部屋の奥で呑気にコーヒーをすすっている男が連絡を寄越したのか、勝手にここまでやってきたのか、どちらにせよアーサーと同等、あるいは別の意味で厄介な人間が名前の前に立ちはだかる。

「おはようございます」
「新聞とかいらないんですけど」
「突然の来訪をどうかお許しください」

 許して欲しければ少しは申し訳なさそうな顔をしてみたら?名前はあごを上げ口先を尖らせるが、ギャラハッドは沈黙を返すだけだった。
 休日の朝から堅苦しいスーツに身を包んでいる彼は、出てくるのが名前であると当たりをつけていたようだ。おどけたジョークには付き合っていられないと隙のない襟を正し、手元の腕時計をしきりに確認している。
 最低限の礼儀は持参してきたようだが、徹底して名前を細事と扱う腹づもりなのがよく分かる。好かれるような言動をとった自覚はなく、嫌われるような悪行も犯していない。誰彼構わず優しくして欲しいなどと求めるつもりはないが、ギャラハッドの儀礼的な接し方に自然と名前の瞳も据わっていく。

「アーサー様はどちらに?」
「それが見ず知らずの女の子にものを聞く態度なの」
「え?」
「は?」

 会話は食い違い、互いが互いを不審な目つきで舐める。意図せず揃った仕草から先に脱却したのはギャラハッドだった。眼前で不遜な態度を広げる女の思考を読み「まさか...」喉を浮かせる。

「バレていないとでも思っていたんですか?」

 名前は初対面を気取っているが、ギャラハッドが彼女に会うのは3度目だ。会う毎の印象こそ大きく異なれど、共通して小生意気な表情は変わらない。残念なものを見るような生温かい視線がこそばゆく名前は急いで取り繕う。

「カマかけただけよ」

 本人にその気がないとしても腹の立つリアクションだ。やはりギャラハッドもアーサー同様に昨日のタイミングで名前の正体を見破っていた。その証拠として、彼の手には名前にもはっきり見覚えのある、おろしたてのドレスが抱かれている。

「これは失礼いたしました。お久しぶりです、苗字さん。先日の朝以来ですね」
「白々しいやつ。あの変装自信あったんだけどなぁ」

 さも懐かしい再会を再演出するギャラハッド。抑揚のない台詞は名前の心にちっとも響かない。けれども、正体がバレている時点で突っかかって来なかったのは幸運だった。彼も兄として妹の恩人がどんな女か目の前で暴露するのは戸惑われたのかもしれない。あのあとマシュがギャラハッドの口から名前がどういう人間か聞かされていたら、そこが少しだけ残念だった。
 もしや空気を読んで名前の事情に付き合っていた分、今朝の当たりが強いのでは?そんなことを考え始める。

「初めてお会いした朝に、苗字から全てお呼びしたのを忘れてしまいましたか?本当に欺きたければ逃げるか、ファミリーネームを偽るべきでしたね」

 名前は悪手を取ったと言う。無論、奇跡の確率で彼らを騙せたとしてマシュとの繋がりができた以上、素性がバレるのは時間の問題であっただろうが。
 カジノで新しいパートナーを見つけるために用意していた勝負服が艶めいた輝きを取り戻し帰ってくる。とりあえず受けとりはしたもの、自分でも理由がわからないまま二度と着る気は起きなかった。

「(私、結構繊細な部分があったのね)」
「加えて人の声というものは特徴がはっきりしています」
「どーも。今後の参考にするわ」

 それにしても言われっぱなしは悔しい。名前はひとまずドレスを廊下の壁によりかけてギャラハッドに向き直る。

「私のことよりトマトくんこそ、頭大丈夫?昨日は大変なことになってたけど」
「お心遣い感謝致します。僕のことでしたらお構いなく。マシュの客人に怪我がないようでなによりです」
「ぐっ...」

 負けたつもりは毛頭ないが、口から音になるものすべてが嫌味にしか聞こえない。もしや今のは昨日名前が風邪と偽って料理の手伝いから逃げ出していたことを揶揄しているのか。愛嬌がないだけで、根は生真面目で善人な性格が災いし、冗談と真面目な文面の境目の区別がつけられない。

