24.〜〜〜より ー力ー

 赤井は、ようやくロビー側へ辿り着いていた。瓦礫を越え、今にも落ちそうな蛍光灯を避けては前へ進むと、名前がいると思われる女子トイレを見つける。しかしそこは、やはり扉は歪んでおり、がれきで塞がれていた。

 まだ救出に時間が掛かる。そのことに舌打ちをするも、扉に耳を寄せると名前の声が聞こえ、赤井は思わずそこへ手を添える。彼女がそこにいるという事実に、動揺が隠しきれない。

「……名前、」

 籠って聞き取りづらいが、どうやら無事に降谷と連絡がついているようだ。そのことに安堵し、今は沖矢の出る幕でないと、彼は奥のロビーの方へと進んでいく。

 そこにはまだ人が取り残されており、救助が遅れていることは明らかだった。ならば外からか、と赤井は窓側へ駆け寄ると、丁度はしご車に乗る救助隊がこちらに向かってきていた。これで脱出できる。早く、彼女を此処から……っ。

 その一心で事情を説明するも、隊員達は顔を見合わせて、何故か悩ましげな表情をしている。何故だ。重機を持って戻ってくる、それだけだ。簡単なことだろう。しかし、隊員の一人が重い口を開けて話し出した。

「実は、指示があるまで、その場所には近づくなと言われています。その爆弾は、数十分後には解体できるそうなので。そちらが完了次第、すぐ救出に向かいます!」

 そう言って隊員達は、ロビーに残されている人たちの救助へと向かう。一人ずつ、窓の外のはしご車への移動を始めていく光景を見ながら、赤井はその場に立ち尽くすしかなかった。

 名前さえ無事でいればと思う己と、最小限の被害で済ませることを優先する彼との相違に、言葉が出ない。もちろん公安である降谷の指示は、当然のことだ。しかし、名前が危機に晒されている状況では、そんな風に割り切れるはずがない。

 すると、赤井の意識を引き戻すかのように、スマホが鳴った。画面を見ると、相手はコナンだ。彼は力なくスマホを耳に当てるが、コナンからの言葉は何もない。ただ遠くで、降谷が声を上げているのが聞こえた。

“名前さん……まだ中に残っている人たちを、救えるのは貴女だけなんですよ!”

 そう、鼓舞する声が、赤井の耳に伝わってくる。そうじゃない。そうじゃないんだと、拳を握って感情を押し殺した。

 名前を救いたいだけなんだ……。

 しかしどれほど願っても、もう既に自分の手を離れてしまったこの爆弾処理の行方を、今はもう側で見守ることしかできない。それが、これほどまでも苦しいとは。

 赤井は拳を握っていた手を緩めると、唇を噛んで天を仰ぐ。今、出来ることをやるしかないのだと、名前のいる女子トイレのドアを見つめた。そうしてゆっくりと、ドアを塞ぐようにしているがれきの上に座り、静かに事の行方を見守っていた。



 降谷は名前に、最初に切る一本目を教えようとしていた。しかし彼女は、まだハサミすら持てずにいる。

 もう数分、経っているだろうか。名前は自分が爆弾のコードを切るという意味を理解し、震えてしまっていた。爆弾が作動しているならまだしも、止まっている状況なら、自分がやらなくてもいいのではという気持ちが出てしまうのは当たり前だった。

 これは安室の言葉を信じる、信じないの問題ではなく、当然の反応だ。初めて経験する死と隣り合わせの状況に恐怖し、どうしても逃げの思考になってしまい、身体が拒否反応を示してしまっている。そんな彼女を、どうにか立て直さなければ……。

 降谷は名前の心に響く言葉を、必死に考えた。その時……。孤独に見えた男を放っておけず、一人じゃないですと必死に伝えていた名前の姿が浮かぶ。誰かの為になりたい、と思うその気持ち……。それしかないと降谷は、心を決めた。

「名前さん……実はまだ、映画館に取り残されている人がいるんです」
「……え?」
「そこには、貴女一人かもしれませんが、まだビルの中には人がいるんです」
「……っ!」
「爆弾が作動してしまっては、貴女だけでなく、彼らも……」
「そん、な……っ!」

 こんなこと、降谷も言いたくなかった。彼女に、死を突きつけるような言葉、浴びせたくなかった。だが、解体しないことには、もっと最悪な状態になり兼ねない。彼女を救うためにも、爆弾を解除させるためにも、心を殺した。

「名前さん……中に残っている人たちを、救えるのは貴女だけなんですよ!」

 その言葉は、名前の心に強く響いていく。

 救う……。その言葉を、彼女は何度も頭の中で反芻した。誰かを救うために、自分の危険を顧みず……。そっか。赤井さんも、誰かを助けるために……。そこに気づくと、恐怖に震えていた身体が自然と楽になっていく。今なら、自分の世界とは違う場所にいると思っていた彼の気持ちが、よく分かるようだった。

 (赤井さんも、同じ気持ちだったんだね……)

 自分が勇気を出せば、救える人がいる。気づけば先ほどまでの恐怖は無くなり、名前は冷静さを取り戻していた。孤独感はない。それは何故か、すぐそばに彼がいるような気がしていたから。大好きな彼が、すぐそばにいてくれている気がしてならなかった。

「やります、私……」

 その声は、凛として芯の強さが漲っている。スマホを通じて、降谷は名前の強さを感じ取り、自身の手にも力を込めていた。スマホからはパシャッと、水が跳ねる音がする。名前が座る姿勢を変えたのだろう。

 そこからは、慎重に。しかし怯むことなく、彼女はは降谷が言う通りに爆弾に巡らされた線を切っていった。その様子は降谷も驚くほど。少し、生き急いでいないかと思うくらいだ。

 実際に名前も、もう死を恐れていなかった。それは誰かを救えるかもしれない、という正義感だけではない。ドアの向こうに誰かがいるような感覚に、赤井さんが見に来てくれたのかな、と思うと頑張れたのだ。迎えに来てくれたのかなと思うと、その瞳に涙が浮かびそうにもなったが、ぐっと堪える。

 そうして、言われた線を確実に切っていった。