始まりの鐘はかくも響き渡り(2/2)

その日、バイトが休みだった私は、久しぶりの自由な休日を過ごしていた。普段私の周りを跳び跳ねている弟の景太とその「友達」は、珍しくここにはいない。ジバニャンはニャーKBのライブで、景太とウィスパーはカンチくんの家に遊びに行くのだとか。

何だか、静かだなあ。
街のなかはいつもどおり、活気で溢れてはいるけど、私の周りだけ音がない。違和感すら覚えてしまう。それほどあの三人組は騒がしいということなのだろう。もちろん、そんな彼らのことを、私はとても好きなのだけど。

思えば私の周りは随分と賑やかになったものだ。しかも妖怪と関わるだなんてもってのほかだと思っていたのに、今では一緒に暮らしているのである。でも彼らと関わるようになってから、毎日が楽しくなったのもまた事実で。妖怪がみえるこの体質を、意外にも気に入っていた。

だから、こんなに静かな休日は本当に久しぶりで、少し寂しい。

とりあえず買い物して、カフェにでも寄ろうかな。

そう思い、桜中央駅前の金の卵横で信号を待とうとしたときだった。「あああ困ったッス〜〜!」誰かの困っている声が聞こえてきた。いや、誰かだなんて姿を見なくてもわかる。きっとまた水筒を無くしたノガッパだろう。そうして声の主を探せば、やっぱりモグモグバーガーの前で頭を抱えている妖怪がいて。


「困ったッス〜水筒がない!!」


あまりにもお馴染みすぎて笑ってしまうところだった。
そういえば、私が初めてノガッパに会ったときも、彼は今と同じように水筒を探していた。ぱたぱたと手を動かして、辺りを探すノガッパに近付いてみる。「ノガッパ?大丈夫?」そう声をかければ、彼は涙目でこちらを振り向いた。


「あっ七海〜〜!助けて欲しいッス!また水筒がなくなって!!」
「あー、うん、そうだと思ったよ。だから声かけたんだ」
「ありがとうッス!さすが七海ッス〜!」


神さまありがとう!と言わんばかりに、ノガッパが両手をあげる。そこまで喜ばれてしまうと、こちらまで嬉しくなるなあ。これは一肌脱いであげなければ。


「ノガッパってば、よく水筒を無くすねえ…」
「うっ…そう言われると耳が痛いッス…」
「とりあえず、ノガッパが最後に水筒を使ったのはいつか覚えてる?」
「えーっと最後に水筒を使ったのは…」


一生懸命記憶を呼び起こすノガッパが、首を捻った。どうやら今日はいろんなところをお出掛けしてたから、どこで水筒を使ったのかすぐに出てこないようだ。これは長くかかるかもしれない。今日の買い物の予定はノガッパの水筒探しに変更にしよう。困っている彼を放っておくことはできないし。


「あっ!海辺のベンチだったと思うッス!」
「それじゃあ一緒に海辺に行ってみようか」
「えっ!いいんスか?!七海用事があったんじゃ…?!」
「大丈夫だよ、プラプラしてただけだから」


それに友達としては助けるのが当然だものね。


「七海〜!ありがとうッス!本当に感謝ッス…!」
「あはは、大袈裟だなあ。ほら、早く行こう。お皿乾いちゃうよ」
「そうッスね!それじゃあよろしくッス!」
「はいはい〜」

ぺたぺたとペンギンのようにノガッパが歩き出す。そんな彼の後ろ姿を追いかけて、私は人知れず顔をほころばせた。
単純に、彼の役に立てるのが嬉しかったのだ。

一人でいるより、妖怪の友達といた方が楽しい日が来るなんて、思ってもみなかったな。
妖怪が見えるこの世界が、今はとても愛おしい。


「七海〜!急ぐッス〜!」
「あっ、ごめんごめん!」


私からノガッパに急ごうと促したくせに、どこかぼんやりしていた。慌ててノガッパの横に並び、最近ノガッパがハマっているというラップの話を聞く。

だから、そんな私たちの様子を見ている人物がいるとは、その時の私にはわからなかった。


▲▽


「確かこの辺で休憩したんスよ。そよ風ヒルズの友達に会ってからここまで来たから喉もお皿も乾いちゃって」
「じゃあこの辺に落ちてないかな?」


桜中央駅前から歩いて数分後、私たちは海辺に来ていた。潮風が髪を撫でていくのを、手で軽く押さえる。今日は凪いでいるからそんなに風は強くなかった。

ノガッパが休憩したと言う、ベンチの付近を調べてみる。けれどそこには彼の水筒らしきものはなく。


「本当にここだった?別の場所とか…」
「いや!ここであってるはずッス!ちょうど水を飲もうとしたときに、オイラ、話しかけられたんスよ」
「話しかけられた?」
「黒い髪の男の子だったッス!」