「僕としましては、貴方に拙い変装をされるほど関わりを持った覚えがないので一向に構わないのですが、アーサー様はお返しください」
「あのねぇ…、そういうこと逐一言わなくていいの。そもそも取ってないし」

 向こうから勝手にやってきたのだ。落とし物のためと言っていたが、どこまで信じていいのやら。
 腹が黒いと称するよりは本音が雲隠れし、ある意味つかみどころのない人間、それがアーサーに対する名前の印象だ。彼に比べてギャラハッドは何を考えているのかまだ分かりやすい。けれど打算もなく真正面から向かってこられるのはやりづらいことこの上なく。類は友を呼ぶというが、結局どっちの男も名前の苦手なタイプで決まり。また彼女の予想では向こうも同じような印象を抱いているはずだ。

「ギャラハッド」

 名前の後ろに、何か大きなものが立つ気配がする。彼女と相対している時よりも、どこか柔らかい呼び方。

「迎えに来てくれたんだね。ありがとう」
「従者として当然のことをしたまでです」

 現れたアーサーは不意打ちに名前の頭をポンポン叩くと、彼女越しにギャラハッドと会話を初めてしまう。今のは何だろう。落ち着いて、とでも言っているつもりなのか。

「どうやら間の悪い時間に訪れてしまったようで、申し訳ありません」
「しおらしくなったじゃない。こっちにも同じように謝りなさいよ」
「いや、丁度良いタイミングだった。私の方こそすまない。今夜の会食の件で伝えたいことがあったのだろう?」
「ええ。恥ずかしながら先方が一度時間を調整したいと...」
「もうッ、私を挟んで会話しないで!」

 人様の玄関口で何やら込み入った話をし始めようとするのが少しも我慢できないのか、男二人の狭間で喚いた名前はアーサーの腕下をくぐり部屋の奥へと消えていく。バタバタと忙しなく駆け回る足音が聞こえたかと思うと、少しの時間を置いて両手に何かを抱えながら戻ってきた。ずんずんと地面を鳴らしてアーサーに近寄り、腕の中身を彼の胸元に押しつける。

「この服、返す。それと今着てる服は捨てていいから」

 あのスイートルームのような部屋で起床を迎えた朝に用意されていた着替え。彼女のドレスが返ってきたのならこれも引き取ってもらうべきだろう。とりあえずクリーニングに出したはいいものの、返す宛もなくクローゼットの奥に押しやっていたのが現状である。

「気に入らなかったかな」
「趣味じゃない」

 そうか。アーサーは短く言葉を切って引き下がる。どうやら服の趣味は合いそうになかった。さらに昨日の雨でよれよれになってしまったジャケットやらワイシャツを押しつける。

「泊めてやるのはこれっきり。昨日は私が馬鹿だったけど、もう同じテツは踏まないわ」

 夜を越して名前は悟った。自分がいかにこの男の顔に甘いかを。女受けの良いルックスに、現代日本人にはない徹底した紳士ぶり。品の良さは性格にも現れ、善性でないと判断したものはスパッと断ずる。若干性欲に忠実なのはいただけないが、いかせん男を取り巻くスペックが完璧過ぎることから、それすらもギャップに変えてしまう強さ。彼相手では名前はただのツンデレ女に成り下がる。
 実際、あれだけ腹の立っていたはずの相手に二度も抱かれてしまった。これはもう自身の意思の弱さを責めるしかない。深い反省の果てに名前は気を抜けば足を掬われてしまう危険性を学んだ。

「チャイム鳴らそうが扉を叩こうが、絶対開けないから」
「手厳しいな」

 当のアーサーは不満そうな顔をしながらも腹に叩きつけられた洋服を受け取る。朝ご飯だけ食べて帰るならばクリーニングに出してなるべく綺麗にしてから返そうと考えていたのだが、悠長に気を許していると名前のトークアプリにいるお友達の存在が真っ白になってしまいそうで、ここは早々に立ち去ってもらうことにした。礼儀やマナーといった常識の類は彼女の大事な顧客の前には敵わない。
 洗濯機に突っ込まれたまま朝を迎えた染み色シャツ。その裾がくてんと力なく垂れる。

