第三章 一
 一行はベテルギウス共和国首都スパイカから発った空船に揺られて八日目の昼を迎えた。本日の天候は穏やかな晴れである。
「それにしても、リコリスは大丈夫か?」
 セージが空色の髪の少女を気遣う理由は、その服装にあった。分厚いニットをはじめとする雪国仕様の暖を追求した衣服は、温暖で比較的乾燥した西の大国の気候にはおよそ適さないのだ。シュード達はベテルギウス領を出てから暑くなったのでそれぞれ着てきた自国の衣装に袖を通したけれども、北の大国出身のリコリスは他国の衣服を持っている筈もない。彼女は裏地が羊毛入りキルティングのコートは勿論のこと、ニットチュニックまでも脱いでハイネックのインナー姿になり、袖を捲ってはシュードが貸した扇子でひたすらに己を扇いでいた。見かねたリリィが自分のプレアデスの衣服の予備を差し出したがどういう訳か断られ、現在に至る。
「……何とかね。それより、そろそろ着くんだろ? 色々と確認しておこうよ」
 今も風を起こして涼を求める言霊使いの一言を受けて頷いたシュードが円卓に地図を広げた。
「俺達は二組に分かれて、第二都市ザヴィーヤから本島東部の三つの都市を経由しつつ首都スパイカを目指します」
 スピカ王国本島の最北東部を示した長い指が三つの集落を辿りながら南下していき、中部と南部の境目の大きな集落に移る。
「道中は空船を利用するのが望ましいですが、臨機応変に。第七都市ザニアと第三都市ポリマは比較的近距離のようですので、そこならば徒歩でも可能でしょう」
 第二都市の南隣の第七都市、そのさらに南隣の第三都市は他の町と町との間を比べても短距離のようであった。地図から推測する徒歩での所要日数は三日、これが長いのか短いのか分からないが、旅費の節約と日数短縮を同時に叶える為には致し方ない。
「第二都市に入る際には既に分断されるとのことですから、もしも第二都市から第七都市への空船に乗る日時を近づけられるのなら明日の正午の便を目安に。何らかの事情で難しい場合は互いを待たずに先行して下さい。尚、道中では合流よりも首都への到着を優先すること。首都スパイカに到着したら、南の関所を抜けて外で待ち合わせしましょう」
 必要事項を事務的にすらすらと述べるプレアデスの貴族兼近衛騎士に、言霊使いが扇ぐ手を止めないままで質問する。
「関所から離れない方がいいよね。実物がどうなっているのか分からないけれど、建物の壁にでも寄りかかって待つ感じがいいのかな」
「集落内では徹底的に階級ごとに分けられてるからな、関所でも中で待たせてもらうのは無理っぽいぞ」
「じゃあ、関所を出てすぐってことね? シュウ」
 アルデバランの王子が西の大国の事情を踏まえた推測を口にし、プレアデス王家直属ヒーラーが確認すると、シュードは頷いた。
「では、そのように」
 待ち合わせ場所を首都の南の関所に定めたのには理由があった。地図を見る限りでは間違えようがなく分かりやすい目印というのもあるが、チェルシーが指定した遺跡と思しき古の廃墟がスパイカの南にあるようなのだ。あの女が一方的に吹っかけてきた口約束だが、ナスタとカトレアとルージュを奪われた今は誘拐犯と接触できる機会を逃す訳にはいかない。そうでなくとも、薄紫色の髪の女はシュード達が捕縛を命じられた対象だ。どんな罠が仕掛けられていようとも、行くしかない。
 そこに、空船が港に着陸を知らせる笛の音が響き渡った。甲高いそれを耳にしたリリィの顔が曇る。ベテルギウスからスピカへ渡るこの空船では、上流階級の者から順に降りるのだと四人は聞かされていた。つまり、シュードとセージがこの客室を出たら一行の分断が始まる。二人がいなくなることを、守るべき姫君だけでなくリコリスの家族までも連れ去られたあの時と重ねてしまうのだと、シュード達はこの八日間でリリィがぽつりと零したのを覚えていた。彼女が「二人と合流できなかったらどうしよう」と潤んだ瞳で続けたのも忘れてはいなかった。
「大丈夫だって、リリィちゃん。スパイカで会おうぜ、約束だ」
 セージが朗らかに、しかし諭すように笑って右手の小指を差し出した。指切りを交わそうと明確に提案するその白く長い指と明るい茶色の目を交互に見て、リリィはおずおずと右手の小指をセージのそれと絡める。触れているかも不確かなぐらい控えめに交差させた指はセージが紳士的に、それでいて力強く掬うようにしっかりと握った。子供じみた仕草なのに込められた熱はまるでお伽話に出てくる王子様が愛する人と交わす抱擁のようで、自分の背中に腕を回されて抱き締められる錯覚に陥ったリリィの頬が瞬く間に赤く染まる。
「……リコリス、くれぐれもリリィを頼む」
 その傍らで、シュードはリコリスに懇願めいた頼み事をしていた。言葉にはしていないけれども「手間のかかる奴だが」「申し訳ないが」といった類の意味を響きから感じ取ったリコリスは、同じような内容の依頼を返して応じた。
「シュードこそ、セージをよろしくね」
 苦笑いから放たれたそれから「大変だろうけど」「まあ仕事だろうし」などといった含みを受け取ったシュードは、お目付け役を任されたのも同然だと自覚した上で真顔のまま深く頷いた。アルデバラン王国第三王子の護衛任務はプレアデス国王から賜った任務の一つなのだ。このような言い方は適切ではないかもしれないが、リコリスに言われるまでもなく仕事の一環である。
「じゃあ、リリィちゃんもリコリスも無事でいてくれよ。首都スパイカでな!」
「知らない人について行くなよ。無駄遣いもしないように。食事と睡眠はしっかり取ること。待ち合わせ場所は首都の南の関所を出てすぐだ。道中は俺達と合流しようとしなくていいからな。戦闘はできるだけ避けて、お前達の身の安全と首都への到着を最優先に行動してくれ」
「心配性だな、そっちもしっかりしなよ」
「シュウもセージ……も、気を付けてね」
 セージは人差し指と中指を立てた気取った挨拶を添えた爽やかな笑みを、シュードは親が子に言い聞かせるような調子で念押ししたいくつもの注意事項を残して客室を出て行った。
(どうか、無事にまた会えますように)
 リリィは二人の背中が消えていったドアを見つめ、両手を組んで旅の安全を祈った。


 先に下船したシュードとセージは職員の誘導を受けて船着き場にある大きな三つの門の左を潜った。

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