ノガッパは妖怪だ。普通の人間にはまず見えない。ということは、私と同じ「みえるヒト」なのだろうか。思わず首を捻ると、ノガッパもまた同じように首を捻っていた。「そういえば、人を探してるって言ってたッス!『俺たちのことがみえる女』って言ってたんスけど、誰のことッスかねえ」


って、ちょっと待て。


「ちょ、ノガッパ?もう一度よく思い出して
。話しかけてきたのって男の子ではなくて、妖怪なんじゃないの…?」
「え?!でも妖気を感じなかったッスよ?!」
「その人『俺たちのことが見える女』って言ったんでしょ?俺たちってノガッパとその男の子のことなんじゃない?つまり男の子はノガッパと同じ妖怪ってこと!」
「た、確かに…!」


ノガッパの後ろで、ピシャーンと雷が落ちた気がした。「何でオイラわからなかったんだろう〜〜!」確かにのんびり・ぼんやりしすぎである。しかもノガッパはもうひとつ失念している。「あとさ、私も一応『妖怪が見える女』なんだけど、そこんとこわかってる?」

今度はノガッパの頭上で二本の稲妻が走ったようだった。「忘れてたッス〜!」本当に忘れられていた。というよりも、私はノガッパに「人間の女」という認識がされていないのだろうか。そうじゃないならなんだ。妖怪か。私も妖怪なのか。しかも性別がないタイプの。


「七海は妖怪の見える女だったッスね!」
「どっからどうみても人間の女子でしょう…」


ここまで来ると、いっそのこと清々しい。でもさすがに落ち込むんですけど、私。


「ひどいノガッパ…」
「ワー!ごめんッス!違うんスよ!七海は友達だから、人間とか妖怪とか女とか男を越えて『仲良し!』って思ってたから〜〜!」
「わかったわかった、もういいって」
「本当ッス!本当ッスからね!」


必死に謝るノガッパに、怒れるなんて訳がなかった。「気にしてないよ」と、お皿を撫でる。そしてそこで気付いたのは。「あれ、ちょっとお皿乾いてきてない?」「え?!」

ノガッパは私の言葉にはっとすると、慌ててぺたぺたと頭部を触った。「わー!困ったッス〜早く見つけないと!」海辺には日陰がない。直射日光だから夏ではなくても、お皿は乾きやすいだろう。さすがにそろそろノガッパが危険だ。


「どうしよう!」
「困ったね…とりあえず海の水じゃだめ?」
「塩分はオイラのお皿に合わないんス!」
「そ、そうなの…」


お皿にも肌質的なものがあるのだろうか。
何をばかなことを!と言わんばかりのノガッパである。彼には彼なりのこだわりがあるらしい。それなら仕方があるまい。


「そしたらペットボトルの水買ってきてあげようか?すぐそこに自動販売機あるし」
「さすがにそれは悪いッス…」
「でもお皿乾きそうなんでしょ?」
「そうなんスけど、」


煮え切らない様子で、ノガッパがいう。確かに誰かに借りを作るのは気が進まないこともある。でも今はそれしか方法がないし…


「おい。」


大人と子どもの狭間のような、そんな声が聞こえた。振り返ると、そこには、少年が立っていた。ツンツンした黒髪に、大きなヘッドホン。「あー!さっきの!」隣のノガッパが、指を差す。「七海!この人ッスよ!オイラに話しかけてきた男の子!」

少年はノガッパを横目で見ると、すぐに私の方を向いた。「俺たちのことが見える女ってあんた?」にやり、と口許を緩めながら。

…なんだか生意気そうだ。弟の景太のほうがまだ可愛いげがある。どこからどうみても年下と思われる少年に「あんた」呼ばわりされて、気分のいい女子高生はいないだろう。いくら「お姉さん」でも、礼儀のなっていない子に対しては厳しいぞ。「えっと、どちらさま?」ただならぬ雰囲気が、この場所に立ち込めていた。

私の問いかけに、少年は鼻で笑うだけだった。そして何かを放り投げる。慌ててキャッチすると、それはノガッパの水筒だった。


「あ!オイラの水筒!」
「え、ちょっと、これ…!」
「返す。じゃーな」


そしてぱちん、と指をならすと、少年は姿を消してしまった。残ったのは、呆然とする私とノガッパだけ。

「あ!水!」思い出したように隣で一気に水を浴びるノガッパが、視界の端に入る。でも私は少年が消えた場所から目が離せなかった。


「何だったの、今の…」


私の呟きが、潮風に乗って消えていく。答えは返ってくるわけがなく、一方通行のまま。

何だか胸騒ぎがする。ぶるりと背筋に冷たいものが通り、思わず腕を擦った。何事もなければいいけれど。そう思わずにはいられなかった。



そして物語は動き出すのだ。