姉、ぬらり議長と出会う(2/2)

「姉ちゃん!!」
「七海〜!!」


ただいま、という言葉を発した瞬間に、私の目の前に突進してくるものがあった。言わずもがな弟の景太と。


「え、エンマ大王さま?!」
「七海!待ってたぜ〜!」


まさかのエンマ大王である。エンマ大王といえば妖魔界を統べる王だ。一般家庭に、普通に存在していていい方ではない。


「な、何でエンマ大王さまがここに…?!」
「遊びに来たんだ!七海、遊ぼうぜー!」
「え…え?!」


エンマ大王が私の腕を持って、ぶらぶらとさせてきた。それを見た景太は反対側の腕に飛び付き、「ちょ、エンマ大王!!姉ちゃんは俺と遊ぶの!」と叫ぶ。いや、姉ちゃんバイトから帰ってきたばかりだから…疲れてますから。


「なーなー遊ぼうぜ!」
「姉ちゃん俺と遊ぼ!」
「…二人で一緒に遊びなよ…」
「やだよ、俺は七海と遊ぶために来たのに」
「ちょっとエンマ大王!俺は許してないし俺だってやだよ!」
「大王に向かって失礼なやつだなあ。いいじゃねぇか、お前はいつも七海と一緒にいるんだろ?たまには譲れよな」
「だーめー!」


二人して私の腕にぶら下がる。いや、だからさ、私バイトから帰ってきたばかりなんですけれど。仕方なく二人をぶら下げたまま部屋へ戻るため階段を上り始めた。その間もぎゃーぎゃーと彼らは騒いでいる。ああ、もうため息しか出ない。


「なーなー七海ー!」
「姉ちゃん!」


そして階段を上りきったところでついに私の堪忍袋の尾が切れた。切れるのは意外に早かった。


「もう!私帰ってきたばかりなんだって!ケータ、宿題はいいの?!お母さんに怒られてもしらないからね!」


目をつり上げてそう言えば、ぐっと景太が押し黙る。「でも、姉ちゃん…」うるうるした目で目あげられたがここは我慢だ七海。可愛いからといって甘やかしてはならない。そしてそれを見てエンマ大王がケタケタ笑っていた。「怒られてやんのー」もちろん私は平等だぞ。


「エンマ大王さまも!」
「なんだよ〜つれないなあ。エンマでいいって言ってるのに」
「いやいやさすがに妖怪の王にタメ口きけませんから?!それよりこんなところにいていいんですか?やることあるのでは!?」


勢いで出た言葉は、エンマ大王を黙らせるのには効果抜群だったようだ。


「そ、それは、」
「大王さまなんだから、仕事に忙しいんじゃないんですか?」


途端にエンマ大王の目が泳ぎ始める。
景太から聞いた話によると、「エンマ大王」という仕事はとても忙しく、書類仕事もあるらしい。そして彼はそんな仕事からのサボり常習犯なのだとのこと。「仕事をためるのはよくないです」「そうだそうだー」横から景太が加勢する。しかしぎろりと睨み付ければまた押し黙った。


「い、いいんだよ!今は休憩中なんだって!それにあっちにはぬらりがいるから大丈夫、」
「ほう。どこが大丈夫なのです?」


エンマ大王の言葉を遮るように、ひやりと背筋が凍るような声がした。いつの間にか部屋の扉が開かれ、隙間からにょろにょろと触手が出ている。これは一体。


「ぬ、ぬらり…!」
「見つけましたぞ、大王様」


エンマ大王の顔から冷や汗が垂れた。ゆっくりと扉が全開になると、そこにはこの世のものとは思えないものがいる。「ぬらりひょん?!」景太が驚きの声をあげた。ぬらりひょん?初めて会う妖怪だ。エンマ大王の側近か何かだろうか。

ぬらりひょんは長い銀髪を揺らめせながら、怒りのオーラを飛ばしている。迫力半端ない。


「い、今しがた到着されましたでうぃす…」
「俺っちしーらないニャン」


ウィスパーとジバニャンは傍観者を決め込んだようで、部屋の隅に移動していた。ゴゴゴゴという背景を背負ったぬらりひょんが一歩足を踏み出すと、エンマ大王も一歩下がる。逃げる気か。瞬時に察した私は、それを許さない。


「お、おい 七海?!」
「お、お迎えですよ〜」
「このっ裏切りものー!」


そんなこと言われても。ここで庇うものなら私だって殺されてしまいそうなのだ。それほど目の前の妖怪──ぬらりひょんは恐ろしい。ぬらりひょんは一度こちらを見やると目を細め、すぐにエンマ大王に視線を戻した。「大王様。仕事が残っているというのに、人間とお遊びですか?」イケメンなのにすごく怖い!


