ある星を目印にして(2/2)

アッカンベーカリー。それはさくらニュータウンにある人気のパン屋である。
この店のパンは、クリームパン、カレーパン…と、定番メニューはもちろん、数量限定のアッカンベーグルはすぐに売り切れてしまうほど美味しいと評判だ。

しかしUSAピョンはこのパン屋に来たこともなかったし、そこで売られているパンを食べたこともなかった。
そもそもさくらニュータウンは、イナホの学校があると言えど、彼にとっての生活圏内ではないのだ。普段彼はイナホと共にそよ風ヒルズのマンションにいることが多く、イナウサ探偵社があるのもアオバだった。

つまり意識しなければ、このパン屋に足が向くことはないのである。

そんな「ハジメテの場所」へ行くことは、自他共に認めるコミュ障──もとい人見知り場所見知りをするUSAピョンにとってハードルが高いのも当然だった。
ましてや、そこには七海がいる。緊張しない方がおかしい。

アッカンベーカリー側の角まで来て、USAピョンは一度足を止めた。スーハー息を吸って吐いてから、店へと向かう。

──この中に七海がいる。

そう考えたら急に足がすくんでしまった。店の入口前まで来て、そのまま中に目をやることなく通りすぎる。再び反対側の角を曲がり、店が見えなくなったところで足を止めた。

「…ミーは何やってるダニ?!」

誰か教えてほしい。自分は何をしているのだ、と。
頭を抱えてその場に蹲った。こんなときどうしたらいいのか全くわからない。けれども七海にもう一度会いたくて、ここまで来たのだ。しかもイナホに嘘までついて。
先程の決意を思い出せ。ここで逃げていいはずがない。

「負けていられないダニ…」

決意新たに、立ち上がる。そして勢いよく顔を上げたときだった。

「あれ、USAピョン?」
「…ダニ?!」

──七海である。今まさに会いに行こうとしていた本人が目の前にいた。

「やっぱりUSAピョンだった」
「え、え?!七海ダニ?!」
「うん?そうだよ。久しぶりだね、元気だった?」

USAピョンの身長に合わせるように七海が膝を折る。自然と頭に伸ばされる手をそのまま受け止めて、危うくデレッと緩みそうになった顔を引き締めた。

「な、何で七海がここにいるダニ?!」
「何でって…ほら、そこ。私のバイト先だから。これから出勤なの。前にアッカンベーカリーでバイトしてるって言わなかったっけ?」
「え、えーっと…そう、だったダニ?ミーはたまたま通りかかっただけで…」

──嘘である。
しかし「そうなんだ」と首肯く彼女を見て、USAピョンは引き返せなくなってしまった。
今更言えるわけがない。まさかもう一度七海に会いたくて、ここまで来たなんてことは。

「何だ、遊びに来てくれたのかなって思ったんだけど」
「ダニ?!み、ミーは、そんなに暇じゃないんダニ!」

──ますます言い出せなくなってしまった。
勝手に喋りだすこの口を、誰かに塞いでほしかった。
それでも七海は嫌な顔をすることはなく、にっこり笑うと「じゃあ気が向いたらお店に来てね」と再び頭を撫でてくれる。

イナホが相手ではこうはいかないだろう。きっと今ごろベイダーモードを発動しているに違いない。USAピョンが七海に会いたかった理由はそこにあった。

USAピョンを変に挑発することも、怒ることもない。もちろん無視もしない。
ただ受け入れて頭を撫でてくれる。それは彼が生前、喉から手が出るほど欲しかったものだったのだ。

だからこそ、いざその優しさを目の前にすると素直になれなくなってしまう。ただひと言、七海に「友達になってほしい」とさえ言うことができなかった。
これではいけないとわかっているものの、実行に移すのはとても難しくて。
そんな自分の不甲斐なさにUSAピョンは自然と俯いてしまうのだった。

