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「……ダリアか…こんな早くに、しかもこんなところで何してる」

太陽が大地に現れてまだ間もない早朝。
珍しく休みをもらった俺は、たまには遠乗りでもしてやろうと馬屋に足を運んでいた。
人の気配は感じていたものの、意外な人物の後ろ姿が視界に入り、驚かずにはいられなかった。

ダリアは、馬の毛並みの手入れをしており、近くに置いてある荷物を見たところ、この後出掛けるのだと察しがつく。

「おはようございます、兵士長殿。今日は非番なので息抜きに出掛けようかと」

「ほぉ…それで馬か。てっきりただの文学馬鹿で馬なんぞ乗れねぇかと思ってたが、違うみてぇだな」

「自慢できる程の腕ではありませんが、少しの距離であれば乗れます」

ダリアは俺の軽口なんて、どうでもいい、とどこ吹く風で、俺に目線を向けず、せっせと馬にブラシをかけている。

クソ…面白くねぇ。
そう思ったと同時に、この女がどう休みを過ごすのか興味が湧く。
ダリアと同じように愛馬に餌をやり、ブラシをかけながら、ふとある考えが浮かんだ。

「一緒に行ってもいいか?ちなみに拒否権はねぇ」

俺の一言でやっとこっちを向いたダリア。
いいですけど、と溜め息混じりの言葉を吐き出し、再びこれから乗ろうとしていた馬に視線をやった。

「きっと退屈ですよ?」

「退屈かどうかは、俺が決めることだから気にするな」

「わかりました。では、参りましょうか、兵士長殿」

馬の手綱を引いて、門まで歩くつもりだろう。
俺もそれに倣って同じ歩調で歩みを進めた。
門を通り過ぎると、よいしょ、と馬に跨るダリアは、俺もそうしたのを確認すると、ざっと目的地までのルートを説明する。
的確な説明でわかりやすい。
やはりダリアは、聡い女だ。

いざ馬を走らせ始めると、なかなかのスピードだった。

「なかなかの腕前じゃねぇか!」

「そうですか!?精一杯ですよ!」

風を切っている音で、相手の声が聞き取りにくいため、いつもより大きな声での会話。
本当にダリアの馬術は、悪くなかった。
あと一歩というところだ。

「ダリア!もう少し身体を前に倒せ!ほんの少しだ!」

「…このくらいですか!?」

「ああ!そうすりゃ、いくらか安定感が出るはずだ!」

言われた通り身体を前に倒すダリアの走りは、さっきよりも良くなった。
ただの資料室の管理人にしておくにはもったいねぇ程のセンスだ。

途中休みを入れることなく、目的地へと向かう。
しばらく馬を走らせると、そこは少し小高い丘のようになっていて、見晴らしの良さそうな場所だった。
おまけに人の気配もなく、貴重な休暇を誰にも邪魔されずにすみそうだ。

ダリアは馬から降りて、ここには何度も来ていて慣れているのだろう、何の迷いもなく手綱をちょうどいい木に縛り付けていた。
俺も良さそうな木を見つけ、愛馬をそこへ繋ぐ。

「…で、このあとどうすんだ?」

「何もしません。あ、本は読みます」

「そうか、俺は邪魔になるか?」

「今更その質問ですか?」

クスクスと可笑しそうに笑うダリア。
いつもの堅い雰囲気が少し和らいで見えるのは気のせいなのか。

「邪魔になんかしませんよ?兵士長殿」

「ならいい。俺は俺で好きにするから、お前はいつも通り過ごせ」

「わかりました。じゃあ、そうさせていただきます」

まだ笑ってるダリア。
悪い気がしねぇ。こういうダリアを俺は望んでたのだろう。

荷物からシートを出し、少し傾斜のある野原にそれを広げるダリアを手伝い、風に飛ばされないようにそのまま一緒に座った。

1人用のシートだったらしく、大した広さがないおかげで、隣りのダリアとの距離がいつも以上に近い。
本を読むと言っていたから、てっきりすぐに読み出すかと思っていたが、最初に鞄から出したのは水筒だった。

「飲みます?カップが生憎ひとつなのでお嫌じゃなければ」

差し出されたカップからはまだ仄かに湯気が立っている。
普段だったら、他人との回し飲みなんてありえねぇことだが、そんな気も起こらず、自然と腕が伸びていた。
受け取ると、水筒の中が紅茶だということがわかった。
ゆっくり口に運ぶと、それはこの前買いに行ったものだということもわかった。

「腕、上げたじゃねぇか」

「良かった…兵士長殿にこの前教わりましたから。自分でも驚くくらい最近紅茶が好きになりました」

飲みかけのカップを渡すと、俺の言葉が嬉しかったのか、少し照れたようにそれを受け取り、ダリアも躊躇することなく、口にした。

「随分、可愛げのあることも言えるようになったじゃねぇか」

「そうですか?素直な気持ちを申し上げただけですが…そんなこと仰る兵士長殿も今日はいつもと違いますね」

「チッ…言ってろ」

今日で何度目かのダリアのクスクス笑いが耳心地良く感じ、口元を緩めずにはいられなかった。
本のページをめくり始めたダリアの隣りで、腕を頭の下で組み、それを枕にして仰向けになった。
目を閉じると、さわさわと風に揺れる草花の音が更に俺を心地良くさせた。




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