バレンタイン2016(1/2)

※天野家 バレンタインの話とリンクしてます



「なーぬらり。バレンタインデーって知ってるか?」
「バレンタインデー、ですか」


山のように重なった書類を、鬼のように片付けていた時のことである。
それまで珍しく集中していると思っていたエンマ大王が、ふと思いついたように顔をあげた。
せっかく進んでいた仕事が、またここでストップしてしまう。自然と眉間にしわが寄るのを感じていたのだが、我が大王に注意するよりも先に「バレンタインデーだよ、バレンタインデー!」と被せぶせられてしまったので、不発となってしまった。全く、自由奔放な王というのも考えものである。


「何度も言われなくてもわかります。バレンタインデーですね」
「そう、バレンタインデー!猫きよから今日だって聞いたんだ!」


手をぱちん、と叩いてエンマ大王は目を輝かせる。興味が完全に「バレンタインデー」に反れてしまっていた。


「なんだ、ぬらりは知っていたのか?」
「ええ、まあ。人間界のイベントですね。親しい者や世話になった者に感謝の気持ちをこめて、チョコレートを渡すのだとか」
「へー。そういうイベントなんだな」


本当のところ、「それ」だけではないのだが。
だが「それ」を言ってしまったら、きっとまた仕事もせずに騒ぐだろう。軌道修正をするために、ここは穏便にこの話を流すべきだ。そう思ったのに。


「でも猫きよが言っていたぞ。本当はバレンタインデーってのは女が好きな人や恋人にチョコレートを渡す日なんだろ?」


思わずぶっと噴き出すところだった。知っていたのか。ならなぜ聞いた。
しかし、ここでこの話を盛り上げてはさらに仕事が進まなくなる。エンマ大王にはその山を崩す勢いの鬼になってもらわなければならないのだ。
ここは、議長としての腕の見せ所と言えよう。速やかに、穏便に、仕事に戻ってもらわねば。


「まあ、そのようですね。ですが、大王様。それは人間界だけの、ようは祭りみたいなものです。ですから、」
「いいなー!バレンタイン!俺もチョコほしーい!」
「…大王様?」


聞いていない。ぬらりひょんの言葉など、すでにエンマ大王の耳には一ミリも入っていなかった。
うっすら頬を染めて、両手でそれを包み込むように頬杖をついている。もちろんその下にあるのは書類の山。
山を崩す鬼どころか、山を守る神のようになってしまっている。


「好きな人から告白付きでもらえるんだろ?しかも手作り!たまんねーよなー!」
「あの、大王様?」
「俺も七海から『エンマ、好きだよ』とか言ってチョコもらいてー!」
「もしもし。大王様?」


さらに彼は完全に妄想の中の住人と化したようだった。
しかもご丁寧なことに、『エンマ、好きだよ』の部分はしっかり声色を変えた一人芝居である。語尾にハートがつきそうな勢いだ。
いくら声をかけても、「こちらに」戻ってこない。


「七海はどんなチョコ作ってくれるんだろうな〜?きっと美味いよなー!七海が作るんだもんな、美味いに決まってる!」
「大王様」
「告白はどんな感じかな〜?『好きだよ』ってストレートなのもいいけど、『仕方がないからあげる!別にエンマのためじゃないんだからね?!』みたいなツンデレな感じでもいいかもな〜」
「…大王様」
「あ〜〜チョコほしーい!!」


ぷちん、と堪忍袋の緒が切れた音がした。


「いい加減にしなさい!」
「ぶっ!」


抱えていた書類で、ばしん!とエンマ大王の頭をはたいた。「いってぇなー!何するんだよぬらり!」無礼は承知だがこの場合は仕方がないだろう。
いつまでも妄想の中の住人になられていたら困る。書類の鬼になっていただかなければならないのだから。


「エンマ大王様。目の前の山をごらんなさい。これはあなたがずーっと溜めてきた書類です。いつまで溜め続けるおつもりで?いくつ山を作るんですか?」
「べっつに少しくらい休憩したっていいだろ?だってバレンタインデーなんだぜ?」
「仕事とバレンタインデーは関係ありません」
「あーそれもいいな。『エンマ、お疲れさま』って言われながらチョコもらうやつ」
「だからいい加減にしなさい」
「いてっ!」


ばしん、ともう一叩き。恨みがましくこちらを見上げてくるエンマ大王を、ぬらりひょんは見下ろした。もちろん、冷めた瞳で。


「人間界のイベントに現をぬかしているようでは立派な大王様になれませんぞ」
「へーへー。わかってるよ。でもな、ぬらり。お前も欲しくはないのか?好きな女からのチョコレート!手作りで告白付きだぞ?」
「はあ、」
「『ぬらりひょんさん、好きです』って言われてチョコもらいたくないか?」


言われて思わず想像してしまった。ひと気のない、ぬらりひょんの執務室。夕方だからか、部屋の中は薄暗い。そこに、少し頬を染めながらやってきた七海。
背中の後ろに何かを隠している。ぬらりひょんが「どうかしたのか」と声をかけると、七海は口ごもりながら、一歩近づいた。「その、今日はどうしてもぬらりひょんさんに伝えたいことがあって」「伝えたいこと?」ぬらりひょんには、七海が言わんとしていることがわからない。恥ずかしそうに視線を落としている七海を見つめていると、ふとその潤んだ瞳と目があった。「私、ぬらりひょんさんのことが好きです。これ、受け取ってもらえますか?」そうして差し出されたのは、綺麗にラッピングされたチョコレート。そして。


「満更でもねえんじゃねえか」
「!?」
「ぬらりひょんも、そういうところあるんだなー!」


カッカッカという笑い声とともに、ぬらりひょんは我に返った。「べ、べつに七海殿からチョコを貰う想像なんてしてませんけれど!?」「俺は別に七海からのチョコなんていってねーよ」何とあるまじき失態。顔に熱が集まるのを感じ、勢いよく頭を振った。今すぐ消えされ煩悩め!


「コホン、とにかく!仕事!してください!」
「ちぇっ。ぬらりだってしっかり妄想してたくせに」
「だ・い・お・う・さ・ま?」
「わーった!わかったよ!」


わざとらしく咳払いして、これ以上この話は終わりだというように腕を組む。さすがにもう観念したのか、エンマ大王も再び書類へと向き合った。ほっと一安心、これでまた仕事は進めることができるだろう。…と思ったのだが。


「あ!七海!」
「なに!?」


ぱっと顔をあげて、指差すエンマ大王につられて振り向いてしまった。しかしその先には、誰もいない。「うっそー!」嘘、だと!?


「それじゃ、俺、七海んとこ行ってくるわ!」


そしてそのまま、エンマ大王は消えてしまったのだった。一瞬の出来事だった。
慌てて大王椅子の後ろを見れば、何と、うんがい鏡がいるではないか。気付かなかった。いつの間に移動させてきたのだろう。
ぎろりとうんがい鏡を睨むと、彼は「ひっ」と鏡面を抱えるように腕を前にした。そうしたところで、鏡にはすでに大王の姿はない。
もちろん行き先は、本人の申告通り、人間界だ。


「んの〜〜!!大王様ーーーー!!!!」


七海、という名前に動揺してしまったのがいけなかった。あんな妄想、しなければ。
だが確かに、満更でもなかったというのも、また事実。もしも七海からチョコをもらえたら、その時自分はどうするだろう。
秘めた思いを告げるだろうか。あの小さな体を、引き寄せるだろうか。


「全く、私らしくもない」


とにかく今回も一杯食わされてしまったと思いながら、ぬらりひょんは大きくため息をついたのだった。


→おまけ