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脳裏に浮かぶのは涙で濡れたダリアの顔。
これまで築いてきた関係をズタズタに引き裂いてしまった己を呪うことしかできない。
酷い焦燥感と醜い嫉妬心に打ち負けて許されることのない過ちを犯してしまった。

ダリアを闇に覆われた奈落の底に突き落としたも同然だった。

執務室で自責の念と拭いきれない後悔を手放すことなく、深くソファに腰を沈めていたとき、何の前触れもなく扉が乱暴に音を立てて開かれた。

ズカズカと無言で部屋に入り、俺の向かいに座ったのは予想どおり、ハンジだった。

「リヴァイ、私が何を話に来たかわかるかい?」

無言で顔を上げて奴の表情を拝む。
いつもより低く、暗い声を出すハンジが何を言いたいのかなんてことは簡単にわかった。
俺が答える前に、身を乗り出して言葉を追い立てる。

「ダリアのあの手首、リヴァイだろ?何やっちゃってるの、あなたは」

言っておくけど、と前置きしてハンジは自分にとってもダリアは特別な存在だと悲しそうな表情を浮かべてみせた。

「あなたの色恋沙汰に口を挟む気はないんだよ。ダリアにだってそう。でもさすがに今回のことは見過ごせないよ」

何を言われても仕方ない。
俺は返す言葉もなく、再び下を向いた。

「人類最強が聞いて呆れるよ。まったく。この世の終わりみたいな顔してるけど、ダリアはもっと…」

「あいつは……どうしてる」

ハンジの言葉を遮って、本当は俺にはこんなことを訊く資格はなかったが、訊かずにはいられなかった。

「え?ダリア?いつもどおりにしてるよ。そ、いつもどおり。…無理してるよ」

「そうか……」

あいつらしい。
死ぬ程嫌な思いをしたくせに、平静を保っていつもどおり仕事してるんだろう。
黙って書類に目を落とすダリアの横顔を思い出す。

「あのねぇ、リヴァイ。良心の呵責に苛まれてるところ悪いんだけど、あなたはやらなきゃいけないことがたくさんあると思うよ?」

ひとつずつ考えてみなよ、とハンジは深く溜め息を吐いた。
どす黒い感情が頭の中を占領していたから、ハンジからの言葉は正直ありがたかった。
普段ならありえねぇことだが。

「本当だったらあんなことしたリヴァイからはダリアを遠ざけたいところだけどね、まだ一縷の望みはあるんだよ」

「どういうことだ…」

「ダリアはたぶんだけど、あなたのことは許すと思う。これはあくまで勘だけど。一縷の望みをリヴァイに託したらきっと…」

「きっと……なんだ」

「悔しいからこれ以上は言わないでおくよ」

「ひとつ答えろ。お前の勘の根拠になるものは何だ。…勘に根拠もクソもねぇとは言わせねぇ」

「仕方ないな。それだけは教えるよ。ダリアの手首を見つけたとき、あの子の発した唯一の言葉が根拠だよ」

「唯一だと?」

「そう。何があったか答えるどころかあなたへの恨み辛みさえも言わなかったよ、ダリアは。言ったのは、リヴァイさんはどうしてますか、だよ。心配してたよ」

恨まれて憎まれて当然の俺を心配?
一瞬耳を疑ってしまい、顔を上げた。

「驚くだろ?でもそれでこそダリアだと思わないかい?」

そんなダリアが俺は好きだった。
そんなダリアを俺が汚した。

一縷の望み。
ハンジに託されたが、それをどう受け取るのかダリアは。
そもそもそんな資格を持つのか俺は。
何もわからねぇ。

「ま、あとはリヴァイとダリア次第だよ。さっきも言ったけどこういうことに首は突っ込まない主義なんだ」

前傾姿勢を改めたハンジは足を組んで、俺を見据える。

「ダリアの前に精算しなきゃいけないこともあるだろ?」

「ああ、だがもう終わった。…酷い奴だと平手打ちをお見舞いされた。あの女の言うとおり残念な男だよ、俺は」

「そうかな?その点に関してはお互い様な気もするけどね。利害が一致して割り切った関係だったんだろ?」

「まあな…だが、結果がこれだ。酷い奴には変わりねぇ」

「人類最強改め人類最低を名乗ったらどうだい?」

うるせぇよ、と睨むと、ハンジは気味が悪い笑いを浮かべた。
それでこそリヴァイだよ、と。

今回ばかりはハンジに救われたことを実感する。
まぁ、あくまでダリアのためなんだろうが。
それでも薄っすら光が差したような気がした。

ハンジは立ち上がり、あとは頼むよと真剣な眼差しを俺に向けた。
頼まれていいものかまだ決め兼ねている俺だが、退室しようとするハンジを見送ろうと一緒に立ち上がった。

「そうそう、ダリアの名誉のためにも言っておくけど、あの夜、私とは何もなかったよ。男女の友情で結ばれてるだけだから」

羨ましいだろ、と一言残し、扉を後ろ手に閉めやがった。
確かにな。
今の俺からすれば喉から手が出る程、羨ましかった。

再びソファに戻り、天井を眺める。
これからどうしたものか。
ハンジの話を聞いてすぐ様行動に移せる程、単純明快なことではなかった。
そもそもどのツラ下げてダリアに会えばいいのか、という始めの一歩を踏み出すところから、考える必要がある。

自分で蒔いた種の芽を摘むことがこんなに難しいだなんてことを改めて思い知る。
しばらくは自問自答が続くだろう。
当然の報いだ。

天井を向いたまま、目を閉じ、しばらく思いを巡らせた。

もうあいつの泣いた顔は見たくねぇ。



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