「なんっ…ですか?!このシャツは!」
「(げっ、しまった)」

 驚くべき光景に肩を鳴らしたのはギャラハッドだ。名前は咄嗟に裾を隠すようにアーサーの腕に押し込むがもう遅い。
 ここにいるのは名前に怖いほど甘いアーサーだけではない。ある意味で彼以上に厄介な男が彼女がなにか無礼なことをしないか目を光らせているのだ。その状況を忘れてしまった現在、ギャラハッドの眼前には大切な主の衣服が無残にも泥の侵食を受けて汚れてしまっている様が映っている。彼の覚えているかぎり、このシャツは純白が売りのアーサーに似合う美しい衣服であったはずだ。
 それが今や首元から背中にかけて絵の具を被ったように土色に染まっている。ギャラハッドは落ちる顎を抑えることができず、元はシャツであり今や残骸となった布切れを震える指先で手にとった。

「昨日泥かけちゃってさー。いや、本当は洗濯して返すつもりだったんだけど」
「泥…、アーサー様に…?何がどうなったらそんな奇行にでられるんですか?」
「う、うるさいなぁ!色々あったの!」

 ギャラハッドのそれは同じ人間を見る目ではなかった。珍獣か何かを目の当たりしたような開きっぱなしの瞳孔を受けて気まずさから視線を逃す。確かに、この汚れに関しては全てにおいて名前に非があった。

「わかった!シャツは洗濯するから。シミ抜きすればなんとかいけるかも」
「いや、これはもう落ちないだろう」
「このシャツはオーダメイドの一点ものですよ。お値段でさえーーー」
「はぁ?!そんなにするのッ!?」

 ギャラハッドに名前を責めるつもりはなくとも、彼にしては珍しく小さな焦りからか飛び出た数字は彼女の度肝を抜いた。予想していた額よりも0が一つ多い。

金は持っているだろうと思っていたが...
この男、本物だ。

 シャツでその値段なのだからジャケットやスラックス共々予想すると…。引き笑いを起こす名前に弁償の二文字がズンっとのしかかる。アーサー至上主義者の睨みがいつこちらに向けられてもおかしくない状況で弁解の一つもできず、嫌な汗が流れていく。

「些事なことだよ、ギャラハッド。昨夜彼女が引き止めてくれていなければ私は風邪を引いていたかもしれないんだ」

 庇ったつもりか。いや、あとで請求書を渡されるかもしれない。名前はヒヤヒヤしながらこの場の流れを見守る。額を聞いてあからさまにやきもきし始めた彼女の前に躍り出たアーサーは、従者の手からシャツを攫ってしまうと紙切れでも扱うように乱雑に丸めてしまった。

「冷蔵庫に残ったフルーツが切り置きしてあるから良かったら食べてくれると嬉しい」

 時間が迫っているらしい。世間は休日というのに先日の朝といい、忙しい男だ。そういえば結局彼が何者なのかは未だに分からずじまいであった。が、知らなくとも良いことだ。一つだけ、アパートの横に黒塗りの外車のお尻が見えて名前はご近所に妙な噂が立たないか心配になった。

「とにかく、」

先程の宣言を取り消さず、うやむやにされたまま帰ってもらうのは困る。

「私は好きにやるから。家にこようとするのはやめて」
「昨夜の男の変貌ぶりを忘れたのかい?」
「もう終わったことだもの、だいじょーぶよ」

 久しくこれほどまでに誠実な人間と会ったことがなかったので忘れていたが、名前はやはり自分のことを嫌な女だと再認識する。アーサーのような男に気にかけてもらっていながら、それをいらないと手放す。きっと贅沢な我儘なのだろう。しかし人間誰しも根本が違うように、彼が彼女に求める理解は名前の知らない価値観でしかない。

