眠っているきみに

久しぶりに何も予定がなかった七海は、部屋の中で一人ごろごろとしていた。開け放った窓からは心地よい風と、柔らかな日差しがいい案配で入ってくる。どこかで子供が遊んでいるのだろう。遠くから楽しそうな声か聞こえて、それさえもこの休日にとって素敵なBGMとなっていた。

ふああ、と誰に気にすることなく欠伸する。

「眠くなってきたなあ…」

普段バイトや学校だけでなく、町中の妖怪や妖魔界の妖怪たちとまで幅広く活動している七海だ。こんなに忙しい女子高生は他にいないだろう。だからこういう休日にはすぐ眠くなってしまうし、むしろその眠気に身を委ねたいと思っていた。

「はあ〜いいなあ、こういう穏やかな時間…」

ごろごろと再び寝返りを打って、何も考えずに時を過ごす。そうしている間に、七海はいつの間にか眠ってしまったのだった。




「ただいまニャン〜」

七海が深い眠りへ落ちた頃、ジバニャンは家の玄関扉をすり抜けたところだった。今日は猫妖怪の会合があり、そこから帰宅したのである。

「全く…年寄猫妖怪の話はいつも長いニャン」

会合と言っても、ただ同じ町内に住む猫妖怪たちが集まって情報交換をするくらいだ。ため息をついてしまうくらいの疲労感に、ジバニャンの口からもつい文句が漏れる。なぜどこの世界も年寄は話が長いのか。

とんとんと腰を叩いて、はあ、と息を吐いた。

こう疲れた時は寝てしまうのが一番いい。

そう思い、重くなってきた目を擦りながら階段を上ろうとしたときである。ふと普段ないものが目に入ったような気がした。瞬時にピン来て、振り返えれば。

「にゃにゃ?!七海ちゃんが家にいるニャン?!」

普段はあまり見かけないもの。それは外出しがちな七海の靴だった。靴があるということは、彼女が家にいるということだ。しかも今日は重度のシスコン景太と、ウィスパーも遊びに出かけて家にいない。 これは七海を一人占めするチャンスである。

「ニャッハハーン!七海ちゃん〜〜!」

鬼の居ぬ間にとはこの事か。ジバニャンは勢いよく階段をかけ上がると、七海の部屋へと飛び込んだのだった。


「七海ちゃん…?」

しかし、部屋の中の彼女は、静かに眠っていた。カーテンが風に揺れるのに合わせて、七海の前髪もわずかに揺れる。規則正しく上下する胸元は、彼女が深い眠りについている証拠だった。

「七海ちゃん、」

起こさないように、と思いながらもジバニャンはベッドへよじ登ると七海の顔を覗きこんだ。いつもならハッキリと開かれている目は閉じられて、まつ毛が影を作っていた。割りと大人っぽい彼女だが、寝顔はとても穏やかで幼い。

「七海ちゃんも、疲れてるのかニャ」

どんなに無理を言っても最終的には甘やかしてくれる。そんな彼女だから、景太だけでなく、ジバニャンや他の妖怪も彼女に甘えることが多かった。

苦労をかけている自覚はあった。
もちろん少し位労ってあげたいと思うけれど。甘やかしてくれるのなら、とことん甘やかして欲しいとも思う。いつか拒否されるそこ日まで。ただ、そんな日は来ないこともわかっていた。

──だから、今も。

ジバニャンは七海の腹の上に乗ると、ゆっくりそこに寝転がった。耳を左胸に押し当てる形になったから、規則正しい彼女の心臓の音が聞こえてくる。柔らかい双丘がジバニャンを包んでいた。
何だか胸の奥がむず痒くなって、誤魔化すようにぐりぐりと顔を擦り付ける。優しくていい匂い。ジバニャンの好きな、七海の匂いだ。

「…起きたらまた一杯抱っこして、膝の上でお昼寝させて欲しいニャン」

それが猫の特権ならば、余すことなく使おう。未だ目を開けない七海の寝顔をもう一度見ると、ジバニャンも目を閉じた。いつの間にか先ほど感じていた疲れはなくなっている。

「おやすみニャン」

パタパタと動かした尻尾に擽られてか、七海が少し笑ったような気がした。



そして、ジバニャンもまた深い眠りについた時のことである。


「おーい!七海いるか…って何だ。寝てるのか」

うんがい鏡を通り抜けた先、目的の人物が静かに寝ていたのを見て、エンマ大王はあからさまにがっかりした。せっかく会いに来たというのに、なぜこんなときに限って眠っているのだろう。しかも彼女の腹の上には、ジバニャンが気持ち良さそうに眠っていた。時々七海が「う…ん、重い…」と呟いているが、それでも起きる気配はなかった。

吐き出したため息は、彼女の部屋の中で霧散した。ゆっくりベッドへ近づいて、寝顔を覗きこむ。規則正しく上下する胸元に合わせて、ジバニャンも規則正しく上下する。それがまた腹立たしく、ついその首根っこを掴んで投げ捨てようかと思ったくらいだった。

七海の隣には、いつも誰かがいるのだ。誰かが甘え、彼女がその誰かを甘やかす。それが今日はジバニャンで。
一人占めなんてできたためしがない。
重度のシスコン景太ではないだけ、今日は運がいいのかもしれないが。

「七海」

エンマ大王は手を伸ばすと、眠る彼女の頬を撫でた。身動ぎされたが、やはり起きる気配がない。

「…俺がいつ来てもいいように、起きておけよな」

眠る相手に文句を言っても仕方がないけれど。

もちろん今日遊びに来ることを約束していたわけではない。けれどもいつだって笑顔で迎え入れて欲しいと思うのは、恋している方が時に自己中心的になりがちだからだろうか。彼女には彼女の生活があり、エンマにもエンマの生活がある。わかってはいても、「思い描いたとおりに」あって欲しいし、その通りにならなければがっかりしたり、腹が立ってしまう。

「恋」に振り回されている。
その自覚はあった。

頬を撫でていた手を移動させて、前髪をかき分ける。額が露になり、手を当てれば温かい。人の子の体温は、エンマ大王の真髄まで暖めてくれるようだった。

せっかく会いに来たのに眠っていることは腹立たしいが、いつもより幼く見える寝顔はいつまでも見ていたいと思う。

「…七海が、俺だけのものだったらいいのにな」

そうは言っても、叶うはずもないのは知っているから。


エンマはベッドへ手をかけると、七海の横へと身を寄せた。顔を彼女の二の腕あたりにすりつければ、妖怪たちの好む匂いがする。
今できなくても、せめて夢の中では一人占めさせて欲しい。そう願いながら、エンマもゆっくりと眠りの中へ入っていったのだった。





眠っている君に伝えたいこと。