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今日も至って静かな1日だった。
壁外調査で兵士たちが不在にしていること。
外が曇り空に覆われているせいで気分が低空飛行していること。
それらが起因していて物理的な意味での静けさに輪を掛けて、なんとなしに陰鬱な空気を纏う私は今日で何度目かの溜め息を吐いてから作業中の手を止め、ぼんやりと宙を見つめていた。

だけどその霞みがかった思考を一気に現実に連れ戻す音が徐々に近づいてきた。

馬の蹄が地面を蹴る音。
本来なら一定のリズムで小気味良く耳に響くものなのに、今日はそれが違って聞こえる。
心なしか疲弊と暗然とした音が含まれているようだった。

ちょうど私のいる資料室は1階にあり、馬屋に向かう途中に位置しているため、その音が近くに来ていることがよくわかる。

立ち上がってみたもののなかなか窓際まで足が進まない。
列の中にリヴァイさんはいるのだろうか。
それを確認したいのに足が竦んでしまったかのように、その場を動けずにいる。

もたついている間にちょうど資料室の横を音が通り始め、私は勇気を絞って小走りで窓際まで駆け寄り、そこに張り付いた。

外を覗けばやはり音で感じたとおり、壁外から帰還した兵士たちが列をなして馬屋に向かっているところだった。
先頭はとっくに通り過ぎてしまっていて、リヴァイさんの姿を確認できず、私の心臓は早鐘を打つ。

「…あ……っ!」

思わず声が漏れてしまった。
求めていた人物の後ろ姿をやっと見つけられたから。
ただ両手放しで帰還を喜ぶにはまだ早い気がした。
もちろんリヴァイさんの帰還は嬉しいに決まっているけれど、今回の壁外調査も私なんかには到底わからない壮絶さがあっただろう。それを察すると単純に喜ぶことが不謹慎なことのように感じられた。

正直どんな顔をしてリヴァイさんと向き合えばいいのかわからなかったし、戻ったばかりで忙しくされていることも予想できたから、私は結局すぐにはリヴァイさんの執務室に足を運ぶことができなかった。

元いた場所に戻り、落ち着かない心のまま途中だった作業を再開する。
古い資料をリスト化していたのだけれど、全然タイトルが頭に入らず書き写すだけの単純作業なのにとてつもない時間がかかる気配がした。

それからどのくらい時間が経ったのだろう。
そろそろ灯りを点さないとペンを走らせる手元がだんだん見えにくくなってきたことで、やっと頭を上げた私。
固まりつつある肩をほぐすために大きく伸びをしたタイミングで、久しぶりに私以外の人がこの部屋の扉を開ける音がした。
足音のする方へ目をやる。

「リヴァイさん……!」

「よお、イイ子に留守番してたか?」

いつもより疲れの色が出ているリヴァイさんの顔。
それでもやっと顔を見ることができたせいで、安堵感が身体を覆う。
椅子から立ち上がり、こっちに向かって歩くリヴァイさんの元へと駆け寄り、無事に壁外から帰ってきた姿を再確認した。

おかえりなさいと言葉を掛けると、ああ、といつもの素っ気ない一言が返ってきた。
とりあえず奥の事務室へ促すと作業を中断させてしまったことへ謝罪をされてしまい、かえって申し訳ない気持ちになりつつ急ぎの仕事ではない旨を伝えた。

「お疲れのところこちらに出向いていただいてしまってすみません。正直言うとリヴァイさんのところに顔を出そうかどうか悩んでしまって。きっとお忙しいだろうと思って……そしたら伺うタイミングを逃してしまいました」

「…よく喋るな。そんなに俺が帰ってきて嬉しいか?なぁ」

確かにいろいろ一気に捲し立てるように喋っていた。
リヴァイさんからそれを言われて急に恥ずかしくなり、逃げるようにお茶でも…と給湯スペースに向かう。

すると後ろから手首を捕まえられ、すっぽりとリヴァイさんの腕の中におさめられてしまった。

「ちょ…っ…リ、リヴァイさん…っ!」

「なんだ」

「なんだではなくて…まだ執務中です…!」

私の抵抗は虚しく、更にリヴァイさんの腕に力が込められ、背中が熱く感じる。
肩口にリヴァイさんの吐息が…。
どうすれば……。

「せっかく生きて帰ってこれたんだ。これくらい大目に見ろよ、ダリア」

そんなことを言われてしまったら、恥ずかしいとか執務中だとか言ってられないじゃない…。
私は心の中で毒づいた。
背中から回された腕に少し遠慮がちに手を乗せ、目を閉じてリヴァイさんの鼓動が響いていることに意識を運ぶ。