「お金はお金、それでいいの」
「あまり、理解したくないな」

 当然だ。名前を理解された気でいたのならたまったものではない。それは良かったと、口調は素っ気なさに拍車をかけ可愛げのない女に磨きがかかっていく。

「早く帰って。頭が痛いから、少し眠りたい」
「まさか、風邪を」
「平気だから」

しつこい。また頭を撫でるつもりか。伸びてきた手を強く払った。

「次に邪魔してくるなら、やっぱりあんたのこと言いふらすなりネットにでも書いちゃおうかしら」

 あまりにも名前を舐めているようなので、はっきり言ってやった。



 朝の日差しが肌に心地よい、ほがらかな一風景に亀裂が走る。それほど露骨な変化があったでもなく、けれど確実にアーサーの顔から表情が消えた。美貌から発するピリっとした変化が周囲に漂う空気の温度すら変えて名前にひやりとした悪寒を走らせる。瞳に宿る光彩が鮮やかなライトグリーンを帯びてこちらを淡々と眺めていた。
 言い過ぎただろうか。しかし、もう取り消せない。

「それはおすすめできませんよ。苗字さん」

 ギャラハッドのこれまでになく冷たい響きが彼女を責める。美形二人に凄まれるのは中々に迫力があった。これが昼ドラマのような三角関係ならば名前も両手にイケメンと頬を緩ませたいところだが、生憎と睨まれているのは彼女一人だけ。

「貴方が今そこに立つことができるのは、アーサー様の慈悲によるものです。僕があの朝言ったことを忘れてはいないでしょう」

 もちろん覚えている。しかし、このくらい宣言しない限りアーサーは名前へのお節介をやめない。彼は優しいから彼女が実行に移さない限り危険な発言にも目を瞑るかもしれない。ただ、どうしようもない女だと思って見放してくれればよかった。
 沈黙が玄関口を支配する。案外地雷は近くに転がっていて、名前は鼓動の収束を速めながらも顔に出ないようにアーサーが喋るのを待った。

「......。」
「...行きましょう。アーサー様」
「いや、すまないがこれを持って先に車内で待っていてくれないか?」

 名前が身構えているよりも幾分あっさりした声音でアーサーはギャラハッドにお願いという名の命令を下す。主人の雰囲気を敏感に感じ取った従者は微妙な表情を浮かべつつも、その両手にしっかり衣服を抱いて名前の視界から姿を消した。

 玄関には名前とアーサーの二人きりとなる。アーサーが支えていた扉から手を離せば太陽の明かりも外の雑音も遮断され、沈黙を貫く薄暗い空間ができあがる。バタン、と聞き慣れた扉の閉まる音がやけに重々しく鼓膜に響いた。名前は一歩も引く気は無く、アーサーが自身の発言を取り消すのを待つ。本能が身構えろと警告するのでいつどこから手が伸びてきても捕まらないように警戒は怠らない。まさかこんな朝から従者を待たせた状態で始めるものなどありはしないだろうから、そこまで怯える必要があるとも思えないが念のために。
 第一に名前から振った話題であり、彼女が作り上げた空間だ。臆していては情けないにもほどがあろう。

「いじらしいな」
「っ、」

 馬鹿にしている。どこか見たことのあるその顔は昨日の夜、彼が名前のパートナーに向けていた挑戦的な笑みそのものだった。冷笑、とも呼べるかもしれない。再三名前の食事マナーを注意してきた男とは思えない。
 思わず足がすくみそうになって、しっかり力を込める。アーサーの庇護の元で生き方を変えさせられるのはまっぴらごめんだ。

「僕は、君としていることをどこに書かれても構わないよ」

切り出し口は穏やかなのに名前の胸には不安が過ぎる。手の先がとても冷たくなっている。

「結果として僕の周囲は何も変わらず、けれど君を取り巻く環境は変わるだろう」
「そんなの、」
「手始めにこの家から出てもらうことになるけれど、もしかしたら君のためにもそれがいいのかもしれないね」

 何かされる。でも何をされるのか分からない。眼光が鋭く名前を射抜いた途端、弾けるように逃げだした。実力行使に出られたら抵抗は難しいから、部屋の奥に逃げ込もうとして、腰を取られる。足は踏み出すだけに終わった。

