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資料室の奥にある事務室で、エルヴィンに提出するための書類をダリアに見てもらっていた。
恐らく修正が加わるところはほぼないだろうが、こいつのところに足を運ぶには、ちょうどいい口実だ。
相変わらず手持ち無沙汰な俺は、すぐ隣りの椅子に腰掛けて、ぼんやりとダリアを眺めている。
「…リヴァイさん、ざっと見る限りでは、直すところはなさそうですよ。本当はご自分でもそのことを自覚されてるのではないですか?」
「あ?てめぇ、しっかり見たのかよ。手、抜きやがって」
まんまと図星を指されて、悪態をつくと、隣りで盛大に溜め息を吐かれた。
「…図星ですね。リヴァイさん、一瞬目が泳ぎましたよ」
「うるせぇ。だとしたら、どうだって言うんだ」
「明日から壁外調査が始まるというのに、こんなところで油を売ってていいんですか?って言います」
「てめぇは何も知らねぇんだな…ダリア」
生きるか死ぬかの壁外調査。
その前日はほとんどの奴が自由に過ごせる時間が与えられる。
そのことを説明してやると、今の今まで生意気なことを言っていたダリアは、急に顔色を変えた。
そんな顔させたかったんじゃねぇ。
「そんな大切な時間を私のところで過ごすなんて……リヴァイさんはどうかしてます」
察しろ、と言いたいところだったが、俺の口から溢れるのは、行き場のない気持ちをぶつけるかのような捻くれた言葉だった。
「そうだな。とうとう俺もイカれちまったのかもな」
「そんなリヴァイさんを嬉しく思う私もイカれてしまったのかもしれないですね」
同じですね、とクスクス笑うダリア。
こいつの今のこの顔は、休暇に過ごした丘で起きた衝動を再び呼び起こす。
本当にどうかしちまってる。
名前のないこの感情を押し込めるために、顔を逸らしてひとつ舌打ちを打った。
「言ってろ。そんなことより、さっさと目を通せ」
俺の気も知らずに、知る由もないんだろうが、ダリアはまだ尚小さく笑いながら、わかりましたと書類に視線を落とした。
しばらく行儀良く待っていたら、やっぱり手直しは必要ない、と書類を返されてしまった。
資料室から出て行こうとしたとき、珍しく呼び止められて振り返ると、改まった表情をしたダリア。
「明日の壁外調査、見送りには行きません。いつもと違った特別なことをすると妙に不安になりますので」
「…それでいい」
それでこそダリアだと思ったが、そこまでは言ってやらず、代わりに真面目くさった顔したダリアの頭の上に手をポンと置いた。
「いつも通り、ここで執務に励んでろ」
それだけ言うと、今度こそ資料室を後にした。
***
夜の帳が下りてから時間がだいぶ過ぎてしまった頃、自分の執務室でやり残した書類をひとり片していたら、コンコンと遠慮がちに扉が叩かれた。
入れ、と書類から目を離さないまま、入室の許可を与える。
「お疲れ様です、リヴァイ兵長」
その声に驚きなんてものはなく、返事すらせず、そのまま書類に目を走らせる。
声の持ち主は、ちょっと前に身体の関係を持った女だった。
名前すら思い出せない、俺にとってはその程度の存在であるこの女が、こんな時間に俺のところに来た理由は、何も言わずともわかった。
わかってはいたが、敢えて用件を尋ねる。
「何しに来た」
「意地が悪いですね、兵長。言わなくたってわかってるくせに」
そう言いながら俺のすぐ横に近寄り、薄ら笑いを浮かべたそいつは、手元の書類を俺から奪った。
「悪いが、そんな気分じゃねぇ」
まさかの拒否の言葉に一瞬呆気に取られた女は、すぐさま表情を次のものに移し変える。
その顔というのは、少し見ただけで不愉快にさせられるものだった。
「明日から壁外調査なので、てっきり今夜は相手にしていただけると思ったのに。どうしてです?」
「………悪いな」
「もしかしなくても、ダリアっていう、あの資料室の女ですか?最近仲がよろしいようで」
ダリアの名前を出されて、ますます胸糞悪くなり、奪われた書類を乱暴に取り返した。
何も知らねぇのに、気安くダリアの名前を口にするんじゃねぇ。
直接、言葉にはしないものの、視線だけで敵意を向けた。
それを察した女は、焦りを少し見せ、今夜は諦めると言い放ち、そそくさと退室していった。
何て夜だ…。
明日から壁外調査だってのに。
集中力、いや、それ以前にやる気を削がれた俺は作業を続けることを諦めて、苛立ちとともに書類を机に投げやった。
「クソッ……!」
いつもだったら、俺を求めて来る女に平気な顔して欲をぶつけていたのに、今夜に限って何だっていうんだ。
心を鎮めようと深く呼吸を吸い込んでみるが、そんなことをしても無駄な努力だった。
机上に広がる書類を適当に掻き集め、それを手にして、がたりという音とともに椅子から立ち上がった。
言いようのない苛立ちの正体を薄っすら心が感じ始め、それを確かめるべく俺が向かおうと決めた先は、ダリアの私室。
「特別なことはしない」と言ったあいつに悪いとは思うが、そんな都合に構ってやれる程の余裕はない。
とにかく顔を見たかった。
執務室を後にして、苛立ちに任せていつもより早いペースで暗がりの廊下を歩き進む。
ダリアの部屋に辿り着くと、周囲に気づかれないよう、静かに扉を叩いて来訪を知らせた。
扉は開かれないが、その向こうで、明らかに不審の色を含んだ声が帰って来た。
そりゃそうだ、こんな時間に部屋に来るような奴を歓迎するダリアではないことくらいは知っていたから。
「…俺だ………」
いくらか気まずさ、申し訳なさが湧き出てきたせいで、躊躇いがちに名乗ると、静かに扉は開かれた。
視界に入ったダリアは、もうすっかり寝る支度をしたのか、寝巻きに柔らかそうなガウンを1枚羽織っていた。
「…どうされました?こんな時間に……とにかく中へ」
こんなにあっさり部屋に入れてくれるとは思ってなかったから、逆に驚きもしたが、一応こんな非常識なことをした詫びを入れながら、ダリアの部屋へと足を踏み入れる。
初めてのそこは、いつだったか、資料室でダリアと出逢った時に仄かに感じた居心地の良い印象を俺に与えた。
必要最低限に揃えられた家具、それに反比例するかのように量の多い本が視界に入る。
ダリアを象徴するようなシンプルで慎ましやかな部屋だった。
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