ヲトメの采配

髪を切った。

何となく、本当に思い付きだけでバッサリと。思ったより短くなってしまって、頭が軽い気がする。けれど美容室のお姉さんにお似合いですよと言われて、心は踊るようだった。

鏡の中の私はいつもと違う私だ。景太やウィスパーたちは何て言うだろう。突然髪型が変わってびっくりするだろうか。

それから他の妖怪たちも。私が髪を切ったことに気付くかな。私の髪をよく結ってくれる女郎蜘蛛なんて、「カワイイじゃない!」と言ってくれるかもしれない。そう言ってもらえたらすごく嬉しい。

町中の窓ガラスに、まるで生まれ変わったような私が写る。そんな私を横目で見ながら、家路への道を急いだのだった。

帰宅後、髪を切った私に景太たちは目を丸めて吃驚していたけれど、すぐに「似合う〜!」というリアクションをくれた。次の日学校でも友達から好評をもらい、髪を切って良かったなあと思う。思っていたんだけど。


「七海?!」
「えっ?」


髪を切って早一週間。何となくこの髪型に私自身も慣れた頃だ。うんがい鏡を通って私の部屋にやってきた女郎蜘蛛は、私を見るなりツカツカ寄ってきて、ガシッと頭を掴んだ。しかも片手で。


「じょ、女郎蜘蛛?!なに、何?!」
「貴女…この髪型どうしたの?!」
「えっ、髪?何となく切りたくなっちゃって」
「何となく…切った?!」
「う、うん…」


女郎蜘蛛は険しい顔をすると、私の顔を穴が開くかというくらい見つめてきた。その迫力に、思わず息を飲む。そ、そんなにこの髪型変だったかな…。


「切ったのね…」
「き、切りました…」
「あんなに綺麗な髪だったのに」
「ご、ごめん」


女郎蜘蛛にとって、この髪型は気に食わないものらしい。それがわかって、私は悲しくなった。別に女郎蜘蛛に誉められたくて切ったわけではない。でも想像とは違う反応が、私にとってはショックで仕方がなかった。
女郎蜘蛛なら、「似合う」と言ってくれると思ったのに。

思わず謝ったあと、女郎蜘蛛の顔を見れなくて、目を反らす。そんな私に、彼ははあ、とため息をついた。頭を掴んでいた手が離れていく。しかし次の瞬間、再び女郎蜘蛛の手が私の頭を包んだ。今度は両手だ。そして。


「わ!何?!」


わしゃわしゃと私の髪の毛を思いっきりかき混ぜる。まるで犬を撫でるときのように、力任せに。


「ちょ、じょ、女郎蜘蛛?!」
「あーん!もう可愛いわ!確かに可愛いわよ!でも私は貴女の髪の毛も好きだったのよ!それが突然こんな…短くなって寂しいの!もう結んであげることもできないじゃない!」
「ええ?!」
「それに切るなら一言言って頂戴」


「髪を一房もらいたかったのに」その髪の毛どうするのと聞きたかったが、聞かない方が良さそうなので寸でのところで飲み込んだ。
女郎蜘蛛はグシャグシャにした私の髪の毛を、今度は優しく撫でる。女郎蜘蛛の指が頭皮に触れて、手櫛しされるのは気持ち良かった。


「あの、ごめんね女郎蜘蛛」
「いいのよ。女の子は突然髪の毛を切りたくなることもあるわよね」
「う、うん」


女郎蜘蛛の手は優しいが、何となく言葉は拗ねている感じがする。でも、そんなに私の髪の毛を気に入っていたのかと思ったら悪い気はしなかった。先程までショックを受けていたのに、私もほとほと単純である。
女郎蜘蛛は髪を撫でていた手を止めて、横髪を私の耳にかけた。触れた指がくすぐったい。
あんなに険しかった表情は、今はとても優しい。


「このまま短いままでいるの?」
「ん…どうかな、考えてなかった」
「そう。ならまた伸ばしてくれない?前と同じくらいに」
「う、うん。それはいいけど…」
「ありがと。私、七海の髪の毛を触れるのは私の特権だと思ってるのよ」


「髪を鋤いてあげたり、結ってあげたり、遠慮なく七海との時間を過ごせるものね」
女郎蜘蛛はそういうと、すっかり短くなった私の髪の毛を掌で掬って見せようとした。前に比べて短くなったそれは、すぐに女郎蜘蛛の手を離れていく。少し寂しげに笑ったあと、「ああ、でも」と、彼は思い付いたように私の目尻に口を寄せた。ちょん、と小さく唇が触れる。「じょ、女郎蜘蛛?!」「短いのは短いでいいかもね」


「こんな風に、髪の毛に邪魔されないもの」そして、そのまま露になっていた首筋にも唇を寄せた。私の抗議の言葉は、その後すぐに上がってきた彼の唇の中へと吸い込まれていく。


「ふふ。また伸びるまでは、この短さを楽しもうか」


今の今まで、どこにこんな雰囲気になる要素があっただろう。女郎蜘蛛は普段女らしいくせに、こういうとき急に男らしい顔をするから困る。
恨めしそうに見下ろす私を見上げて、女郎蜘蛛がニヤリと笑った。「似合ってる、七海」

ああ、もうずるいなあ。
でもやっぱり髪を切って良かったなと、私は思うのだった。