姉、ぬらり議長と出会う(1/2)

「エンマ大王様、進捗はいかが…」


ですか、と続くはずだった言葉は、もぬけの殻となった部屋を見て発せられることはなかった。瞬時に状況判断したぬらりひょんは、「はあああ」と大きなため息をつく。頭痛がしてしまいそうだった。


「ぬらりひょん様〜!大変ですニャ!」
「エンマ大王様が人間界へ行ってしまわれました!」


後ろから犬まろと猫きよも慌てたようにやってきた。二人とも今日中に片付けなければならない書類を抱えていた。どれも大王印が必要な重要書類である。眉をへの字に下げてこちらを見上げる従者たちを見下ろして、わかっていると頷いた。


「本当に困ったお方だ」


ぬらりひょんはもう一度ため息をつくと、
さらりと頬にかかった髪を払いのけた。自然と眉間に皺が寄っていることに、彼自身は気付いていない。最近お疲れのぬらりひょんを見て、猫きよと犬まろは思わずそのシワを伸ばしてあげたくなった。


「場所はわかっている。天野家だろう」
「どうしましょうか、私どもで迎えに行きましょうか」


これ以上このお方に苦労をかけさせてはならない。そう思った犬まろたちであったが、「いや、私が行こう」まさかの返答である。


「ニャ?!ぬらりひょん様が直々にですニャ?!」
「あのお方はそう簡単には帰らないだろうからな」


全く余計な仕事を増やしてくれる、とでも言いたげに、ぬらりひょんは抱えていた書類をエンマ大王の執務机へと置いた。どさり、と衝撃が起きた途端に数枚書類が飛んでしまい、慌てて猫きよと犬まろがキャッチする。その勢いでバランスを崩した二人の背中を、ぬらりひょんは支えた。


「す、すみません!」
「すみませんですニャ、ぬらりひょん様!」
「…いや。ここは頼むぞ。せめて大王様が大王印を押しやすいように整理しておいてくれ」


犬まろと猫きよがしっかり立ち直したのをみると、ぬらりひょんは踵を返した。今すぐエンマ大王を迎えに行かなくてはならないからだ。


「承知しました」
「任せてくださいニャ!」


後ろから聞こえてくる従者の声が頼もしい。必ず今日中にあの山を片付けてもらわなければ。その時のぬらりひょんはただ使命感に燃えていたのだった。


「ぬらりひょん様…お変わりになりましたニャ」
「そうだな」


もちろん、彼の従者がそう呟いていたことには気付いていなかったのだけど。


一方その頃、人間界へやってきたエンマ大王は、天野景太の部屋に突撃訪問をしていた。


「よお、ケータ。遊びにきたぜ」
「うぃす!?」
「ニャニャ?!」
「え、エンマ大王?!」


当然、突然現れた彼に驚かないわけがなく、これでもかというくらい目を丸くしている。その顔を見てエンマは上機嫌になった。どっきり成功。息抜きに人間界へ来た甲斐があったというものだ。


「びっくりしたなあ、もう!」
「いきなり大王様が現れたら心臓に悪いでうぃっす」
「本当そうニャン」
「ははっ悪い悪い!」


どうやら景太は学校の宿題に取りかかっていたようだ。自称執事を名乗るウィスパーは彼の隣に控え、ジバニャンはベットでごろごろしていた。しかしエンマ大王が探していた影はない。ぐるりと部屋を見渡してみる。


「どうしたの?」
「七海はいないのか?」


そしてその名を出した途端、景太の顔があからさまに歪んだ。「姉ちゃんはバイト!」心なしか…いや、やはりあからさまに声も刺々しい。もちろん景太が重度のシスコンだというのは知っているし、その程度でひるむエンマ大王ではないのだが。


「なんだ、つまんねぇの。七海と遊ぼうと思ったのに」
「あのねえ、姉ちゃんはバイトで忙しいの!エンマ大王と遊ぶ暇なんてない、」


んだから、と続く予定だった言葉は、階下から聞こえた「ただいまー」という声によってかき消されていった。にやり、とエンマ大王が口許を緩める。


「ナイスタイミングってやつだな」
「…」


ばちばち、と火花が飛び交った。その様子をはらはらしながらジバニャンとウィスパーが眺めている。そしてウィスパーの冷や汗が床に落ちた瞬間、火蓋は切って落とされた。


「姉ちゃん!!」
「七海ー!!」


どだだだ、と土煙でも出るのではないかというくらいの勢いで階段を駆け下りる。「七海ちゃんも大変ニャンね」「そうでうぃすね」ジバニャンとウィスパーの呟きが静かな部屋に無駄に響いたのだった。