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「悪いな…夜遅くに」

リヴァイさんを部屋に通すと、開口一番が謝罪の言葉だった。
確かに驚きはしたし、本来だったら明日にしてもらうところだったけれど、相手が相手なだけあって無碍に門前払いはできなかった。もしかしたら、そうしたくなかったのかもしれない。

はっきり自分でもわからない気持ちだったから、言葉少なく、気にしないでほしいということだけを伝えた。

「さすがに…眠れませんか?」

「いや、これを渡したくてな」

差し出されたのは、無造作に握られていたせいで少し皺の寄った書類たち。
これらはきっと「ついで」であることが何となくリヴァイさんの表情からうかがい知れた。
けれど、それを言葉にするには何だか忍びない気がして、素直に受け取るだけに留める。

「留守にしてる間、時間があったら目を通しておいてくれ」

「わかりました。きっと時間はあると思います」

「悪いが助かる。…すっかりお前に甘えちまってるな」

このくらい…と返事をすると、それからは沈黙が流れた。
リヴァイさんは、まだ部屋から出て行く素振りを見せない。
立ったままのこのやり取りは、あまりにも手持ち無沙汰で落ち着かなかった。

この部屋には、椅子と呼べる大そうなものはなく、少しだけ書き物ができるようにと置いた机の側にある簡素な作りのスツールが1つだけ。

大胆な気もして気持ちが小さくなったけれど、ベッドに目線をやり、座っていただくよう手振りでそれを示した。

「まだ団服だから、汚れるぞ」

「構いません…嫌じゃなければどうぞ」

悪いな、と今夜は謝ってばかりのリヴァイさんが少し遠慮がちに腰を下ろした。
今夜は何だか調子が狂う。

さすがに私はリヴァイさんの隣りに座ることはできず、スツールを引っ張り、向き合う形に置いた。

「そんなところに座らねぇでこっち来い」

驚いて返事もできず、直ぐさまリヴァイさんの言う通りにもできず、その場に立ち尽くした私。

「何呆けた顔してやがる。取って食いやしねぇよ」

「ですが……」

せっかく座ったのにまた立ち上がったリヴァイさんは、はっきりしない私に痺れを切らして、傍まで歩み寄る。

いいから来い、と一言溜め息とともに吐き出された言葉。
その刹那ぐいと手首を掴まれ、ベッドまで歩みを共にした。

「座れ」

有無を言わさない言葉の割には柔らかな力が加わり、リヴァイさんの胸に背中を預ける形で座らされた。

腰に回されるリヴァイさんの腕。
肩口に感じるリヴァイさんの吐息。
背中から伝わるリヴァイさんの体温。
これはまるで恋人同士が同じ時間を共有している風景のようで、そう考えるととてもとても恥ずかしくなる。

「落ち着きません…」

「落ち着けよ」

「さっきからリヴァイさんに命令されてばかりです」

「ダリア、教えてやろう。こういう時は、黙って目を閉じてみろ」

静かに諭すように言葉が紡がれる。
ひとつ大きく深呼吸をして、言われたとおり目を閉じて、肩の力を抜く。

どくん、どくん、とリヴァイさんの鼓動が背中に伝わって聞こえて来る。
それがとても心地よく響いた。

「何か聞こえただろ?」

「はい…リヴァイさんの…生きている音が聞こえます」

「ああ、今はまだ生きてるらしいな」

明日からの壁外調査…。
日中、リヴァイさんから聞いた生きるか死ぬかという瀬戸際に追い詰められる恐怖を知ったばかりだった。

さっきまで膝の上に置いていた手をリヴァイさんのそれに重ねた。
なぜだかそうしたくなってしまった。

「私は…まだこの先もリヴァイさんのこの生きている音を聞いていたいです」

リヴァイさんは何も言わない代わりに、少し、ほんの少しだけ私に回している腕の力を強めることで返事をしてくれた…ような気がした。

「壁外から戻って来れたら、お前との名前のないこの関係に終止符を打つ。……遠回しだが言ってる意味わかるか?」

私の勘違いでなければ、恐らく…。

「はい…わかります」

「なら、いい子にして俺の帰りを待ってろ」

本当だったら、嬉しい言葉のはずなのに、こんなにもの寂しい気持ちが溢れるのはなぜだろう。
きっと「戻って来れたら」という仮定のせい。
だからと言って、今の私に必ず生きて戻ってほしいという重たい言葉は言えなかった。
リヴァイさんの足枷になりたくなかったから。
この先も聞いていたいと思う音を奏でる心臓は、私のような小さな存在にではなく、人類に捧げられているということもわかっていたから。

それでも…。

「……待っています」

そう答えずにはいられなかった。

次の日、私は宣言どおりいつもと変わらない日常を過ごしていた。
掃除に、資料の蔵書整理、修繕。
加えてリヴァイさんから預かった書類の確認。

ただ違っていたのは、辺りがいつも以上に静けさに包まれていたということ。
きっと計画どおり兵団内の兵士たちが壁外へ出立したのだろう。

リヴァイさんの無事を願わずにはいられなかった。
気を抜くと、昨日のことが頭を過るから、私は頭を振って思考を元に戻す。
でも、時間が少し経過すると、再びリヴァイさんのことを想ってしまう。

自分だけが世界にぽつんと取り残されたという錯覚。
その錯覚としばらくお付き合いすることになるという覚悟を決めた朝だった。



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