第二章 五十五
 ちなみに、他階級の区画に立ち入るには関所や役場で発行される通行許可証と身分証明書が必要で、それは外国人でも例外は認められていないそうだ。これらを踏まえると、この急ぎの旅では階級別に行動するのが手早くて確実な方法のようである。
「うーん、そんなに厳しいなんてちょっと面倒ですね」
「確かにね。そうなると、セージが単独行動になるのか。ボクもリリィも多分中流階級だし、シュードもそうだよね?」
「あ、いや……」
 言霊使いの確認に、プレアデスの近衛騎士は何故か口籠った。その隣では、どういう訳かヒーラーも顔を曇らせている。リリィは逡巡の末に彷徨わせていた視線をシュードに向けて恐る恐る声をかけた。
「えっと……あたしじゃなくてシュウが言った方がいいよね」
 気遣うような声色に、シュードは一つため息をついてから出自を打ち明けた。
「……俺はマイア島を治める一族の出身だ」
「マイアキャッスル!?」
 ――七つの島と複数の小島から成るプレアデス王国には、七大貴族と呼ばれる人々がいる。島の名と古代語で城を表す言葉を組み合わせた族名を持つ彼らは、主君たるプレアデス国王の元で七つの本島をそれぞれ治めているのだ。シュードはプレアデス城があるマイア島の領主マイアキャッスル族出身の、由緒正しい貴族であった。
「……そっか、だからか……」
 素っ頓狂な声を上げたセージが、一転して静かに独り言ちた。意味深長なそれを拾い上げたシュードが怪訝そうに口を開きかけたところで、明らかに何かがあるのに「何でもねえよ」と取り繕われる。
「……とにかく、シュードはセージと一緒に上流階級として扱われるんだね?」
 話を元に戻したサファイアブルーの目の少女に尋ねられ、深緑の目の青年は腑に落ちないまま肯定した。何にせよ、一行はスピカ王国ではシュードとセージの上流階級組、リコリスとリリィの中流階級組に分かれて行動せざるを得ないらしい。
「まあ、その方が安心だよ」
 色々とね、と言外にそう続くようなリコリスの一言に秘められた意味を嗅ぎ取った深緑の目の青年は危うく素直に頷くところであった。根拠は言うまでもなく十五日前のアルバレアでの出来事である。焦げ茶色の目の少女は「シュウと一緒だもんね」と笑っているが、その無邪気な様子から察するに恐らく含まれた意図に気付いていない。当のアルデバラン王国第三王子殿下は「どういう意味だよ」と唇を尖らせた。その白い頬が暖炉の火が点る室内に入って一時間経過しても尚赤いのを見ると、疑いが晴れていないのは伝わっているのかもしれない。
「えっと、じゃあ、スピカの首都ってどこだっけ?」
 操り師の女に勝手に取り付けられた約束の地の在り処をリリィが訊くと、シュードは鞄から地図を取り出して円卓に広げた。「ここだ」と長くて武骨な指先が示すのは、スピカ王国本島南東部の最も大きな集落、首都スパイカだ。
「……第二都市ザヴィーヤは、本島最北東部……ベテルギウスに一番近い都市だったよね」
 この空船の行き先を確かめるように呟いたリコリスの眉がひそめられた理由を、シュードとセージも察した。やや遅れて、ザヴィーヤとスパイカの位置を見比べたリリィが大きな声を上げる。
「ちょっと、こんなに離れてるの!?」
 地図上のスピカ王国本島は南北に大きく広がっていた。その全長はベテルギウス共和国本島よりも長いように見える。仮に本島を南北に三等分すれば首都は中部と南部の境目といった辺りだが、到着までに一体何日かかるのだろうか。日数短縮を図るなら、第二都市と首都を結ぶ直行便か巡回便、もしくは乗り継げる空船に頼らねば不可能だ。とはいえ、宿泊費及び食事代を含めると乗船代もそれなりの出費なので、懐を潤す手段を講じるか節約の為に徒歩で進む場所を決めるか、一行の事情を都合よく満たす方法は他になさそうである。
「スピカに着くまでに考えないといけないな」
 シュードの声と顔は実に苦々しいものであった。連れ去られた二人と一体を案じているのだ。誘拐されてから十一日目となり、スピカ王国に行くだけでもさらに八日かかると確定した今、一秒でも早く救出したいのにこうも移動に時間を取られてはそれだけあの組織に好き勝手させることになる。ナスタ達に何をするつもりなのか――あの者達が相当な手間をかけてまで拐かしたナスタの命は取られまいが、エリカのあの笑みと台詞は捨て置けない。カトレアとルージュに至っては実験するとまで言ってのけたのだ。恐らくアズール・ブルーにとっても予定外の捕虜と化してしまった彼女達の身の安全は、今の状況ではどう頑張っても保障されているとは到底思えない。
 思考と気分が伝染したかのように、一行に気まずい沈黙が降りる。それを振り払うように努めて明るく話題を切り替えたのはリコリスであった。
「そういえば、ベテルギウスとスピカとアルデバランは文化的に割と似ているって習ったよ。食べ物とか」
「食べ物……」
 復唱したリリィが思い浮かべているのは、一体何であろうか。彼女が甚く気に入っているクリームシチューのような気がするが、セージがくれたのをきっかけにあちこちで買っているミルクキャンディーの線も否めない。リリィは大食いではないが、美味しいもの、特に甘味には目がないのである。王家直属ヒーラーという大役を若くして担う少女が仕事の合間を縫って巡るのは、城下町の可愛らしい雑貨屋と甘味処だった。
 そんなリリィの右隣且つシュードの向かい、そしてリコリスの左隣でもある座布団の上に腰を下ろすセージは何かを考え込んでいるようであった。
「どうしたのさ? セージ」
「え? ああ、いや……」
 いかにもといった生返事のセージが必死に何かを思い出している様子なので、シュードは記憶の引き出しをひっくり返す作業に集中してもらうことにした。
「何かありましたらご遠慮なくどうぞ」
「……ああ」
「……シュード、やっぱり訳ありに見えるからその敬語をどうにかした方がいいかもしれないね」
 引きつった口元のリコリスに指摘されて、シュードは頭を抱えたい衝動に駆られる。ぐっと詰まったその様を見かねた言霊使いが、取ってつけたような慰めを追加した。
「まあ、スピカの上流階級では違和感がないかもしれないけどさ」


 ――こうして、ベテルギウスからスピカへと渡る八日間の空の旅は長いようであっという間に過ぎていったのだった。


第二章 完


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