14.気づきたくなかった ーねぐらー

「名前さん、今週もお疲れ様でした」
「ありがとうございます、安室さんも!」

 次の週の金曜日。私は駅で、安室さんと合流した。予約してもらったお店は、彼の行きつけで、料理もお酒も充実しているらしい。こちらです、と安室さんに連れられるように、私は歩き始めた。

 安室さんとの会話はいつまでも続けられるな、とぼんやり思う。知識が豊富で、どんな話題も上手く広げる。決して会話を遮ることなく最後まで聞いてもらえるため、ついつい話し過ぎてしまうくらいだった。

 そうして、ようやく着いた所は、ビルの地下にあるバー。階段を降りてドアを開けると店内は割と暗い大人な雰囲気が漂っている。カウンターもあるけれど、ほとんどが個室風のテーブル席。それを見て一瞬、身構える。なんというか想像以上にデート向きな空間に、驚いた。私は、もっとカジュアルな居酒屋さんで、“安室さんのお悩み相談会”的なものを想像していただけに、少し警戒してしまう。

 かなり緊張しながら後ろを付いていくと、席は向かい合わせだった。空間も広く、照明も通路よりは明るい。

「どうぞ、お好きなものを。どの料理も美味しいのでぜひ」

 そうして目が合った時の、光に照らされた安室さんはいつもとは違う雰囲気だった。心の準備もできていないままに始まったこの時間に、もしかして私は、敵のねぐらに連れてこられたのかもしれないとさえ思えた。でも、いや違うと、今の思考を振り払うように、メニューに手を伸ばす。

「あ、バーボン」
「え?」
「あ、その……バーボンウィスキー。実は最近、少しだけ飲むようになって」
「はっ、意外ですね」

 安室さんの珍しい乾いたような返事に、少し驚く。でもそれも一瞬。なら白ワインはどうですか、と高級そうなワインを私の返事も聞かないまま注文していく。

 こうして意外な形で始まったこの時間も、美味しそうな料理が運ばれ、驚くほど口当たりの良いワインの数々に感動し、気づけば楽しく会話をしていた。身体もいい感じに火照り、暗い店内の雰囲気も相まって、頭がぼーっとしてしまう。何を話していただろうか。

 私がお手洗いから戻ると、テーブルの上はすっかりと片付いていて、足の長いグラスに入ったお酒が二つ並んでいた。

「わー、なんか綺麗なお酒ですね」
「ええ、飲みやすいはずですよ」
「いただきまーす」

 軽く、グラスを上げるようにしてから薄いグラスの淵に口をつけると、すーっと喉を通っていく。すっきりと甘い、けれど後から喉にじんわりと熱を残して、私はふわっと息を吐く。コン、とテーブルにグラスを置いた時の音が、二つ重なった。

「名前さんは、本当に優しいですね」
「え?……何か、しましたっけ?」
「ええ。こうして今日、来てくれました」

 ああ、そうだったと、私はようやく当初の目的を思い出す。

「あ、そうですよー!安室さんが話したいって」
「ええ、」
「はい、大丈夫です!話してください。私、誰にも言いませんから」

 すると安室さんは軽く笑みを見せながらも、神妙な面持ちで話し始める。実は、友人を失ったんですと。

 詳しいことは分からないけれど、その時の安室さんの表情が切なく、見ていられなかった。失う辛さを知っているからこそ、気持ちが釣られてしまう。

「それは……辛い、ですよね」

 割り切ることなんて、到底できない。どんな言葉も、助けにならない。そう分かっているから多くの言葉をかけることはできなかった。ただ、大切な人を失う悲しみは、十分すぎるくらい分かっている。

「私も……実は、大切な人を、失って」

 いつ、乗り越えられるのだろう。いや、心の奥では乗り越えたいと思っていないのかもしれない。似た後ろ姿を見かける度に、いつも心が叫び出しそうになる。まだ赤井さんの、声を、体温を、どこかでずっと探して。

「きっと、素敵な方だったんでしょうね」
「……っ」
「名前さんが惹かれ、そして今もなお、そうして想われている方なんですから」

 寄り添うような、優しい言葉に、思わず下唇を噛む。緩くなった涙腺は、簡単に崩れ去りそうだ。

「本当に、大切な人で……」

 気づけば、赤井さんの事を話していた。どんな人で、なかなか会えない中でもどれほど幸せだったか。彼のおかげで、愛を知れたあの時間。今まで人に言えず蓋をしていた分、その想いは溢れるように湧き上がってくる。

「へえー、素敵ですね。そういえば、お二人はどうやって出会われたんです?」

 その質問に、私は笑って顔を上げた。本当に、不思議な出会い方だったあの当時を思い出すと、どうしても笑みが零れてしまう。

「アメリカです!私、留学していて」

 安室さんがどんな気持ちで聞いているかも知らず、私は正直に答えた。彼が何も返事をしてこないことを不思議に思えるほど、もう頭は働いていない。恋人がいることを伏せていたことも忘れ、ふわふわとした状態で話していく。

「また行きたいなー。出会った場所だから」
「……へえ、いつ頃の話ですか?」
「んー、もう二年ぐらいまえ?」

 そこまで話すと、安室さんは早急にお手洗いに行くと言って、急ぎ足で席を立って行った。