匂やかな太陽(2/2)

「えっコマさんを?」
「そう!お願い!」


ぱちんと手を合わせて、景太に拝む。景太は「え〜〜」と渋っていたが、ウィスパーが「たまにはお姉さんのお願い事を聞いてあげては?」と言ってくれたので、その場で呼んでくれることとなった。こういうときのウィスパーは本当に有能だ。知ったかぶりは別として。


「姉ちゃん、ちゃんと後で俺とも遊んでよ?!」
「はいはい。遊ぶ遊ぶ」
「絶対だからね?!約束破ったら小指千切るからね?!」
「…そこは針千本飲ますでしょ」
「いいから!約束!」
「わかったわかった。コマさんと遊んだら遊んであげる」


最後の最後まで渋る景太だったが、口を尖らせたままコマさんのメダルを妖怪ウォッチにセットした。まばゆい光と軽快な音楽と共にコマさんがやって来る。ああ、もう待ってました…!


「コマさん!」
「七海!久しぶりズラー!」
「久しぶりだね!元気だった?」
「オラはいつも元気ズラよ〜!」


もう我慢できない!
片手を上げて挨拶をするコマさんを抱えて、ぎゅっと抱き締める。「あーー!!姉ちゃん?!ズルい!ズルい!」この際外野は無視だ。


「もんげー!七海、くすぐったいズラよ〜!」
「モフモフ…コマさん、何だか甘い匂いがするね」
「あ、さっきソフトクリーム食べてたズラから」


私の腕の中で恥ずかしそうにするコマさんは、とにかくかわいい。もう一度ぎゅうぎゅう抱き締めればコマさんは楽しそうに笑った。


「コマさんかわいい〜いい匂い」
「七海もいい匂いするズラ!オラ七海の匂い好きズラよ!」
「えっ本当?」
「安心するというか、とくに七海の腕の中にいると眠くなると言うか…」

そこでコマさんは一度言葉を切った。うまい表現が思い付かないのか、首を捻っている。しかしはっと思いつくと、指をたててこう言った。


「おかあちゃんの匂いズラ!」


──なんだって?


「七海、おかあちゃんみたいな匂いがするズラ!」
「えっ、そ、そうなの…」
「お日様みてぇに柔い匂いズラ!」


コマさんは、「まさにいい表現を見つけた!」と言わんばかりにニコニコこちらを見上げている。しかし正直なところ、複雑な心境になるのは否めない。

だって、私まだ女子高生なんですが。


「いい匂いズラ〜おかあちゃん思い出すズラ〜」
「あはは…そうかあ…」


お母さんの匂いが好きなのはわかる。私もお母さんの布団で昼寝したときは一瞬で爆睡したくらい、お母さんの匂いは好きだ。それはなかなか表現しづらい匂いなのだが、コマさんのいうとおり安心感のあるものではある。だからお母さんの匂いがするといわれるのはきっと名誉なことなのだろう。

しかし私はあくまでも女子高生なので、たとえば「花の匂いがする」とか言ってもらいたかった。柚子の匂いとか。フレッシュな感じのやつ。
もちろんコマさんはピュアだし、悪気は全くないこともわかっているけれども。

コマさんは私の腕の中で居心地のいい場所を見つけようと体をもぞもぞと動かし、結局私の胸に顔を埋める形で落ち着いた。「ふぁあ…本当に眠くなってきちゃったズラ」ぐりぐりと顔を擦り付けてくる。それはまるで赤ちゃんがする仕草だった。
…もちろん外野が叫んでいたが無視である。

コマさんの頭を撫でていると、彼はそのまま本当に夢の世界へ入って行く。「おかあちゃん…」随分とハッキリした寝言だった。

それほど、私は本当にお母さんの匂いがするらしい。

ううん、困った。どうしよう。


「とりあえず部屋に戻ろうかな…」
「え?!姉ちゃん、俺との約束は?!」
「だってコマさん寝ちゃったし…このままじゃ可愛そうだし…」
「俺のベッドに寝かせればいいんじゃないの?!」
「赤ちゃんはベッドに置いた瞬間に起きるものなんだって。背中スイッチあるらしいよ」
「いやいやいやコマさん赤ちゃんじゃないからね?!妖怪だから!ただのコマ犬妖怪だから!むしろ姉ちゃんより年上だから」
「でも、ねえ?」


置くのは可哀想だ。
同意を求めウィスパーを見れば「えっそこで私に話を振ります?!」と言う。

それにもう少し、私はコマさんを抱っこしていたい。

景太はまだごちゃごちゃ言ってるけれど、私はゆっくり立ち上がった。もちろんコマさんを起こさないように、慎重に。


「ちょ、姉ちゃん?!」
「ま、部屋に戻るよ。コマさん起きたらまた遊ぼう」
「え〜〜!」
「しー!コマさん起きちゃうでしょ」


コマさんを抱く手を片手にして、口元で指をたてる。景太は口を尖らせてぶーぶー言っていたが、そのまま部屋を後にした。

自分の部屋に戻り、ベッドに腰掛け腕の中で眠るコマさんを見る。もごもご口を動かしているのを見ると、またソフトクリームを食べている夢を見ているのかもしれない。

景太がいうように、ゆっくり寝かせてあげたいならベッドに寝かせてあげるのが一番なのは確かだ。ただ私は先ほどまでの「犬触りたい欲」ではなく、この庇護欲をもう少し満たしたくて、こうしてコマさんを抱えたままでいる。

「お母さん」の代わりにはなれないし、私はまだ女子高生だけど、求められれば応えてあげたくなってしまうのだ。それは私の潜在的な母性を呼び起こすものだったのだろう。

私の持つ匂いは、お母さんの匂い。
複雑な気持ちだけど、今は満更でもなくなっている。

コマさんの寝顔を見下ろして、もう一度頭を撫でる。「おかあちゃん」小さい寝言に、私はこっそり笑ったのだった。




「ウィスパー!姉ちゃん酷いよねぇ?!コマさんばっかりずるいよねぇ?!ねぇ?!ウィスパー!?」
「ええええ私に聞かれましても…って、ちょ、ケータきゅん?!くるし、苦しいでうぃっす…」
「ずるいいいい!姉ちゃんのばかーー!!」


そしてそんな会話がなされているとは、もちろん知る由のない私だった。