最後のひとくち

「お主の目は綺麗だな。まるで黒水晶のようだ」
「えっ何急に…」


私の両頬をその大きな手で包むと、土蜘蛛は覗き混むように見下ろしてきた。じっと至近距離で見つめられ、思わず視線がさ迷う。だって、見つめ合うのも…ねえ?


「なぜ目をそらす?我輩を見ればよかろう」
「いや、だって…恥ずかしいし、ねえ?」
「ふっ。そうか」


納得したように頷いた土蜘蛛だったが、それでも両手は離してくれない。そんなに力は入ってないはずのに、なぜか私の頬を押さえつけているように感じる。「旨そうだな」え、今何て言ったの?


「このまま喰ろうてしまえば、七海は我輩のもの。他の誰も、その目に写すことはなくなるな」
「えっと…まあ、確かにそのとおりだけど…」


急に不穏な雰囲気だ。土蜘蛛は目をギラつかせて見下ろしてくる。抵抗したくても、できない。何かに縛られたように体が動かなかった。


「だいたい七海は他のものに愛想を振り撒きすぎなのだ。我輩がこうして、捕らえてもするりと逃げていってしまう。まるで煙のように」
「そ、そんなことないよ。私が好きなのは土蜘蛛だよ?知ってるでしょ?」
「ああ…そうだな。だが、」


それだけでは足りぬのだ。土蜘蛛が呟いて、ゆっくり顔が近づいてきた。「やはり喰ろうてやろうか」こんな顔をする土蜘蛛は初めてで、私は頭が混乱していた。逃げなきゃ、と思うのに体は動かないし、脳内パニックだ。「七海」ああ、喰われてしまう。

ぎゅっと目をつぶる。瞬間、べろり、とざらついた舌が瞼の上を通り抜けていった。え、何今の…


「ふん。冗談だ」
「は…え?」
「七海があまりにも無防備だからからかっただけだ」


にやり、と土蜘蛛が笑う。


「ちょ…もう〜!」


本当に、食べられるかと思った。両頬が解放されたので、ぽかぽかと土蜘蛛の胸の辺りを叩く。「悪かった」喉の奥でわらう彼を一度見上げてからそっとそこに頬を寄せた。


「私、食べられるのは嫌だよ。土蜘蛛と少しでも長くいたいもん」
「…そうか。我輩もだ」


ぎゅっと抱き締められて、ようやく私は安心する。土蜘蛛の胸に顔を埋めてしまったから、私はそのとき彼がどんな顔をしていたのか、わからなかった。




さいごのひとくち





食ってしまえば、一生この体のなかに七海が根付くことになる。ああ、何て甘美な誘惑なのか。

何も知らぬ愛しき娘よ、今はまだ、この腕の中だけで。