「…どうしたの?」
「な、何でもないダニ」
「そう?何か元気ないね」
「…ちょっと落ち込んでるだけダニ」
「そっかあ。じゃあちょっと待ってね」
「…ダニ?」

七海はUSAピョンの言葉に首肯くと、手に持っていた鞄を開けた。「はい、これあげる」反射的に手を出せば、ころんと何かが転がされた。飴玉だった。「落ち込んだときは甘いものがいいよ」にこりと笑った彼女を見上げUSAピョンは思う。自分は何て小さな男なのだろう。

「…さて、もうバイトだから行かないと」
「ダニ?!あ、あの!七海!」
「ん?どうかした?」

じーんと彼女の優しさに感動している場合ではない。
これでは前回と同じだ。何の進展もないまま、また彼女と別れることになってしまう。けれど、真っ直ぐにこちらを見やる七海を前に、出しかけた勇気は飛び出すことはなく。

「そ、その…ありがとう、ダニ…」

また同じだった。「友達になって」何て、言えなかった。

「…?どういたしまして。何で落ち込んでるのかわからないけど、元気出してね」

そんなUSAピョンの様子に不思議そうにしていた彼女だが、ぽんぽんと彼の頭を撫でると、立ち上がる。バイトに遅れるわけにはいかないからだろう。「友達になって」とさえ言えないのだから、「もうお別れなんて寂しい」だなんてもっと言えるはずがない。
ただ、「あと、今度気が向いたらパン買いに来てね」と笑ってくれた彼女を見上げたら、彼もまた少し笑うことができたのだった。

「またね、USAピョン」
「あ…バイバイ、ダニ…」

立ち去る七海が見えなくなるまで見送ると、USAピョンはため息をついた。手のひらに落とされた飴玉をじっと見つめる。イチゴ味だろうか。ピンク色の包装紙が可愛らしい。

「また言えなかったダニ…」
「そうだねえ」
「悔しいダニ…」
「残念だったねえ。USAピョンにもうちょーっと勇気があればねえ」
「……ダニ?!」

突然、聞き慣れた声に振り向けば、近くの電柱からゆらりと影が現れた。「イナホ?!」「やほー!USAピョン!」今度はイナホである。神出鬼没とはこのことか。

「ここで何やってるダニ?!」確かにあの時撒いてきたはずなのに、なぜここにいる。

「フッフッフ。USAピョンったら、その挙動不審、全然隠しきれてないんだもん」
「きょ、挙動不審なんかじゃないダニ!」
「私の尾行術も捨てたものじゃありませんな〜USAピョンったら全く気付かなかったもんね」
「う、うるさいダニ!」

先程のあの努力は全て水の泡だった。イナホだけには知られたくなかったのに。USAピョンはガックリと肩を落とすしかなかった。「全く、USAピョンったら隅におけないんだから〜」ニヤリ、と笑ってイナホがUSAピョンを見下ろしてくる。

「まさかUSAピョンが女子高生に恋、とはねえ〜」
「ちが、そんなんじゃないダニ!!」
「照れなさんな照れなさんな!妖怪が人間の女の子に恋…素敵じゃないですかあ」
「だーかーら!違うダニ!ミーは純粋に七海と友達に…!」
「ほう、七海さんと言うのか〜メモメモ…」
「グヌヌヌ…!」

お馴染みにの流れで、USAピョンの指がヘルメットのサイドボタンにかかる。が、ふと我に返り、結局それを押すことはなかった。

「もういいダニ。好きに言えばいいダニ」
「あれ、ベイダーモードで怒らないの?珍しい」
「ミーは大人なんダニ」

本当は怒りに任せて、先程七海と出会ったときの気持ちを忘れたくなかったのだ。胸がつまるようで、くすぐったいそんな気持ちを、今は大事にしたかった。

「イナホ、帰るダニよ」
「な〜んかつまんなーい」
「何とでも言えばいいダニ」

手のひらの飴玉をきゅっと握る。これは次彼女に会って自分の気持ちを伝えることができたら食べることにしよう。そう思えば、次回は言える気がする。

──今日はダメだったけれど。次こそは。


「USAピョンにやにやしてキモい…」というイナホの言葉はまるっと無視して、彼は帰路へとついたのだった。

彼が七海から貰った飴玉の味をイチゴではなく桃だと気付くのは、もう少し先のことである。