第三章 二
 どこもかしこも綺麗に磨き上げられた白っぽい石造りの関所のロビーは豪奢なシャンデリアに照らされ、ベルベットのソファーが赤い絨毯と共に十分な間を取って六脚置かれていた。左右の壁には天蓋付きの大きなカウンターが二つずつあり、つやつやの石の机には色とりどりの花が生けられた陶器の花瓶が飾られている。カウンターの間に鎮座する暖炉はベテルギウスのとは違ってあちこちに繊細な装飾が施された代物だ。通路のような部屋の奥には五つの扉があり、その前に職員が二人ずつ立っている。扉の右隣にそれぞれ佇むやや小さめの戸には職員専用と書かれた札が掛かっていた。
 華やかだけれども身元を検める緊張感が拭えない空間で、二人の青年はどちらからともなく顔を見合わせた。
 身分制度に厳しく縛られたこの西の大国では自分達の正体を打ち明けねばならない。そう覚悟していたシュード達であったが、あまり気が進まないのも確かであった。特にセージはアルデバラン王国第三王子なのだ。外国の王族が突然現れたら混乱するだろうし、目立ってしまうかもしれない。噂が巡り巡って、あるいは直接見聞きされてチェルシー達にこちらの動きを知られるのは不都合だ。場所を指定したのは敵であるし、ベテルギウスからスピカへの入国経路も首都への道のりも容易に絞れるのだから、こちらが気を付けたところで抵抗にならないのかもしれないけれども。
 ところで、何やらカウンターの向こうの職員達がこちらを、いや、セージをちらちらと見ては何事か囁き合っている気がするのだが、さらに付け加えるとカウンターの奥か扉の向こうか、どこか壁一枚を隔てた所が騒がしいようにも思えるのだが、被害妄想であろうか。
「……さすがにオレがアルデバランの服着てりゃぴんと来るか?」
 ざわめきは少なくとも己一人の気のせいではない現実を突きつけられて唇の端がぴくりと引きつったプレアデスの貴族騎士に、アルデバランの王子は心なしか眉尻を下げて笑った。
「オレ達に疚しいことなんてないだろ、何とかなるって。行こうぜ、シュード」
 槍を肩にかけたセージはそう囁くなり、五つの扉の内の中央の戸へすたすたと歩み寄っていく。丁寧に磨かれたマーブル模様の石の床を迷いなく進む靴音をシュードが慌てて追いかけると、ドアの前の職員はこちらが何も言わずとも恭しく一礼して扉を開き、二人を迎え入れた。
 彫りの細やかさと造りの重厚さが対照的な木のドアの向こうでは、またもや艶やかなカウンターが右手に待ち構えていた。カウンターの前には二脚の一人用のソファー、カウンターの反対側の壁には四人掛けのソファーが置かれている。奥にはもう一枚の扉とその前で待機する職員の姿が見えた。プライバシーへの配慮だろうか、入国審査は個室で行われるらしい。事務手続きの為だけの部屋はロビーと同様にやけに広いだけでなく照明も煌びやかなシャンデリアなのだが、これも上流階級をもてなす為だろうか。シュードがさっと室内を見渡しただけでも、花瓶や絵画といった調度品の質が高いのは何となく察せる。
 カウンターの奥の職員二人はにこやかだけれども恭しく、そして事務的に入国審査の説明を始めた。愛称と家名と族名を特別な紙に書いて、そこに少量の魔力を注ぎ込むのだそうだ。どういう仕組みだか知らないが、真名を用いずとも名前と魔力の持ち主が一致するかどうか判別する技術が存在するらしい。名前だけで属すべき階級が分かるのならアズール各国の戸籍の類もあるのだろう。この段階で疑義が生じれば真名を明かすなど他の手段を講じ、それでも本人確認が取れなければ入国は認められないと断られて、何も悪いことをしていない筈のシュード達は背筋を冷たい何かが走った気がした。万が一スピカの地を踏むこともできなかったら――西の大国の旅を根底から覆す事態への不安を唾と共に密かに飲み込んで、金髪の青年は深緑の髪の青年に一つ頷いてみせた。
「では、私からお願い致します」
 セージは入国審査官に申し出るとカウンターの前にある二脚のソファーの右に座った。シュードは迷うことなく壁際のソファーに腰かける。カウンターにもソファーの間にもある仕切りとその存在理由には、入室直後に気が付いていた。いくら目隠しがあれども、個人情報を扱う場で気安く誰かの隣にいてはいけない。
(いや、そうでなくとも俺はセージ殿下のお隣に気軽にいてはいけないだろうが……)
 青年の黒いロングコートを纏った細い背に少しだけかかる鮮やかな金の巻き毛が揺れる。職員の顔が名前を書き終わった段階でうっすらと硬度を増したのも、魔力を流し込んだところで職員に明らかな狼狽が生まれたのも、黒々とした深緑色の目は見逃さなかった。
「――」
 職員が囁いた内容はさすがにシュードには聞き取れなかったが、セージはそれに頷く。長い指が髪を束ねる紫色のリボンを優雅に解き、続いてピアスを外した。セージの身を飾っていた品々が彼の手元に隠れたかと思えば、そこから橙色の光が放たれる。どうやら魔力を込めているらしい。王族が魔力を注ぐと現れた光が王家の紋章を形作る仕掛けが施された装飾品の存在を、シュードは知っていた。それが今まさにセージの正体を偽りなく示す役目を果たしたようだ。
「アルデバラン王国のセージ殿下……!」
 二人の職員は慌てている筈なのに見事に揃った礼を披露し、畏敬の念を込めて深々と下げた頭を一国の王位継承者に捧げる。
 だが、シュード達の思惑通りの反応はここまでであった。
「お待ち申し上げておりました」
「……え?」
(……ああ、ベテルギウスの首都に向かう前の文でスピカの首都に向かうと国王陛下にご報告申し上げたからな。今回はプレアデスかアルデバランか、あるいは両国がスピカに訪問を知らせていたのか)
 シュードは己の推測とほとんど変わらぬ経緯を職員がより細かく丁寧に説明するのをじっと聞いていた。話しぶりから察するに、シュードのことも事前に連絡が入っているらしい。
(……それにしても、何故ベテルギウス訪問は向こうに伝えなかったのだろうか――)
「つきましては、こちらにお二方のお召し物をご用意致しております。セージ殿下、アルデバラン王国第一王女殿下より玉簡をお預かりしておりますので、そちらもお受け取り下さいませ」

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