「……こっち向け」

とっくに白旗を掲げて降参していた私は、深呼吸をひとつしてからリヴァイさんの言うとおり、腕の中でぐるりと正面に向き合った。
…顔が近い。…恥ずかしい。

何も言わないリヴァイさんの反応が気になり、おずおずと目線を上げるとカチッと視線が交わった。
私の反応を楽しんでいるかのように、口角を上げてほくそ笑むリヴァイさん。

「笑うなんて…酷いです…」

「笑ってねぇ、元々こういう顔だ」

「嘘です…もっと仏頂面してます、普段は」

「うるせぇ、いい加減黙れ」

そう言うや否や、塞がれた唇。腰と後頭部にそれぞれ手が回され、逃げるなと言わんばかりの力が加わる。
逃げる気なんてないのに。

優しいキスなんてものではなく、食い尽くすかのような激情のこもったキス。
私は呼吸することも忘れ、無我夢中でリヴァイさんの唇、舌の動きに応える。

ダンスホールでくるくると踊るように、唇を離さないまま事務室の机まで移動させられ、そのまま抱えられ机に上半身だけ仰向けにされた。

リヴァイさんのキスはまだまだ続く。
時折、甘い吐息まじりの声を上げながら。

机の固さなんて気にならない程、夢中でキスをする私は、味わったことのない官能の渦に飲み込まれそうになる。
全身が痺れ、目眩さえ覚える。

1度顔を上げたリヴァイさんはまた意地悪そうな表情を浮かべた。さっきよりも余裕がなさそうではあったけど。

「その顔…堪んねぇな…」

「…見ないでください」

恥ずかしさのあまり顔を両手で覆うと、いとも簡単に剥がされそのまま顔の横で机に固定されてしまった。

「隠すな……やりにくいだろ」

再び降ってくるキスの嵐。
唇が重なり合う度に水音が響く。

私を押さえ込んでいたリヴァイさんの手がするりと私の腕を撫で下ろし、身体の側面を上から下へと滑らせていく。
その動作だけで自然と淫らな声がもれてしまう自分に思わずハッとさせられ、散らばっていた理性を掻き集めた。

「リヴァイさん…もう、これ以上は…」

そう言いながら、そっとリヴァイさんの胸を押した。
いわゆる“良い雰囲気”だったところに水差す自分にほとほと嫌気が差すけれど、このまま流されるわけにはいかなかった。

リヴァイさんはひとつ舌打ちをして渋々身体を起こし、私も起き上がる。

「……ごめんなさい」

「謝るな。少し先を急いだのはわかってる」

「でも………」

「なら続けるか?」

それはできなかった、というよりしたくなかった。
自分の気持ちを言葉で伝えてないし、リヴァイさんの想いも直接聞いているわけではなかったから。
わからないまま雰囲気に飲み込まれるだけでこういうことをするのは、何だかとても後ろめたい。
身体だけの関係みたいで。

首を横に振り、できません、とだけ伝えた。

「お前らしいな、ダリア。中途半端なことをしたくないんだろ」

今度は首を縦に振る。

「それなら今夜付き合え。壁外に出る前にした“終止符を打つ”って話をするぞ。至って冷静にな」

「わかりました。……紅茶でも飲みませんか?一息入れましょう」

リヴァイさんの返事を待たないまま、給湯スペースに向かい紅茶の準備に取り掛かった。
努めて冷静さを保つようにしたけれど、背中に刺さるリヴァイさんの視線を痛い程感じ、手が震える。

その原因が不安なのか、緊張なのか、はたまた期待からなのかわからず、それを探りながら淹れた紅茶は、リヴァイさんの言葉を借りるとクソまずいものだった。



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