鍛えているシュードも口や態度にこそ出さないが、内心では絨毯に乗りたいと切望していた。その三人は教会でセラピストとして働くカトレアに伴い、アルバウィスの森を抜けた隣町へ度々赴くというリコリスの健脚を羨ましく思い、また棒のように細い脚のどこにそんな持久力があるのかとすっかり感心している。道中では先導の為に前を行き、転びそうになった者を助け起こし、魔物との戦闘では摩訶不思議な特殊術と急所を正確に狙う徒手空拳で勝利へと導く言霊使いに、三人は世話になりっぱなしであった。
 そうこうしている内に、一行は港町デクステアーラに辿り着いた。丸太で組まれた屋根の尖ったログハウスの数々の向こうに、背の高い針葉樹が連なる防風林が見える。建物や町の造りはアルバレアとそう変わらないようだ。
 街灯の点いた石畳の町の北部から南部へと縦断して港に来たシュード達であったが、ここで思わぬ一言を港の職員から喰らった。
「ああ、ごめんよ、ボク。今日はもうおしまいなんだよ」
 聞けば、今日の発着便は三十分程前に飛び立ったのが最後なのだという。さらに、デクステアーラからスピカ王国へ渡る空船はそもそもなく、この北の大国では首都だけが西の大国と繋がる空の玄関口なのだそうだ。先刻の最終便がその首都セプテントリオ行きというおまけまでついてきて、一行は間の悪さに肩を落とした。
「セプテントリオ行きは明日の十時発が最初ですね?」
「そうなんだよ、またおいで、ボク」
 申し訳なさそうな壮年男性から少年扱いされているのには触れずに、出港時刻を確認したリコリスは「はーい」と十二歳ぐらいに思える所作で港の職員から離れ、港の入り口に歩いていく。慌てて後を追ってきた三人に、彼女は短い眉を下げた。
「ごめんよ、やっぱりここからじゃスピカには行けないみたいだ」
「いや、リコリスが謝ることじゃない。外国に行く空船に乗れる場所が限られているのは当たり前だ」
 ――空を渡る旅は、人や積み荷の滑落、空船自体の墜落などリスクが大きい。島への墜落も惨事であるが、眼下に広がるただひたすらに白く霞む世界へとどこまでも真っ逆さまだなんて目も当てられない。その可能性は長距離になればなる程に跳ね上がっていくのだ。空船という乗り物が普及するまでは、外交すらもできなかったのである。それでも尚付きまとう危険性を少しでも下げる為に、国と国とを繋ぐ空船は緊急時を除けば各国本島の国境に最も近い集落同士を行き来するのだ。例えば、シュード達が降り立ったアルバレアはベテルギウス共和国本島最南端、且つ東部であることからアズールの中央よりやや東に位置するプレアデス王国、特に北東部のアステローペ島とテイゲーテ島からの空船を受け入れている。ベテルギウス共和国とスピカ王国では、北の大国の本島最南西部にある首都セプテントリオ、西の大国の本島最北東部に位置する第二都市ザヴィーヤがそれぞれ該当する。
「じゃあ、ここから首都に行くしかないのよね」
「悪いな、オレがもうちょっと頑張ってたら……」
 疲労の色濃いセージがしょんぼりと謝るのには訳があった。東西に大きく伸びるベテルギウス共和国本島の最南西部までは、本島南東部に位置するこのデクステアーラからはそれなりの距離がある。客船という性質上、道中は宿に立ち寄る為に少々ゆったりとした日程を組んでいるとはいえ、空船でも七日を要するのだ。二人と一体の命がかかったこの急ぎの旅では手痛い時間ロスである。
「それを言ったらあたしだって……ごめんなさい」
 徒歩での長距離移動に慣れていないリリィも続いて頭を下げた。ただし、彼女はアルデバランの王子のように北の大国の地図を正確に覚えてはおらず、事の重大さを知った上での謝罪ではない。もう少し速く歩いていれば乗り損ねなかったのに――そこまでの意味合いだったが、それを三人が知る由もなかった。
「もういいだろう、言い出したらきりがない。今日は宿で休もう」
 口ではそう言いながらも焦燥に駆られるシュードの密かな心情を知ってか知らずか、リコリスは白い息を吐いて腕を組んだ。
「泊まるのは憩いの小屋でもいいかい? この町にもあるんだよ」


 デクステアーラの憩いの小屋で一夜を明かしたシュード達は、報告書という名の手紙を宿の主人に預けて買い物を済ませてから昨日教わった出港時刻の三十分前に港を訪れていた。今朝の空も相変わらずの鈍色だけれども、その明度と空気の匂いや湿度からして雪が降る心配はなさそうだ。
「ご飯もお薬も買ったし、忘れ物はないよね?」
「セプテントリオでも買えるし、何なら途中の憩いの小屋もあるし、大丈夫だと思うぞ」
 リリィの独り言にセージが反応すると、リコリスも続いた。
「首都なら何回か行ったことがあるけど、ベテルギウスで一番大きな街だから大抵の物は揃っているよ」

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