13.見守る人、動く人

 赤井は一人、工藤邸にて静かな一日を過ごしていた。パソコンと向き合いながら、捜査を進めていく。

 もう昼時だ。そろそろ休憩をしようかと思っていた頃、呼び鈴が鳴る。インターフォンを覗くと、息を切らしたコナンがいた。彼は少し焦った様子で今話せる?と言うものだから、何かあったのだと察してドアを開けて中に招き入れる。

「今って、二人きり……だよね?」

 玄関へ入るなり確認してくる彼を安心させるよう変声機のボタンを切った。

「そうだが……どうした、そんな顔をして」
「名前さんに、会ったよ」

 それは、思いもしていなかった言葉だった。コナンから名前の名前が飛び出し、言葉を失う。

 以前、米花百貨店で会ってからしばらく名前の周囲を警戒していたが、何もなく無事であることは確認していた。それからしばらく平穏な日々を送っていると思っていたが、一体どういう状況なのか掴めない。

「その反応は、やっぱり、名前さんって」
「まずは、話を聞かせてくれ」

 もう大丈夫だと、安心していた矢先にこれだ。コナンがどこまで知っているのか。どこまで彼に話すべきなのか。そんなことを考えながらも、赤井は静かにソファーへ腰かけた。

「実は今日、ポアロに現れたんだ。あの日赤井さんが」
「何も言わず連れ去った、だろう?」
「うん。領域じゃないって、言われたけど……赤井さんの大事な人なんじゃないかって思って」
「そうだったとして、なぜ今、確認しにきたんだ?」

 コナンは、赤井が過去形で話すことに違和感を感じた。それでも、「先を続けろ」と視線で伝えてくる赤井に促されるまま、事情を話していく。
 
 沖矢昴と名前が知り合いなことは伏せてあること、安室という探偵と彼女は、病院の駐車場で出会い友人関係になったということ、そして安室が彼女を気になっているらしいということ、全てを。

「そうか」
「……え?」

 しかしその三文字で片付けられたことに、コナンは驚いた。その様子を察した赤井は、立ち上がってリビングのドアの方へと移動していく。

 知らなかったとはいえ、自分の考えた作戦のせいで名前と離れ離れになってしまっているとでも思っているのだろうか。全く、君に関係のないことだと、言いたいところだったが必要以上の説明は避けた。

「わざわざ来てくれたのに悪いな。その件については問題ない」
「え、赤井さ」
「俺は死んでいるんだ。これから彼女がどうするかは、彼女の自由さ」

 そう言い切れば、コナンは言い返す言葉がないようだ。そのまま大人しく赤井に見送られて、帰って行った。

「……っ」

赤井は静かに玄関のドアを閉めると、深く息を吐き出す。

 名前の側に探偵がいると分かり、謎が解ける。急にストーカー犯がいなくなったのは、その探偵のおかげなのだろう。どうやって対処したかは分からないが、もう名前の危機は去ったためそれには興味がない。

 また、名前がその探偵が働く喫茶店へ自ら足を運んでいるということは、それなりに気があるということ。それは、至って自然なことだ。今の彼女には誰か側で支えになる人物が必要であることは、重々承知している。さらにその相手は、コナンも知る探偵。ならば、何かあったときに多少なりとも心強いだろう。

 もちろん、その男の姿など見に行くつもりなどない。まして名前と二人でいるところなど、見ていられない。見たくもない。二人が一時的な友情の関係で、止まってくれはしないだろうかと思わずにはいられないが、組織の目もある今、どうすることもできないのだ。

 だとしても……。

 そんな、未練がましい思いを振り払うかのように、赤井は首を左右に軽く振ると、書斎へと戻っていった。



 ポアロから逃げるようにして出てきた私は、家に帰って静かな午後を過ごしていた。安室さんには一言、謝罪のメッセージを送っているけれど、当然アルバイト中のため既読にはならなかった。

 そうして夜、そろそろお風呂に入ろうかと思っていたときスマホが鳴る。それは、安室さんからだった。

「はいっ、もしもし?」
「名前さん?急にすみません」

 また下の名前で呼ばれ、ドキリとする。急に距離感が縮まり、少し戸惑った。喫茶ポアロだけの呼び方だと思っていたのに、引き続き下の名前で呼ばれていくような流れになっているようだ。

「今日は、気を使わせてしまいましたね」
「いえいえ!あの二人には、探偵業のことは秘密だったんですか?」
「いいえ?そんなことありませんよ。僕はポアロの真上に事務所を構える毛利さんの弟子なので」

 そう言って安室さんは、今の状況を教えてくれた。どうやら、私が勝手な思い込みをしていただけだったらしい。でも、あの時の緊張感は異様だった、と頭の片隅で思う。

「そうだったんですね。あの時、急に下の名前で呼ばれたので、何か訳があるんだって思っちゃいました」
「はは、名前さん考えすぎですよ。僕はただ、そう呼びたかっただけです」

 “そう呼びたかっただけ……”

 その言葉に対し、どう答えればいいか分からない。いつの間にか、ぐっと近づいていた安室さんとの距離感。客観的に考えれば、もう恋人はこの世にいないため、後ろめたいことはない。けれど、気持ちが追いつかなかった。

 前に進まないと、と思う反面、まだまだそんな気分にはなり得ない。いつまでも、あの温かく、大きな愛で包み込んでくれる彼を探しているのだから。

「名前さん、よかったら今度お食事でもいかがですか?」

 でもまた、一歩距離を縮められて、私は沈黙する。こんなに急に誘われるとは、思ってもみなかった。安室さんは悪い人ではない。でも、二人きりで会うような関係には、まだなれそうになかった。

「今日はせっかく来ていただいたのに、申し訳ないことをしてしまいましたし」
「……いえ、そんな」
「今日、貴女が去ってしまった後、気づいたんです。やっぱり、僕の話を名前さんにしたいと」
「あ……安室、さん」
「ほら、一人で抱えるのは良くないって、言っていましたよね?」

 その言葉で、河川敷での会話を思い出す。安室さんは、いつも明るく優し気な笑顔を見せてくれているけれど、その裏には何か背負っているのは確かだった。

 断る言葉が見つからない私に、安室さんは誘い文句を重ねる。名前さんに聞いて欲しいんです、貴女になら話せると思いました、人助けだと思って。そう言われると、私に出来ることなら……とその誘いを受け入れていた。