「や、やだッ!」

 向き合う形で抱き直され、振り向く前に影が迫る。名前の視界いっぱいをアーサーの美しい顔が通り過ぎたかと思うと、首元をぞくりとした違和感が襲った。
 肌の柔らかな部分を覚えのある感触が往復する。一点を狙うように何度も同じ場所を舐られて、名前は自分が獲物と化した恐怖に駆り立てられた。挑発していた自覚はあったが、本当にこんな場所で始めるつもりなのか。全身の力を腕に込めて必死に男の体を押しているとチリッと痺れが走る。

「いッ、た...!」

 じんじんと疼くような感覚が遅れてやってくる。痛いことをされるとは予想になく、名前は完全に猫だましをくらってひるんでいた。
 一度力の抜けた体は簡単に抱き寄せられ、口を離してはまた口づけられる。一つの箇所を何度も執拗に舐ってはジュっと音を立てて吸いあげる。背中を叩いてもスネを蹴ってもアーサーはやめず止まらず、あまりのしつこさにそのうち名前の体の方がビクリ、ふるえてとまらなくなってくる。

「(バカッ。思い通りになっちゃだめ!)」

 ここで力の限り抵抗しなければ、アーサーにとって名前は本当に取るに足らない存在になってしまう。もう既にそう思われていたとしても、これ以上男という存在に為すがままにされるのは嫌だった。

「っ、ぅ...や。耳、やめて...ッ」

 ちゅうちゅう首を吸われた後は、すでに性感帯として開花しかけている耳周りを犯される。くすぐったさが別の感覚へ進化していく。

 たった2回。抱かれただけ。

「(どうして...)」

 己の体はここまで刺激に弱かっただろうか。名前は泣きそうになりながら、どうにかしてアーサーの体にしがみついていた。気の遠くなるような長い時間、耳から首筋にかけて蹂躙され、アーサーの腕に支えられながら彼の囁きを受け止める。

「名前、僕があの夜言ったことを覚えているかい?」
「っは、ぁ...あの夜って、」

初めて会った夜のことだろうか。

「約束を破ったら僕にも考えがある」

言っ、たかもしれない。だけどそれは

「まさか昨日限りで許された、とは思っていないよね?」
「……っえ、」
「覚えておいて」

 アーサーの力が緩む。みっともないと分かっていながらもずるずると下がる腰を止めることはできず、仁王立つ彼の足にへばりつきながら名前は地面にぺたりと崩れた。
 壁を支えにゆっくり息を吐くことに必死になっている名前が見たのは悠々とした足取りで敷居をまたぐ男の背中だった。
 ふわり、風に揺れた金髪が陽を浴びてチカリ名前の視界を眩ませたのち、玄関の扉が静かに閉まる。嵐が去った。結局また、何もできずに終わり。



 
 名前は未だに玄関から動けないまま浅い呼吸を繰り返す。女としての本能がすでにあそこに熱を持たせている。自分の体に起きた変化に頭の処理が追いつかない。少し舐められただけなのに、下半身がむずむずして落ち着かない。
 体感時間にしてどれくらいうずくまっていただろうか。怠さの残る体を持ち上げ、たどたどしい足取りで鏡のある洗面所までやってくる。嫌な予感を抱きつつ首元を照らし合わせてみれば、...予想通り。

「…最悪だ」

 明日会う予定のパパがいた。けれど、どんなにタオルで温めてもこの赤味は引きそうにない。名前は仕方なく会うことができなくなった旨を伝えるためにタブレットを取り出す。すると、見知らぬアイコンから何やら通知が届いていた。

『少し熱があるようだから、ゆっくり睡眠をとるように』

 その一文が誰からのものか、頭の中で自動的に男の声が再生させる。隙をみて登録されていたのだろう。名前は固く機器を握り締めて、短い舌打ちをこぼすと、いつの間にか綺麗に畳まれていた布団の上に頭からボスン、と沈んでいった。

「……さいあくだぁ」

 明るい未来がどこにも見えない。もしかして、かなり厄介な男に目をつけられた?



ep.2-END


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