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風が流れる音、草花が揺れる音。
それらに包まれるだけで、私は満たされる。
手元の本のページをゆっくりとめくり、文字の世界に没頭する。

そう、これが私の休暇の過ごし方。
いつもと違うのは隣りにリヴァイ兵士長がいるということ。

不思議な気分だった。
ひとりで過ごすことが当たり前だったのに、兵士長が隣りにいることに違和感がなかったから。

どのくらいの時間が経ったのだろう。
飽きることなく、隣りで腕を枕にして横になるリヴァイ兵士長は、時には目を閉じたり、時には宙を眺めていたり、いつもの意地の悪い言葉を口にするでもなく、同じ空間を共有していた。

そんな兵士長をちらり、と横目で見ると、視線が交わった。

「退屈…になりましたか?」

「そうだな、そろそろ寝飽きた」

「…起きてましたよね?」

「寝てた。難しい顔しながら本読んでる誰かさんの顔見ながらな……何読んでたんだ?」

ぐっと伸びをする兵士長。

「これ、ですか?」

私は、栞を挟んでパタンと本を閉じ、少しだけそれを傾けて、ひとつ呼吸を置く。

「小説……恋愛小説…です」

「ほぉ…意外なもの読んでるじゃねぇか。てっきりもっと小難しい兵法書でも眺めてるのかと思ってたがな」

「ええ、普段は小難しい本を読むんですけど、人から勧められたので。何だか別世界の話ですね、こういうのって。私には向いてないような気がして。正直なかなか進みません」

少し気恥ずかしくて、訊かれてもいないのに、必要以上に言葉を並べる私。

「面白れぇ。もっと聞かせろよ、その話」

ゆっくり身体を起こしたリヴァイ兵士長は、片膝を立てて座り、私の顔を覗き込む。
どんな顔をすればいいのかわからず、つい、兵士長から視線を外し、俯くしかなかった。

「恋愛って、数は本当に少ないんですけど過去に経験したことはあるにはあるんです。でも、あまりいいものではなかったなって思って。……こんな話聞いてて楽しいですか?」

「いいから続けろ」

有無を言わさない兵士長。
容赦ないな、と諦めの溜め息をこぼして、私は言葉を続けた。

「そもそも人付き合いがそんなに得意ではないところに、いわゆる恋人って呼ばれる男性と意思の疎通を図るのはもっと難しくて。よく言われたものです、お前は何もわかってないって。あとはつまらない女だとも」

「ろくな奴じゃねぇな、そいつは。少なくとも俺はそんな風にダリアのことを思ったことなんてねぇ」

リヴァイ兵士長の意外な発言に驚きはしたものの、少し救われたような気がして、小さく、ありがとうございますと呟いた私は、顔をやっと上げることができた。

「それで、徐々に恋愛ってものが何なのかわからなくなっていって、そういうことから遠のいて……今に至ります。すみません、こんな話だらだらと。兵士長殿に聞かせるような話じゃないですね」

「話は俺から振ったんだ、気にするな。それより、その呼び方いい加減何とかなんねぇのか。そっちの方がよっぽどクソ面白くねぇ」

きちんとしているつもりだったのに、まさかこんな風に睨まれるとは思ってもみなかった。
私は、心外だという顔で、じゃあ、どのようにお呼びすれば、と訊くと、舌打ちをひとついただいてしまった。

「……リヴァイだ。俺にも一応名前があるんでな」

「……リヴァイ…さん」

初めてご本人を目の前にして呼ぶ名前。
たった一言。そう、名前を呼んだだけなのに、今まで経験したことのないような感情の波が押し寄せるようだった。

「リヴァイさん」

その感情の名前を知りたくて、もう一度口にする。

「リヴァイさん…」

胸の奥で何かが引っかかるような感情。
手が届きそうで届かない……違う、本当は届くのに怖くて手を伸ばせないのかもしれない。
もう一度、名前を呼ぶ。

そんな私を黙って見つめる兵士長。
返事をするでもなく、馬鹿にして笑うでもなく、ただただ黙って。
その視線に捕らえられたかのように、私も視線を外せないでいた。

訪れた静寂の中、ゆっくり、ゆっくりと近づくリヴァイさんの顔。
どくん、どくんと自分の心臓の音が響く。
お互いの距離がゼロになる直前で静かに私も瞼を落とした。
最後に見えたのは、目を閉じたリヴァイさんだった。

風に当たったせいか、少しひんやりとしていた唇が熱を持つ。
私の熱なのか、リヴァイさんの熱なのか、はたまた2人の熱が溶け合ったのか。
触れ合うだけなのにとても熱い。

たった数秒が、永遠のように長く感じられる。

唇が離され、そっとリヴァイさんの手で両頬を包まれた。

「こういうのも、悪くねぇだろ」

「………突然過ぎてわかりません」

「なら、わからせてやる」

そう言い放ったリヴァイさんは、今度は間髪入れずに私の唇に噛みついた。
さっきのキスとは打って変わって、身体が痺れるような熱情に溢れたものだった。

呼吸することも許してもらえず、酸欠状態になった私の思考は徐々に徐々にリヴァイさんに侵食されていく。

角度を変えて何度も何度も口付けられる。
穏やかで開放的な空間とは似つかない、とろりとした甘美に満ちたキス。

自分の力で身体を支えきれなくなった頃、強い力が働いてリヴァイさんとともに草原の上に倒れこむ。
両手は顔の横でリヴァイさんの手によって縫いつけられてしまった。
指を絡められ、私もぎゅっと握り返す。

尚も与えられ続けるキスに目眩さえ感じてしまった。

やっと解放された唇。
苦しくて苦しくて、呼吸を整えるのでやっとな私をリヴァイさんが引っ張り起こしてくれた。

「……わりぃ……大丈夫か」

「いえ……でも、大丈夫じゃないかもしれないです」

何だそりゃ、と小さく笑われてしまった。
私は恥ずかしさでリヴァイさんの顔をまともに見ることはできなかった。
けれど、彼の言うとおり、こういうのも悪くない、と心のどこかで思ってしまったのは、秘密。

その後は、最初来たときのように、2人で並んでシートの上に座って、何もなかったかのように静かな時間を共にしたのだった。




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