今日も月明かりがキラキラと池の水面に反射している。
夢子はそれをぼんやりと眺めながら縁側に座って彼の帰りを待っていた。
「今日も遅いなぁ…」
近藤の帰りが遅いのはよくある。
市中見回り等の仕事が忙しいのもあるが、他にも理由があった。
「ただいま帰りましたよぉー」
遠くから近藤の声が聞こえてきた。
夢子は反射的に立ち上がり、玄関の方へと小走りで向かった。
「近藤さん、おかえりなさい」
「あー夢子ちゃん、ただいまぁー」
顔を赤らめながらへらへらと笑う近藤は誰がどうみても立派な酔っ払いであった。
今日もスナックか…
ふぅと小さく溜め息を吐いてしまった事に気付き、夢子は慌てて気を取り直す。
「もう。近藤さん、飲みすぎですよ。程々にしないと」
困った笑顔を見せながら、近藤に肩を貸し、ふらふらしながら部屋へと向かった。
「あ、局長。今頃帰って来たんですか?」
ひょっこりと部屋から山崎が顔を覗かせ、近藤の酒臭さに眉をしかめた。
「…夢子ちゃん、手伝おうか…?」
「いえ、大丈夫です…それより山崎さん…すみませんがお水…部屋まで持って来てもらっていいですか…?」
夢子は自分よりも一回りも二回りも大きな近藤を担ぎながら山崎にお願いする。
「わかった」と言って食堂へと小走りで向かう山崎を見届ける余裕も無く、遠慮なしに体重をかけてくる近藤を必死に部屋へと運んだ。
「…ふぅ…」
予め敷いておいた布団へと近藤を転がすと、夢子はその枕元に静かに座った。
近藤は余程眠たかったのか布団に入るやいなやすぐさま寝息をたて始めた。
いや、運んでいる最中から既に寝ていたのかもしれない。
幸せそうに眠る近藤の少し硬めの髪を優しく撫でると、くすぐったかったのか、近藤は小さく身じろいだ。
とても無防備な彼にむくむくと悪戯心が芽吹く。
額を優しく撫で、口付けを落とそうとゆっくり近付いた。
その時。
「んん…お妙さん……」
ピタリと空気が止まった。
どくんどくんと心臓の音が煩く聞こえるくせに、頭からさぁっと熱が引いていく感覚がした。
一瞬にも何時間にも感じられたその時間は、山崎によって破られた。
「おまたせー…って…えっ!?夢子ちゃん!?」
障子が開かれる音でふと我に返った夢子は、弾かれた様に立ち上がり、驚く山崎と入れ違いに外へと飛び出した。
何が何だか解らない山崎だったが、すれ違う時に一瞬見えた夢子の顔が泣きだしそうだったので、慌てて後を追いかけようとした。
とりあえず手に持った水を近藤の枕元に置こうとした時、成程と何となくの状況を理解した。
山崎は夢子を追いかけるのを止めて、「お妙さん…すいません…お金は…お妙さん…」と寝言を繰り返す近藤を激しく揺すり起こした。
思わず屯所を飛び出してきたものの、こんな時間に行く宛など無い夢子は、おでんのいい匂いが漂う屋台へとふらふらと立ち寄った。
何を話すわけでもなくちびちびと呑んでいると、1人の客がやって来た。
その男は夢子の隣に座り、気安く話しかけてきた。
「何、泣きそうな顔して呑んでんだ。悩みならこの銀さんが聞いてやるよ?」
夢子は、この男とは何処かで会ったことがある気もするが…酔いのせいなのか、今の思考回路では何も思い出せなかった。
ぽつりぽつりと話を始めると、男は見た目と反して案外真面目に話を聞いてくれた。
「なるほどね。でもよ、キャバクラぐらい男なら付き合いだ何だで行くだろ」
「それは解ってるし、理解はしてるつもり。だから、行かないで欲しいとは言わないよ。でもさ…そのお店の女性の名前を…寝言で呼ぶってさ…ちょっと…さすがに堪えたかな…って」
先程の状況を思い出し、思わず声が震えてしまっていた。
「あー…でもまあ相手キャバ嬢だろ。あくまで店員と客の関係だったら、んなの二、三日で忘れ…」
「その女性はね……彼が……好きな人なの」
思わず手に持ったグラスに力がこもった。
「私がずっと…ずっと片想いしてて、やっと叶った恋なの。今は私の事が好きだって言ってくれてるけど…私は、彼女が大好きな彼をずっと見てたから…」
「ふーん…じゃあ…二股?」
その言葉にやる気のない男の顔をキッと睨みつけた。
「彼は絶対にそんな事しない!」
思わず大声を張り上げてしまい、夢子はバツが悪そうにグラスの酒を飲み干した。
「てかよー。彼女のお前が嫌ならそいつにちゃんとキャバクラ行かないでくれって言えばいいじゃねぇか」
銀時は竹輪を齧りながら、当たり前と言わんばかりに提案した。
しかし、夢子の表情は晴れるどころか寧ろ一層暗くなった。
