第一章 二十八
 投げかけられた疑問に、三人は動きを止めた。何とも答えるのが難しい質問である。庶民ならば義務教育を引き合いに出せるが、ここには訳合って学校の話が通じる者が一人もいないのだ。ややあって、ミッドナイトブルーの髪の姫君がやんわりと聞き返した。
「……どれぐらい、とは……?」
「あ、訊き方が悪かったよな」
 セージは簡潔に詫びてから質問の意図を話し始めた。話の種にしつつ目的地の知識を確かめ合い、場合によっては補い合えないかと思い付いたのだそうだ。隣国の王女と近衛騎士とヒーラーを気遣い、道中の話題を考えて提案するとは、気の利いた御仁である。
(副大使ともなれば、外交の腕が要と言ってもいいからな。社交性の高さには恐れ入る)
 ――アルデバラン王家の者は王位継承権第一位を除き、ほぼ全員が各国の特命全権大使かそれに次ぐ役職に就いている。現在の外交使節第一級は現国王の兄弟姉妹で、現国王の実子は次代を担う者として叔父や叔母と共に外交の責務を全うしているのだ。第三王子たるセージはプレアデス王国の副大使という訳である。
(……しかし、この砕けた口調と振る舞いは一体どこで覚えておいでになったのか。そういえば、アルデバラン王家って――)
「そういうことなら、ベテルギウスのお勉強会みたいな感じですね」
「そうそう、そんな感じ」
 シュードが思考に沈む傍らで、セージがまたもリリィの敬語を柔らかく咎める。そんなことをしてもなかったことにはできないのに、明るい茶髪のヒーラーは慌てて両手で口を押さえた。
「てな訳で、色々言ってくか。別に分かんなくても間違えてもいいぜ、気楽にどんどん言ってくれよな」
「地理、政治、歴史、特産物など、どのような事柄でも構いませんか」
「構わねえけどその口調はよろしくねえな、シュード」
 ぐっと詰まってしまったシュードの前に、温かな茶の入った湯飲みが置かれた。
「……悪いな、リリィ」
「まあまあ、お茶でも飲みながらお話ししましょうよ。お菓子もどうぞ、おかわりはあたしに言って下さいねー」
 にこやかに配膳を終えたリリィが盆と急須を棚に置いて戻ってきたところで、北の大国の勉強会が始まった。
「じゃあオレからな。ベテルギウス共和国は王家じゃなくて国民が選挙で選んだ議員が治めてるな」
「……ベテルギウス王家は、今もありますが……政には関わらない、唯一の国家……でしたね」
 ――このアズールには、六つの国家が存在する。アズール中央部にとある聖なる島を挟んで浮かぶプレアデス王国とアルデバラン王国、東部にミラ帝国、西部にスピカ王国、南部にアンタレス王国、そして北部にベテルギウス共和国だ。東の大国と北の大国を除いて、他の四か国は全て王が統治している。
 そのベテルギウスでは、選挙に立候補して国民投票で選ばれた者が議会を開いて国を動かしている。先祖代々、もしくは一族郎党が皆政治家という議員も一定数いるが、成り上がりの者も少なくない。議員の頂点は大統領と呼ばれ、元首として国を代表する責務を担う。
 一方で、他国と同じく王家そのものは存在する。今でも手厚い保護と国民からの敬愛を受け、文化の振興や保護などに携わるが、政治的な権力は一切持たないのだ。この体制の始まりは今から五百年程前に当時の王が一族共々突如として政から手を引いた一件まで遡る。王制を撤廃した理由は詳しくは明かされていないけれども、それ以来ベテルギウス王家はアズールにおいて国の実権を握らぬただ一つの王族である。
「首都は本島南西部のセプテントリオですね。わた……俺達が向かうのは南東部の港町アルバレアです。目的地のアルバウィスの森は町の北部に広がっております」
 シュードが鞄から取り出した地図を見せながら事務的に述べたのは、首都と目的地の地理的な情報であった。セプテントリオは古の言語で北極星を意味するので、北の大国の中枢を担う最も大きな都市に相応しい名前と言えるかもしれない。町の名は白と兜をそれぞれ表すかつての言葉が混ざり合ったものだった。
「首都と港町がこんなに離れてるなんて、ベテルギウスは大きいのねー。端から端まで空船でも何日かかるのかな」
 感嘆するリリィの言葉通り、ベテルギウス共和国本島は東西に長く伸びていた。島の中程が絞られているこの形は、転がった歪な砂時計のようにも見える気がする。プレアデスやアルデバランなど比べるまでもないが、これでもアズール地方では三番目の面積の島というのだから小国出身の四人には想像もできない。その本島の中央にはとりわけ高い山々が聳えているが、これはアズール一の標高を誇るトリスター山脈というそうだ。
「本当だよな、でも年中雪が積もってるから色々と厳しいらしいぞ」
「色々って……例えば何でしょうか?」
 首を傾げるリリィに答えたのはシュードであった。あくまでも書物から得た知識ではあるが、と前置きしてから腕を組む。
 ベテルギウスは厳しい寒さと共存している。南部ならばごく短い期間ではあるものの雪解けの季節があるそうだが、それでも四季がはっきりしているプレアデス、それよりもやや温暖な気候のアルデバランの冬など到底及ばない低温は、暖房と防寒対策を施した衣服で対抗するしかないのだ。だからこそ北の大国の民にとって極寒の屋外でも生きられる動物の毛は重要な資源であった。また、毛だけでなく乳や肉も貴重な食糧であり、皮も骨も捨てるなど以ての外だ。故に、ベテルギウスでは大抵の家で羊や山羊などを数頭飼っているとのことである。家庭菜園よりも食料供給が見込めるとは、体感するのも気が引けてくる寒さだ。
 リリィは現地の民への尊敬の念を込めたため息を吐いた。
「そっかぁ、あんまり寒いのも体に良くないし、お野菜とかも育てにくいよね」
「プレアデスじゃあんま馴染みがないかもだけど、シチューって煮込み料理が美味いらしいぞ」
「しちゅー……」
 聞いたことのない料理名を思わず復唱したリリィは、誤魔化すように茶を飲み干しておかわりを淹れようと棚の前に戻る。ふと目についた引き戸を開けると、小さな箱が目に飛び込んできた。
「……あれ? これって、トランプ――」


 ――こうして、プレアデス王国からベテルギウス共和国へ渡る七日間は、あっという間に過ぎていった。


第一章 完


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