「ぬ、ぬらりひょん怒ってるし、帰った方がいいと思うよ、エンマ大王…」
「ちょ、ケータまで?!」


今度は景太も真顔でうなずく。「今日中に終わらせなければならない書類が山ほどあります。それをわかっておいでですよね…?」有無を言わせないぬらりひょんを前に、エンマ大王は「わ、わかってらあ」と言いながらそっぽを向いた。


「では早急にお帰りください。猫きよと犬まろも困っております」
「でもよー!俺だって息抜きしたいし!」
「あなたはいつも息抜きしているでしょう」
「ぐっ…そんなこと…ないし!」
「ほう。私の目を真っ直ぐ見て同じことが言えますか?」


ここは戦地か、それとも地獄だろうか。一瞬わが目を疑うが、ここは私の家である。ごく普通の一般家庭なのである。帰りたくないエンマ大王と、さっさと帰ってこいと思うぬらりひょんのオーラがぶつかり合っていて、こちらまで卒倒してしまいそうだった。なぜこんな平和な家が、戦地になろうとしているのか。

とりあえず早く帰っていただこう。


「エンマ大王さま、仕事が終わってから遊んだ方が楽しいですよ!」
「はあ?七海何言ってんだよ、俺は仕事が嫌いなんだって!終わってからも何もないっつーの」

あ、この子開き直った。


「…大王様?」


ぬらりひょんの声が一段低くなる。これは早急な応急対策が必要である。そう思った私は肩にかけていた鞄を開けると、中に入れていたものを取り出した。これは本当は、景太にあげる予定だったのだけど仕方あるまい。秘密兵器解禁だ。


「ほら、これあげます。あげるから仕事頑張って!」


半ば無理矢理押し付けたのは、私のバイト先、アッカンベーカリーの人気商品。しかも数量限定版、「幻のクリームパン」である。「あっ…それ!」景太が羨ましそうに指差したが、すぐに手で口を塞いだ。黙ってなさい、と目で訴える。私の手によって塞がれた口のまま、景太はこくこくと頷いた。


「こ、これは…」
「わが町自慢のパン屋アッカンベーカリー幻ののクリームパンです。1日に三個しか作ってません」
「なん、だと…?!」
「すっごく美味しいですよ。これ食べたら絶対仕事も頑張れます!」
「うっ…」


エンマ大王は手に持ったクリームパンを眩しそうに見て唸った。仕事はしたくない。でもクリームパンは食べたい。その二つが彼の脳内でせめぎあっている。そこでぬらりひょんがぽつりと言った。


「…今日中に終わらせたら、明日は1日休みを差し上げましょう」
「なにっ?!それは本当か?!」
「今日中に終わらせたら、ですよ」


とはいえ、ぬらりひょんにとってもこれは苦肉の策だったようだ。だがやはりそれが一番、エンマ大王には効いたらしく。


「よし、帰るぞぬらり!」


大事にクリームパンを抱えて、エンマ大王は意気揚々とうんがい鏡へと向かった。鏡に体を半分入れたところで振り返り、「じゃ!また明日遊びに来るな!」といい笑顔で手を振る。また明日も来るのか。そう思いつつ私と景太も緩く手を振った。

エンマ大王が鏡のなかに完全に吸い込まれた姿を見届けると、ぬらりひょんも姿を変えた。その姿はすらりとした大人の男性で、思わず見とれてしまう。


「…娘、感謝する」
「あ、いえ…お役にたてて何よりです」


ぬらりひょんは私の顔をじっと見つめたかと思うと、すぐに踵を返した。さらさらと長い銀髪が揺れて、とても綺麗だ。
後ろ姿も様になるのだなと思っていると、彼はうんがい鏡の前で振り返った。


「名前は何という」


私のことだろうか。思わず景太やウィスパーたちを見回したが、ぬらりひょんの視線は私にあった。「天野七海、です」ぬらりひょんは一度頷くとうんがい鏡に手をかけた。



「今度妖魔界に来い。今日の礼くらいはしてやる」


そして私の返事を聞かないまま、その中へと入ってしまったのだった。


「姉ちゃんさあ…」
「え、何?」
「べっつにー!なんでもない!」


ぬらりひょんが帰っていく姿を見届けると、景太は不機嫌そうに口を尖らせていた。「何でもなくない顔してるけど?」「何でもないったら何でもないの!」ふんっと鼻をならしてそっぽを向く。後でジバニャンたちが呆れたようにため息をついていた。


「七海ちゃんの妖怪ホイホイも困りものニャンね」
「ですね」
「え、ちょっと待って、何のこと?!」


何でもなーいと3人の声が重なった。私は納得いかないんですけど。
けれども3人はそれ以上口を割ることがなく、結局徒労感に満ちたまま私は自分の部屋に戻ることにしたのだった。

一人になってから、ふと思い出す。ぬらりひょんの綺麗な銀髪と、目元にうっすら浮かんでいた疲労のシワ。


「同類の匂いがする…」


今度はもう少しゆっくり話(主に愚痴)してみたいな思った私だった。