「そんなの…ただの私のわがままじゃない…」
「彼女なんだから、わがままの一つや二つ言ってもバチは当たんねぇだろ」
「…無理…」
「はぁ?何でだよ」
銀時が訝しげに夢子の顔を覗き込む。
「もし…それでもし面倒臭いとかで嫌われたら!?やっぱりお妙さんの方がいいって言われたら……私…怖い…」
夢子は目に涙を浮かべて、空のグラスを睨んだ。
「じゃあ、その怖い気持ちごと相手に伝えてやんな」
銀時は、右手で夢子の頭を優しく撫でた。
「それぐらいしねぇと、その鈍いゴリラには伝わんねぇんじゃねぇか?」
「え?」
「安心しろ。お前は、お前が思ってる以上に愛されてるし、思ってる以上にいい女だ」
銀時は撫でる手を止めて、視線を夢子の後ろへと向けた。
それに釣られるように夢子もゆっくり後ろを振り返る。
そこには。
「こ、近藤さん!?」
眉間に皺を寄せて、睨む様に2人を見下ろす近藤がいた。
部屋で寝ているはずの近藤が何故ここにいるのか、夢子は解らなかった。
問いかけようと口を開きかけた時、近藤は勢いよく頭を下げてきた。
「…すまんかった!」
夢子は開きかけた口のままぽかんと近藤を見つめた。
「話は山崎に聞いた。俺がどうしようもない寝言言っちまって、夢子ちゃんを傷付けちまった…本当に…すまん!」
再び頭を下げる近藤にふと我に返った夢子は、慌てて近藤の頭を上げさせようとした。
「そんな!私は…そんな事無いです!全然大丈夫です!」
しかし、近藤の顔は晴れなかった。
「何故…」
「え?」
「何故そいつには本音を言って、俺には嘘をつくんだ…」
嘘……
夢子はハッとして近藤の目を見た。
近藤の瞳は、じっと、真っ直ぐ夢子を見つめていた。
「俺は、夢子ちゃんの本当の気持ちを知りたいんだ」
私の本当の気持ち…
不安な気持ちはある。
でも。
「私…近藤さんが大好きです。だから…近藤さんの一番になりたい!私だけを見てほしい!そんな風に他の女の人の…お妙さんの名前を呼んで欲しくない!嫌なんです!」
大声で今まで抑えてきた気持ちを吐いて、はぁと息継ぎをした。
「ごめんなさい。自分がわがままなのはわかってます。嫌われるのが怖い…から…近藤さんに言えなくて…」
最後の方はほとんど涙声になりながらも、必死に本音を伝えた。
ぎゅっと目を瞑って涙を堪えた。
いきなり、ぎゅうと自分を包む感覚に驚いて目を開ければ、慣れた彼の腕に抱き締められていた。
「ごめん。ずっとつらい思いさせて…でも、ありがとう。言ってくれて」
近藤は抱き締める力をぎゅうと強めた。
「俺、にぶいから夢子ちゃんの気持ちを全然わかってなかった。優しい夢子ちゃんについつい甘えてしまってたんだ。嫌われるなら俺の方だ」
そう言って近藤は自嘲気味に笑った。
「そんな事で近藤さんを嫌いになんかなりません!」
夢子は慌てて否定を述べた。
「俺もさ、そんな事で夢子ちゃんの事嫌いになったりしないよ?」
どくんどくんと2人の心臓が鳴り響く。
「俺の一番は夢子ちゃんだし、二番も三番もいない。俺には夢子ちゃんだけだから」
その言葉に夢子の心がきゅうと締めつけられ、ぽろぽろと涙が零れ落ちた。
「ごめん…なさい…」
「何も謝る事なんかねぇよ」
近藤は優しく夢子の涙を親指で拭ってやった。
「はいはい。イチャイチャすんのは帰ってからにしてくんない?」
声のする方に2人が視線を移せば、すっかり忘れられていた銀時がだるそうに2人を見ていた。
慌てて2人は離れて、夢子は銀時に向き直り、深々と頭を下げてお礼を言うと、銀時はふっと笑った。
「だから言っただろ?お前は、お前が思ってる以上にいい女なんだよ」
そう言って再び夢子の頭に手を伸ばしたが、近藤がその手をパシンと払った。
「お・れ・の!夢子ちゃんが世話になったようだな。俺からも礼を言うよ。万事屋」
近藤は夢子を引き寄せながら銀時をギロりと睨みつけ、引きつった笑顔を浮かべた。
「女泣かせときながら偉そうだな、ゴリラ」
喧嘩は買うぞと近藤に向かって悪態を吐いたその時。
「いくら銀さんでも、近藤さんに喧嘩売るなら私が買いますよ?」
先程までしおらしく泣いていた夢子の変わりように男2人はぽかんとした。
そしてふっと笑い合う。
「わかったよ、すまねぇ。おいゴリラ。さっさとそのお嬢ちゃん連れて帰れよ」
「そうだな」
仲良く手を繋いで歩く2人を見送りながら、銀時は残った酒を飲み干した。
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